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第三卷 第四話  餃子 1_鴨川食堂(鸭川食堂)_日语阅读_日语学习网

时间: 2024-10-24    作者: destoon    进入日语论坛
核心提示:第四話  餃子     1 京都駅三一番線ホームに降り立った高こう坂さか修しゅう二じは、その寒さに思わず肩をすくめた。 
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  第四話  餃子
  1
  京都駅三一番線ホームに降り立った高こう坂さか修しゅう二じは、その寒さに思わず肩をすくめた。
  列車に乗り込むとき、豊岡の駅には春のような陽ひ射ざしが降り注ぎ、コートを脱いでキャリーバッグに仕舞い込んだほどだったのに。
  ホームのベンチに腰掛け、高坂はバッグのジッパーを開けて、しわの寄ったコートを引っ張り出した。
  京都駅を出た高坂は烏丸通を北に歩き、七条通を越えたところで足を止めた。
  「餃ギョ子ーザチェーンの店はこんなところにもあるのか」中華料理店の店先に置かれたメニューを一いち瞥べつし、高坂は再びキャリーバッグの音を立て始めた。
  大学入試を間近に控えたころ、妻の美み沙さ子こと初めて京都へ遊びに来て、最初に訪れたのが「東本願寺」だった。二十年近く前と同じように、門前に植わる銀杏いちょうの落ち葉が北風に舞い上がり、正面通へと流れていく。それに導かれるようにして高坂は、東へ身体からだの向きを変えた。
  二十年ほど前には、心を浮き立たせながら軽やかに歩いた道を、今は重い空気に押しつぶされるように歩く。目指す店がそんな重さを取り払ってくれるかもしれない。期待を胸に歩くうち、想像していた通りの建屋が目に入ってきた。
  目指す店はここに違いないと思うと、急に迷いが出始めた。看板も無ければ暖の簾れんも出していない。万人を受け入れるような店でないことは承知していたものの、臆する気持ちはいやが上にも増す。
  胸につかえる緊張感を吐き出し、迷いを吹っ切るように、大きく咳払いをして、高坂が引き戸を開けた。
  「いらっしゃい」
  明るい声で迎えたのは、鴨川こいしである。
  「鴨川探偵事務所、いや、鴨川食堂はこちらやったですか」後ろ手に戸を閉めながら、高坂が訊たずねた。
  「そうですけど、どちらにご用が?」
  黒いソムリエエプロンを付けた、こいしが訊きいた。
  「両方です」
  高坂が無理やり笑顔を作った。
  「お腹の具合はどないです?」
  白衣姿の流が前掛けで手を拭いながら、厨ちゅう房ぼうから出てきた。
  「減ってます」
  高坂が腹を押さえた。
  「用意させてもらいますんで、しばらく待ってくださいや。なんぞ苦手なもんは?」「特にありません」
  コートを脱いだ高坂は、目で居場所を探した。
  「どうぞこちらにおかけください」
  こいしが赤いシートのパイプ椅子を奨すすめた。
  「ありがとうございます」
  キャリーバッグを横に寝かせて、高坂がパイプ椅子に腰かけた。
  「うちのことはどこで?」
  「『料理春秋』の広告を拝見して伺いました」「よう場所が分からはりましたね」
  「編集部の方にお尋ねして。料理も美お味いしいから食べるように、と教わりました。
  さっきの方が鴨川流さんですよね」
  「ええ。うちは娘のこいしです。いちおう探偵事務所の所長ということになってます」「それもお聞きしてます」
  「どちらからお越しに?」
  こいしが清水焼の急須を傾けた。
  「豊岡てごぞんじですか。兵庫県の北のほうなんですが」高坂が湯ゆ呑のみを手に取った。
  「コウノトリで有名なところですよね」
  「そうです。他にはどんなイメージが?」
