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第一卷 第四話  とんかつ 2

时间: 2024-02-27    进入日语论坛
核心提示:2 遠く九州から桜便りが届いたが、京都ではまだ蕾つぼみが膨らみ始めたばかりだ。開花予想は例年と変わらず、半月ほど後になら
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  遠く九州から桜便りが届いたが、京都ではまだ蕾つぼみが膨らみ始めたばかりだ。開花予想は例年と変わらず、半月ほど後にならないと見頃にはならない。
  それでもいち早く京都の春を感じ取ろうとしてか、東本願寺界かい隈わいには多くの観光客が押し寄せている。値千金ともいわれる春の宵がすぐ間近に迫っている。
  正面通と烏丸通が交わる交差点には多くの車が行き交っていた。信号待ちをする須也子は桜色のワンピースに、白い薄手のカーディガンを羽織っていて、二週間前に比べると、装いだけでなく、いくらか表情も明るい。
  信号が青に変わり、須也子は東に向かって大きく一歩を踏み出した。
  「こんにちは。ひるねちゃん、だったっけね」店の前まで来た須也子は屈み込んで、寝そべっているひるねの頭を撫でる。
  ミャーオと甘え声を上げたひるねが、須也子の膝にちょこんと乗った。
  「これ、ひるね降りなさい。お洋服が汚れるやないの」気配を感じて、こいしが表に出て来た。
  「いいんですよ。普段着ですから」
  「ご主人、どうですのん」
  こいしがおそるおそる訊く。
  「変わりありません」
  須也子の口元にわずかながら笑みが浮かぶ。
  「おこしやす」
  店に入ると、流が待ち構えていた。
  「よろしくお願いします」
  須也子が頭を下げた。
  「ご主人に食べていただく分は、別にご用意してますので、まずは奥さん、ここで召し上がってください」
  流が椅子を引いた。
  「ありがとうございます」
  須也子がパイプ椅子に腰をおろした。
  「召し上がっていただく前に、ひとつお話をさせてください。あなたのご主人、岡江傳次郎さんは、なんでとんかつ屋をなさったんか」流が神妙な顔付きで語り始める。須也子はピンと背筋を伸ばした。
  「『ふぐ傳』の二番手をしてはった増田さんという方に会おうて来ました。八方手をつくして調べましたら、増田さん、今は博多に居てはりましてな。罪を償ったあと、天神で小さい料理屋をやってられます。ご存知でしたか」「いえ。店を閉めるときに挨拶に来ましたが、それっきりで」須也子は少し驚いたように目を開いた。
  「岡江さんがお世話なさって、博多で小料理屋を開かはったんです。今も細々と店を続けてらっしゃいました」
  「岡江が世話を……」
  須也子が声を落とした。
  「それ以後、一切の連絡はまかりならん、とも岡江さんが言わはったそうで、奥さんにもお伝えされなんだと思います。増田さんの方も、岡江さんが京都でとんかつ屋をなさっていることは、ご存知ありませんでした」
  細い路地の奥に暖簾を上げる、小さな割烹店の写真を流が見せた。
  「わざわざ博多まで」
  須也子が小さく頭を下げた。
  「お父ちゃんは現場主義ですよって」
  こいしが嬉うれしそうに言葉を挟む。
  「増田さんは、やっぱり、とも言うてはりました」「やっぱり?」
  須也子が甲高い声を出した。
  「いつかはとんかつ屋をやりたい。岡江さんは、そう増田さんに言うてはったそうです。
  勿もち論ろん冗談めかしての言葉やと思いますが、そのきっかけは、あなたが褒めはったからみたいです」
  「わたしが褒めた……」
  須也子はきょとんとしている。
  「ほな、こいし、ぼちぼち頼んだとおりに作ってくれるか」うなずいたこいしが、厨房に向かうと、流は居住まいを正した。
