もはや記憶から、消えてしまった子供の時分の感情がある。また、或時分に、ある事件によって、自分の心を占領したことのあった、忘れられた感覚がある。また、偶然にふら/\と頭の中に顔を出して、はっと思ってその気分を意識しようとする刹那には、もう、其の顔が隠れてしまって、たゞ、単調な連続的の感情に頭が占領せられているのを意識するばかりである。
これを要するに、たゞ、吾等には、
多くの場合に、
『君の頭と、僕の頭とが違っている。』とか『僕の見ている人生と、君の見ている人生とは異っている。』とかいうことを聞くたびに、私は、其等の言葉によって現わされた思想について考えさせられる。さながら、是等の言葉は、全く生れながらに頭の違った人間が此の地球の上に幾何となく住んでいるということを思わせるからだ。
涙の光るところ、其の眼に同じい悲しみが宿る。恋の歌を聞くところ、其処に同じい怨みに泣く人があることを知る。こう、考えると私には、たゞ、其等の人々の境遇によって、現在の頭を占領している気分が違っているに留まるものだと思われた。
人間は、誰れでも同じいように、さま/″\の感情や、感覚や、知覚を長い間に於いて、ある時、ある事件によって、経験すべきものである。また、甲の頭と、乙の頭とが、生れながらにして、全く、異っているというよりは、或者は、まだ、其の感情や、感覚を学び知らないのだといった方が当然であろうと思われる。
何故となれば、私は、すべての人が私と同じような人間であると思うからだ。
子供の自分に感じたことがあって、既に忘れてしまった感情や、また、或時、ある事件に対して、刹那ながらも心の全幅を
私は、さま/″\の忘れられた懐しい夢を、もう一度見せてくれる、また心を、不可思議な、奥深い怪奇な、感情の洞穴に