  高坂がこいしに目を向けた。
  「そうやねぇ。たしか夏にものすごく暑くなるんと違いました?」「コウノトリとフェーン現象。やっぱりそんなところですか」納得したように、高坂が茶をゆっくりと啜すすった。
  「他に何かあったかなぁ」
  こいしが天井を見上げた。
  「これなんですけどね」
  グレーのセーターをめくって、高坂が青いウェストポーチを指した。
  「バッグ?」
  こいしが首をかしげた。
  「豊岡は昔からカバンの街として有名なはずなんですが」高坂が肩をすくめた。
  「すんません。何も知らんもんで」
  こいしが、ちょこんと頭を下げた。
  「謝ってもらうようなことじゃありませんよ。田舎というのは、そんなものですから」高坂が茶を飲み干した。
  「カバン屋さんなんですか?」
  こいしが茶を注ついだ。
  「わたしは小さなビジネスホテルをやってます。家内の実家がバッグを作っていまして」高坂がウェストポーチを叩たたいた。
  「ええ色のバッグですね。紺に赤のラインが効いて、よう似合うたはります」「そう見えますか。家内に対する義理で持っているだけなんですがね」高坂は腰から外して、ポーチをテーブルに放り投げた。
  やがて料理を載せた盆を持って、流が厨房から出てきた。
  「えらく豪華な料理ですね」
  高坂が盆を覗のぞきこんだ。
  「簡単に料理の説明をさせてもらいます」
  テーブルに並べ終えて、流が姿勢を正した。
  「立杭の大皿に盛ってあるのは、左上からノドグロの煮付け、その横が合あい鴨がもの岩塩焼き、蟹かにの甲羅に入ってるのはセコ蟹の身。土佐酢で和あえてあります。その下はグジのフライ。柚ゆ子ず胡こ椒しょうを付けて召し上がってください。ウロコは素揚げにしてます。その横の伊万里の小鉢は冬野菜の炊き合わせになってます。金きん時とき人にん参じん、聖しょう護ご院いん蕪かぶら、すぐき菜、赤ネギ。おでんふうに辛子をつけてもろても美味しおす」
  「田舎ではお目にかかれんご馳ち走そうですね。ちょっとお酒をいただこうかな」「どないしましょ。寒い時期ですさかい燗かんもつけますけど、冷酒もあります」こいしが訊いた。
  「伏見のお酒はありますか」
  「『月の桂』の〈にごり〉はどないです? この時期ならではの酒ですけど」「それをいただきます」
  こいしと流が厨房に入っていった。
  高坂は、ひとわたり料理を見回してから手を合わせた。
  「遅うなってすみません。お酒置いときますよって、好きなだけ飲んでください」四合瓶と唐津焼のぐい呑を置いて、こいしが厨房の暖簾をくぐった。
  高坂が緑色の瓶を持って、キャップを開けると、プシュッと音がした。発酵中なのだろうか。
  大ぶりの唐津焼に白く濁った酒をなみなみと注ぎ、すぐに口に運んだ。
  フルーティーな薫かおりが口から鼻に抜けてゆく。小さな泡が舌の上で弾はじける。冷えているのに、心が温まる。
  「いい酒だ」
  高坂がひとりごちた。
  ぐい呑を置いて、まずは蟹身に箸を伸ばした。
  清せい冽れつな旨うまみが口の中に広がる。土佐酢の加減もちょうどいい按あん配ばいだ。酒を注いだ。海が薫ってくる。
  合鴨の岩塩焼きは、添えてある刻み山葵わさびを巻いて食べる。噛かみしめると肉汁が溢あふれだし、そこに山葵の辛みがアクセントを付ける。これも酒が進む味だ。
  グジをフライにして食べるのは初めてだ。柚子胡椒との相性もいい。ウロコはパリパリとした食感が小気味いい。
  小規模なビジネスホテルだから、簡単な朝食しか提供していないが、それでもいちおうは飲食業である。あまりの違いに幾ばくかの反省も重ねながら、高坂は思いがけぬ美味を愉たのしんだ。
  「お口に合うてますかいな」
  流が高坂の後ろに立った。