  「まかない料理を家に持って帰っても、たいてい奥さんは何も言わはらなんだ。美味しいとも不ま味ずいとも言わんと、いつも淡々と食べてはった。ところが、とんかつのときだけは違うた。覚えてはりませんか」
  流が須也子を正面から見た。
  「あいにく……」
  須也子は声を落とした。
  「とんかつって、こんなに美味しいものだったっけ。あなたはそうおっしゃったんやそうです。それを岡江さんは嬉しそうな顔で、増田さんに報告なさった。それも一度や二度やない。事あるごとに増田さんにその話をなさったようです。肉類やしつこい料理が苦手な須也子さんが褒めてくれるくらいやから、どこに出しても通用すると自慢してはった。増田さんが懐かしそうに、そんな話をしてくれはりました」「そうでしたか」
  須也子が小さくため息を吐いた。
  「自分の作ったとんかつを、あなたが喜んで食べはったことが、よほど嬉しかったんですやろな」
  「わたしは好んで揚げ物を食べることも、ましてや家で揚げることなどありませんでしたし」
  「岡江さんは根っからの料理人やったんですな。ふぐ料理屋を閉めても、旨いもんを食わして、人を喜ばせる仕事を選ばはったんやと思います」流が言った。
  「言った当人ですら覚えていないことなのに」須也子がテーブルに目を落とした。
  「料理人というのは、美味しいと言うて喜んでもろたことは必ず覚えているもんです」流が須也子の目を見つめた。
  「そろそろ揚がるけど」
  厨房からこいしが顔を覗かせた。
  「とんかつは揚げ立てが一番ですさかいな。すぐに用意しますわ」慌てて席を立った流が、須也子の前に折お敷しきを置き、箸と小皿を並べた。
  「ありがとうございます」
  須也子が居住まいを正した。
  「わしの記憶だけでは頼りないもんですさかい、岡江さんのことをよう知ってはる方にも協力してもらいました。ほぼ完全に再現出来たと思うとります」流が三つの小皿にソースを注ぐ。
  「これは?」
  須也子が小皿に鼻を近付けた。
  「『かつ傳』では三種類のソースが出て来たんですわ。右から甘口ソース、真ん中が辛口ソース、そして左がポン酢ソース。ひと口サイズのとんかつが六切れ出されますので、大抵の客はそれぞれのソースにふた切れずつ付けて食べてましたな。このソースのレシピは後でまた詳しいに」
  「揚げ立ての熱々を食べてください。夕食にはちょっと早いさかいに、ご飯はお付けしませんよって」
  立たち杭くい焼やきの丸皿を、こいしが須也子の前に置いた。
  「ずいぶんと上品なんですね」
  しげしげと眺めた後、合掌してから須也子が箸を取った。
  こいしと流は厨房の入口に下り、そっとその様子を窺っている。
  最初のひと切れを須也子はポン酢ソースに付けて口に運ぶ。サクサクと二、三度嚙み締めて、ふわりと頰を緩めた。
  「美味しい」
  誰に言うでもなく、思わず口を衝いて出た言葉だった。
  ふた切れ目は真ん中の辛口ソースに付ける。口に運ぶ前に鼻先に近付け、うなずいた後ゆっくりと嚙み締めた。三切れ目を甘口ソースに浸して食べ、また同じことを繰り返し、千切りキャベツを間あいの手に、あっという間に六切れのとんかつを食べ終えた。
  「ごちそうさまでした」
  箸を置き、須也子が頭を下げて丸皿に手を合わせた。
  「ご主人のとんかつは、こんな味でしたんや」流が須也子の向かいに座った。
  「わたしと別れてからの二十年、主人はずっとこのとんかつと寄り添って生きて来たんですね。こんなに軽やかな味と……」
  須也子の眼まな差ざしはずっと皿に注がれたままだ。
  「とんかつそのものもですけど、ソースも軽ぉっしゃろ。奥さんやったら隠し味に何が使つこうてあるか、すぐにおわかりになったと思います」「橙だいだいでしょうか」
  須也子がわずかに顔を上げた。
