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らんの花 (2)_小川未明童話集_日语阅读_日语学习网

时间: 2024-10-24    作者: destoon    进入日语论坛
核心提示: ちょうど、このとき、一人ひとりの男おとこが、飛とび込こんできて、「どれ、その根掛ねがけというのは。」といって、老人ろう
(单词翻译:双击或拖选)
 ちょうど、このとき、一人ひとりおとこが、んできて、
「どれ、その根掛ねがけというのは。」といって、老人ろうじんかって、しました。たがいにかおなじみの間柄あいだがらである、商売仲間しょうばいなかまだとわかりました。
「これだね。」と、老人ろうじんは、そばにあった小箱こばこのひきだしから、ぬのつつんだ、あおいし根掛ねがけをして、おとこわたしました。おとこは、だまって熱心ねっしんていましたが、
「なるほど、いいひすいだなあ。」と、歎息たんそくをもらしました。
わたし宝石ほうせきはなしだけに、油絵あぶらえからはなして、そのほうにられていたのです。
「どうだい、その色合いろあいは、たまらないだろうね。」と、老人ろうじんは、さもよろこばしそうにわらいました。
「こんな、いいいしがあるものかなあ。」と、おとことれていました。
「まったく、そうだ。」と、老人ろうじんは、自慢じまんらしくこたえました。
「いくらなら手放てばなすかな。」
「いや、これは、たのしみに、っていようよ。」
「ふん、たのしみにか。」と、おとこは、冷笑あざわらうように、いいました。
「いいものは、どうもしみがしてね。」
っていて、どうなるもんでなし、もうかったら、手放てばなすもんだよ。さいわい、わたしにはせるくちがあるのだ。」と、おとこは、なかなか老人ろうじんに、わたそうとしませんでした。老人ろうじんは、なんといってもわらっていて返事へんじをしなかったので、おとこは、ついに、それをかえして、
「じゃ、また出直でなおしてこようか。」と、いって、しまいました。
なんというふかあおさでしょう。ていると、たまなかから、くもがわいてきます。どのたまもみごとです。波濤はとうこる、うみうつります。いったいこのうつくしい宝石ほうせきをば、自分じぶんかみかざりとしたのは、どんなおんなかと空想くうそうされるのでした。
「いや、商売しょうばいですから、しいものでもかねになれば手放てばなしますが、生涯しょうがいはいらないとおもうものがありますよ。そんなときは損得そんとくをはなれて、わかれがさびしいものです。なかなかかねというものがにくらしくなりますよ。」と、老人ろうじんは、初対面しょたいめんきゃくである、わたしにすら、つくづくと心境しんきょう物語ものがたったのでした。このこころざしがあればこそ、骨董屋こっとうやにもなったであろうが、この老人ろうじんのいうごとく、というものは、まったくかねには関係かんけいのない存在そんざいであるとおもいます。

はなしがすこし横道よこみちはいりました。また、らんにもどりますが、これは、らんひとはなしをしているのをいたのでした。
大資産家だいしさんかなららず、そうでないものが、一万円まんえんのらんをもとめるというのは、よほどの好者こうしゃですね。それも全財産ぜんざいさんをただの一鉢ひとはちのらんにえたというのですから、おどろくじゃありませんか。そのひとは、時計屋とけいやさんですが、金網かなあみはこつくって、そのなかに、らんをれておいたというのです。しろに、しろはなという、珍品ちんぴんですから無理むりもありません。ところが、時計屋とけいやさんは、仕事しごとにつかず、毎日まいにち、らんのまえにすわって、うでんで、「いいなあ、いいなあ。」といっては、かんがえていたというが、とうとう憂鬱病ゆううつびょうにかかって、なにをおもったか、らんをいてせんじてむと、自分じぶんくびをくくって、んでしまったそうです。
「いや、その気持きもちがわかる。」と、一人ひとりがいいました。
わたしが、このはなしをきいているうちに、かみさまにしかわからないものを人間にんげんろうとしてつめていたら、だれでもくるうだろうとおもいました。
だが、あの宝石ほうせきのもつうつくしいいろや、はなのもついいにおいというものは、かみさまにだけ支配しはいされるものでしょうか? たしかに、人間にんげんこころよろこばせるものにちがいありません。しかし、それを人間にんげん所有しょゆうすることはできぬものでしょうか? なぜなら、人間にんげん自然しぜんをすこしでもわたくししようとするときは、そこに、こうしたおもわぬ悲劇ひげきまれるからです。

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