  「合うなんてもんじゃありません。とても美味しいです」「よろしおした。ゆっくり食べてもろたらええんですけど、よかったらご飯をお持ちしようかと思いまして。今日は蒸し寿ず司しをご用意してます」「蒸し寿司ですか。聞いてはいましたが、まだ食べたことがないんです。是非いただきます」
  酒を注ぎながら、高坂が流に顔を向けた。
  「もう五、六分したら蒸し上がりますんで、熱々をお持ちしますわ。それまでごゆっくり」
  厨房に戻ってゆく流の背中を見ながら、高坂はぐい呑を傾けた。
  五年ほど前、瀬戸内へ旅行したとき、妻の美沙子が、尾おの道みち名物の〈蒸し寿司〉を食べたいと言ったことを高坂は思い出していた。
  温かい寿司など気持ちが悪いと言って、結局は店に入らなかった。その後は気まずい空気を引きずったまま、ロープウェイに乗った。美沙子は不機嫌そのもので、旅気分はまるで盛り上がらなかった。夫婦関係がぎくしゃくしだしたのはあの旅行からだった。苦い思い出を噛みしめながら料理を待った。
  「お待たせしましたな」
  蓋付き茶ちゃ碗わんと汁しる椀わんを載せた盆を、流がテーブルに置いた。
  「これが蒸し寿司ですか」
  尾道の店のショーケースにあったのは蒸せい籠ろだったことを思い出して、高坂はいくらか拍子抜けした。
  「見たとこは熱そうに見えまへんやろけど、器にさわったら火傷やけどしまっさかいに、気ぃ付けとうくれやっしゃ」
  そう言って、流が金きん襴らん柄の茶碗の蓋を布巾で包んで外した。
  流の言葉どおり、もうもうと湯気が上り、すし酢の甘酸っぱい薫りが高坂の鼻先をかすめた。
  「薄ぅに葛くずをひいた豆腐のすましも熱おっせ。どうぞゆっくり召し上がっとうくれやす」
  「今日のような寒い日には何よりのご馳走ですね」蒸し寿司を見る高坂の目は輝いている。
  「後で番茶をお持ちします」
  盆を小脇に挟んで、流が背中を向けた。
  言われると触ってみたくなるのが人情とばかり、高坂はそっと茶碗の縁を触ったが、あまりに熱く、思わず耳たぶに指を当てた。
  酢飯の上に錦きん糸し玉子が散らされ、焼穴子や蒸し海え老び、煮た椎しい茸たけ、銀ぎん杏なん、青豆が載っている。桃色はデンブだろうか。
  器に手を触れないよう注意しながら、箸で蒸し寿司を掬すくい、口に運んだ。
  どうすれば、これほど高い温度を保てるのかと思うほどに熱い。唇を丸くして熱気を吐き出しながら噛む。
  酢飯の中にも刻んだ穴子がたっぷりと入っていて、旨みが口中に広がる。なるほど、たしかにこの熱さが寿司を旨くしている。こんな寿司だったら、あのとき美沙子にしたがっておけばよかった。時折むせそうになりながら、高坂は半分ほども食べ進み、汁椀に目を留めた。
  棗なつめ形の小吸椀は螺ら鈿でん細工が施してあり、滑らかな手触りは如い何かにも高級漆器といったふうだ。
  椀を手に持ち、蓋を取ると、爽やかな薫りが立ち上った。
  「柚子かな」
  高坂が黄色い吸口を舌に載せると、かすかな苦みが残った。
  しばらく手をつけずに置いていたのに、吸物も熱々のままである。
  「ゆっくり召し上がってくださいや」
  益まし子こ焼やきの土瓶と砥と部べ焼やきの湯呑みをテーブルに置いて、流が立ち去ろうとした。
  「ひとつお訊きしたいのですが」
  高坂が背中に声をかけた。
  「何ですやろ」
  流が振り向いた。
  「以前は刑事さんをなさってたと聞いたのですが、料理はどこで修業されたんですか」「そんな話、どこでお聞きになったんです?」「『料理春秋』の大道寺さんから」
  「茜のヤツ、余計なこと言いおってからに」
  流が苦笑いした。
  「失礼な言い方になるかもしれませんが、元刑事さんがこれほど素晴らしい料理をお作りになるには、よほど厳しい修業をなさったのではないかと思いまして」「修業といえるようなことは何もしてまへん。見よう見まねで作ってるだけですわ」「またご謙けん遜そんを」