  「そうです。山口産の橙を使うてはったようです。甘口のソースには橙を煮たジャムを、辛口ソースには橙胡こ椒しょう、ポン酢ソースには橙の絞り汁を」「故郷の味を忘れてはらへんのやね」
  傍に立つこいしが言葉を挟んだ。
  「このポン酢ソースは、ふぐ刺しに付けるものと同じように思えるのですが、とんかつにも合うのですね」
  須也子が小指にポン酢を付けて舐なめた。
  「ごくわずかですが、ニンニクが入ってます。てっさのときはネギを巻きますので、それと同じ意味合いやないかと」
  流が目を細めた。
  「なぜこのソースを再現出来たのですか」
  須也子が流に真っ直ぐ目を向けた。
  「増田さんからヒントをいただきました。まかないで食べたとんかつを思い出してもろて。普通、まかないというのは、主人やのうて、店のもんが作るんですけど、とんかつだけは岡江さんが自ら作ってはったんやそうです。奥さんから褒めてもろてからは、その都度ソースも変えて」
  流が言った。
  「それでこの……」
  空になった立杭焼の皿を手に取って、須也子が愛いとおしむように撫でた。
  「さっき食べてもろておわかりのように、『かつ傳』のとんかつは独特のコロモをまとうてます。生パン粉のようやけど、そうでもないような感触が歯に残りよる。他のどこにもないパン粉は近所のパン屋で調達してはったんです」流がパン粉の入ったバットを置いた。
  「……」
  須也子は無言のまま、テーブルに皿を置き、パン粉の感触をたしかめた。
  「『かつ傳』のすぐ近所に『柳りゅう日じつ堂どう』というパン屋がありましてな、パン粉はその店で特注してはったようですわ。そこのご主人からも、当時の『かつ傳』のとんかつのことをお聞きしました」
  ひと息入れるように、流が茶を啜る。
  「しっとりとしていて、でも肌き理めが細かい。たしかに生パン粉のようですけど、少し乾いた感じもします」
  須也子の指の隙間からパン粉がさらさらと滑る。
  「これは粉の粗さが五ミリです。けど岡江さんは三ミリが理想やと思うてはった。それは奥さんが美味しいと言わはったんが三ミリやったからです。細かい方が口当たりは柔らかい。しかしそれでは、とんかつ好きの人には頼りない。パン屋のご主人と、そんな話をいつもしてはったそうです」
  流が掌てのひらにパン粉を載せた。
  「たった二ミリの違い」
  須也子は哀かなしそうな目で、指先にパン粉を遊ばせた。
  「わかる範囲ですけど、レシピを書いておきました。パン粉は三ミリと五ミリの両方を入れておきます。豚肉は、わしの記憶頼りですけど、たぶん岐阜県の『養老豚』やと思います。揚げ油は太たい白はくの胡ご麻ま油と、ァ¢ンダのサラダ油を半々に混ぜてはったんやないかと」
  十数枚のレポート用紙をクリアケースに入れて、流が須也子に手渡した。
  流の言葉が途切れるのを合図に、こいしが紙袋をテーブルに置いた。
  「わたしは、すぐご主人に食べてもらえるように、揚げたとんかつの方がええと思うたんですが、お父ちゃんが、食べはるタイミングに合わせなあかん、て言うんで、おうちで揚げてもらわんなりませんねん。ご面倒かもしれませんけど。揚げ油もソースも全部入ってますんで」
  「お気遣い感謝します。お代は如い何かほどを」須也子がバッグの口を開けた。
  「お気持ちに見み合おうた金額をここに振り込んでください」振込先を書いたメモ書きをこいしが須也子に渡した。
  「本当にありがとうございました。主人もきっと喜ぶと思います」須也子がふたりに深々と頭を下げた。
  「長い間、ご苦労はんでしたな」
  流が須也子の手を取った。
  「ありがとうございます」
  流の手を両手で包み返し、須也子が何度もその手を強く握った。
  目尻を小指で拭い、こいしが引き戸を開けると、ひるねが鳴いた。