  「ホンマのことですがな。けど、なんでそんなことをお知りになりたいんです?」「田舎街で小さなビジネスホテルをやってましてね。今は簡単な朝食を出しているだけですが、いずれは、ちゃんとした料理を出したいと思っているんです。元刑事さんでも、と言えば失礼ですが、修業すれば、わたしでもこんな料理を作れるようになれるかなと」「料理だけやのうて何でもそうですけど、好きこそものの上手なれ、と違いますかな。好きで作ってるうちに、だんだん人さんに出しても恥ずかしないもんができるようになります」
  「好き、ですか。そう言われると自信がないです。昔からわたしは、自分が何を好きなのか、よく分からないところがあるもので」
  高坂が宙に目を遊ばせている。
  「そんだけ恵まれたはるということですやろ。食事が終わられたら、娘がお話を伺いますので、また声をかけてください」
  言いおいて、流が厨房に戻っていった。
  胸の中に靄もやが広がったまま、高坂はようやく冷めはじめた蒸し寿司を黙々と食べつづけた。
  尾道の蒸し寿司もこんな味だったのだろうか。なぜあのとき頑かたくなに拒んだのか、思い出そうとして、答えが見つからない。ただただ逆らいたかっただけのようにも思う。
  ひと粒のご飯も残さず、きれいにさらえた。
  箸を置いた気配を察したのか、流がふたたび姿を現した。
  「そろそろご案内しまひょか」
  「お願いします」
  テーブルに手をついて、高坂が立ちあがった。
  先に歩く流の後を追って、高坂が歩を進める。細長い渡り廊下に差しかかって、その歩みが止まった。
  「この料理は?」
  高坂は、廊下の両側の壁にびっしりと貼られた写真に見入っている。
  「わしが作った料理です。メモ代わりですわ」素っ気なく答えて、流は前を向いて歩く。左右に目を走らせながら、高坂はそれに続いた。
  鰻の寝床とはうまく言ったものだ。間口に比べて、奥に細長く続く空間はまさしくそんなふうだ。庭の見える奥の部屋で待っていたのは、黒いパンツスーツに着替えたこいしだった。
  「ご面倒やと思いますけど、こちらに記入してもらえますか」ローテーブルを挟んで、向かい合うソファに腰かけるとすぐ、こいしがバインダーを差しだした。
  「宿帳みたいですね」
  笑みを浮かべて、高坂がバインダーを膝の上においた。
  住所、氏名、年齢、生年月日と、よどみなく書いた高坂の手が、家族構成のところで止まった。
  「書き辛づらいことがあったら、飛ばしてもろてもええんですよ」すかさず、こいしが声をかけた。
  「別に書き辛いというようなことではないのですが」誰に言うでもなく、高坂が小声で言った。
  ひととおり書き終えて、こいしにバインダーを手渡すと、高坂は小さくひとつ咳ばらいをした。
  「高坂修二さん。どんな食をお捜しなんですか」ノートを広げて、こいしがボールペンを構えた。
  「餃子なんです」
  「どんな餃子ですか」
  「普通の餃子です」
  「取り付く島もないな」
  こいしがぼそりとつぶやいた。
  「すみません。本当にありきたりの餃子なんです。少し辛みがあって、具がシャキシャキしていたくらいで」
  高坂が肩を縮めた。
  「謝ってもらわんでもええんですよ。それを捜すのがうちらの仕事ですし。いつ、どこで食べはったのか、聞かせてもらえます?」
  「二十歳すぎのことですから、十五年以上も前のことですが。長野県の美うつくしヶ原はら温泉にある旅館で食べた餃子です」
  「旅館の食事に餃子が出たんですか?」
  こいしが目をむいた。
  「そうではありません。一から説明しないと分かりませんよね」高坂が座りなおして、いくらか前まえ屈かがみになった。
  「旅館で餃子は出ませんわね」
  こいしが口の端で笑った。
  「わたしは大阪の大学に入りましてね、家業を継ぐために観光学を学んでおりました。その同じゼミに居た、信州の旅館の娘さんと付き合うようになりました」こいしは無言でペンを走らせている。ひと息ついて、高坂が続ける。
  「大学に入ってしばらくしたころに付き合い始めたのですが、わたしには豊岡に別の女性が居ました。結婚の約束をした幼なじみの女性です」「ふた股またかけてはったということですね」こいしの表情がいくぶん険しくなった。
  「そういうつもりではなかったのですが、結果的にはそうなりますね」「同時進行の恋愛やったんですか」
  「恋愛といえるかどうか、微妙なものがありました。幼なじみの美沙子とは、子どものころから結婚するものだと互いに思い込んでいましたし、恋愛感情とはまた別の気持ちでした」
  「ということは、その信州の旅館のお嬢さんに恋してはったんですね」「そうなりますね」
  高坂が軽く答えた。
  「大学に行ってはる四年間、ずっとその状態やったんですか?」「ええ。稲いな田だ友ゆ梨りとは毎日のように顔を合わせていましたし、いわゆる恋人といえる間柄でした。夏と冬の二回、友梨が帰省するときには、わたしも一緒に信州に行って、友梨の実家の旅館に泊まらせてもらっていました。豊岡には年に数回帰っていましたが、そのときはもちろん美沙子と会って、将来のことなんかを話し合ってました」「完璧にふた股ですやん。女として言わしてもろたら、ずるい人やと思います」こいしが小鼻をふくらませた。
  「ずるいと言われても仕方ないでしょうね。友梨には美沙子のことを言わなければいけないと思いながら、ずっと言い出せずにいました。友梨のご両親は、わたしと友梨が結婚するものと思い込んでらしたみたいで」
  時たま、ため息は漏らすものの、淡々とした調子で高坂は昔のことを語り、こいしの機嫌は少しずつそこねられていった。
  「ひどい話やわ」
  「そう言われてもしかたがないと思いますが、流れにまかせたかったんです」「優柔不断て、こういうときのためにある言葉や」こいしが吐き捨てるように言った。
  「いよいよ大学を卒業することになって、最後の講義が終わった教室で、わたしは思い切って友梨に美沙子のことを話したんです。わたしには、結婚を約束した女性がいると。
  そうしたら……」
  「どうしはったんです?」
  こいしが前のめりになった。
  「何も言わずに出ていってしまい、そのまま実家に帰ってしまいました」「わかるわ。けど、うちやったら出て行く前に、頬っぺた二、三回引っぱたかんとおさまらへん」
  「友梨はやさしい女性でしたから」
  「そのやさしさにつけこんで、て、すいません。きついこと言うて」こいしが小さく頭を下げた。
  「結局、友梨はそのまま姿を見せず終じまいで、卒業式にも出席しませんでした。わたしはご両親にもお詫びをしなければと思って、卒業式の後、急いで友梨の実家を訪ねました」
  「怒られはったでしょう」
  「いえ。友梨はなにも話していなかったようで、理由も言わずにヨーロッパへ旅立ったということでした。とにかくわたしは謝るしかありませんでした。事情を話して、ひたすら詫びて……。我が子同然の付き合いをしてもらっていたので、本当に辛かったです」高坂が両肩を落として続ける。
  「ァ′ジさんに殴られてもしょうがないだろうと覚悟して行ったのですが、いつもどおり、本当にやさしくしてもらって、それが余計に……」「ええ人たちなんやね」
  「ひょっとして友梨が帰ってくるんじゃないかと思っているうちに終電がなくなってしまって、結局その日も泊めてもらいました」
  「厚かましい」
  言い終えないうちに、こいしは手のひらで口を押さえた。