  「ひるねちゃんもありがとうね。また来るよ」屈み込んで須也子がひるねに声をかけた。
  「こんな味と違う、てご主人が怒らはったら言うてくださいね。お父ちゃんにもういっぺんやり直してもらいますよって」
  涙目のこいしが須也子に言った。
  「ふぐ料理屋じゃなくて、最初からとんかつ屋をやってれば」須也子が唇を嚙んだ。
  「お父さんは結婚をお認めにならなんだでしょう」流が微かすかな笑みを浮かべると、須也子が深く一礼して、正面通を西に向かって歩き出した。
  「奥さん」
  流の呼び掛けに、須也子が立ち止まって振り返る。
  「あんじょう揚げてくださいや」
  須也子が深く腰を折った。
  「須也子さんのご主人、あの味で納得してくれはったらええんやけどね」テーブルを片付けながらこいしが言った。
  「そやな」
  流が素っ気なく相あい槌づちを打つ。
  「けど、もうちょっと早ぅに出来たんと違う? 須也子さん、きっと毎日気ぃもんではったと思うわ。お父ちゃん、忘れたん? お母ちゃんの死に目に会えへんかった……」「こいし」
  こいしの言葉を遮って、流が椅子に腰をおろした。
  「何やのん」
  口を尖らせて、こいしが向かい合ってパイプ椅子に座る。
  「亡のうなった人に、とんかつは食えん」
  流がぽつりと言った。
  「え? いつ亡くなったん?」
  こいしが目を見開いた。
  「いつ亡くなったんかはわからん。けど、先々週に奥さんが来はったときは、すでに亡くなってたはずや」
  テーブルに目を落としたまま流が言った。
  「それ、どういう意味?」
  こいしが責めるような口調で流に問うた。
  「病室の写真を見て、お前は何も気付かんかったか」流の言葉にこいしは黙って首をかしげた。
  「窓の外に東福寺の境内が写ってたやろ。ちょうど紅葉が始まったとこのようやった」こいしはハッとしたように背筋を伸ばした。
  「どう見ても、十一月の初めころや。それから三月を数えたら……」指を折ったこいしが、がっくりと肩を落とした。
  「綺麗な指に幾つも火傷やけどの痕があった。あれは油が跳ねた痕や。それだけやない。
  脂っこいモン好きなひるねが、じゃれつきよる。服に揚げもんの匂いが染み付いとるからやろ」
  「ひょっとして、とんかつを揚げてはった……」こいしの言葉に流はこっくりとうなずいた。
  「自分なりにあれこれやってみはったんやと思う。けど、そう簡単に『かつ傳』のとんかつは出来ん」
  「そうやったんか」
  こいしが声を落とした。
  「ホンマは一緒に食べたかったんやないかと、わしは思う。美味しいなぁ、とふたりで言い合いながら、『かつ傳』のとんかつを食べたかったんやろうなぁ。その気持ちが『主人に食べさせたい』と奥さんに言わせたんや」
  流が目を細めた。
  「須也子さんは噓うそを吐いてはったんやないんや」こいしが二度、三度うなずいた。
  「ひょっとしたら、祇ぎ園おん祭まつりのころには、『かつ傳』の暖簾が上がるかもしれんで」
  流が声を弾ませる。
  「二十年以上も前に別れたご主人の仕事を? それはないと思うわ。ピアノの先生やめてまで、とんかつ屋やなんて」
  こいしが一笑に付した。
  「夫婦いうのは、そない簡単なもんやない。別れたさかいに、お互いが自分の好きな道を歩めたとも言える。相手のことを想おもえばこそ別れる、そんな夫婦もあるんや」流がゆっくりと立ち上がった。
  「夫婦か。うちにはわからんわ」
  こいしが肩をすくめた。
  「たとえ別れても、遠くに離れとっても、夫婦の絆きずなは切れん。な? 掬子。そやな?」
  居間に上がり込んだ流が、仏壇に向かって、春の日差しのように柔らかい笑みを向けた。
 
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