  「そんな厚かましい男に、次の日のお昼にご馳走していただいたのが、捜してほしい餃子なんです」
  「そういうことやったんですか」
  「何度も泊めてもらって、いろんな料理をご馳走になったのですが、餃子は初めてでしたので、ちょっと驚いたのを覚えています」
  「友梨さんが餃子好きやったとか」
  「いえ、逆です。四年間の間に数えきれないほど一緒に食事をしましたが、友梨が餃子を食べたのは見たことがありません。ラーメン屋さんで注文しても、友梨は手を付けませんでしたし、きっと嫌いなのだろうと思っていました」「信州と餃子。何か関係あるんやろか」
  こいしが餃子のイラストをノートに描いた。
  「何度も、何度も、気にしなくていいから、気にしなくていいから、とァ′ジさんが言ってくれて。友梨のことはいいから、修二さんは幸せになりなさいね、とおかあさんも言ってくれて」
  高坂の瞳がわずかに光った。
  「ありがたいことやねぇ」
  こいしが鼻を赤くした。
  「辛かったです」
  高坂が床に目を落とした。
  「けど、なんで今になってその餃子を探そうと思わはったんです?」「毎日味気ない日が続いていましてね。家の中が息苦しいんですよ」「奥さんとうまいこといってへんとか?」
  「子どものころから数えると、三十年以上も一緒ですから、お互いに飽きるんですよ」「飽きるやなんて」
  こいしが眉をひそめた。
  「きっとあなたも結婚されたら分かると思いますよ」高坂が薄く笑った。
  「分かりとうありません」
  こいしが両頬を膨らませた。
  「惰性で毎日を送っていて、ふと思い出したんです。あのときの餃子を」高坂が遠い目をした。
  「ひょっとして、友梨さんとよりを戻そうと思うてはるんやないでしょうね」こいしが眉をつり上げた。
  「まさか。友梨はきっと僕のことなんか、とうに忘れているでしょう」「女てね、心底恋した人のことは忘れへんもんですよ」「そんなものですかね」
  高坂が瞳を輝かせたことに気付いたこいしは、喉の奥から苦いものがこみ上げてくるのを感じた。
  「その餃子をもう一回食べて、どないしようと思うてはるんです?」「別にどうこうしようとは思っていません。ただ食べたいだけで」こいしに見つめられて、高坂が目をそらせた。
  「わかりました。とにかく探してみます」
  大きなため息をついてから、こいしが乱暴にノートを閉じた。
  「あんじょうお聞きしたんか」
  流がカウンター席から立ちあがった。
  「長々とお話しさせていただきました」
  立ちどまって高坂が一礼した。
  「せや。だいじなこと忘れてた。その餃子を出してくれはったんは、何ていう旅館です?」
  こいしがカウンターにノートを広げた。
  「美ヶ原温泉の『旅荘いなだ』です」
  「今でも旅館をやってはりますよね」
  「さあ、どうでしょう。あれ以来、連絡をとったこともありませんので」高坂が首をかしげた。
  「餃子を出す旅館?」
  流が高坂とこいしの顔を交互に見た。
  「後でちゃんと説明するさかい」
  こいしの言葉に、流は小さくうなずいた。
  「結果はいつごろ分かりますか」
  「二週間後くらいにお越しいただけますかな。それまでに見つかれば、ですが」高坂の問いに流が答えた。
  「承知しました。愉しみに待っております」
  「携帯のほうに連絡させてもらいます」
  こいしが電話番号を確認した。
  「そうそう、今日のお代を」
  高坂がウェストポーチのジッパーを開けた。
  「探偵料と一緒に頂ちょう戴だいしますので」こいしの言葉にうなずいて、高坂はジッパーを閉めなおした。
  「旅館で餃子て何のこっちゃねん。ややこしい話か?」高坂を送りだして、流がパイプ椅子にこしかけた。
  「ややこしいて言うたら、ややこしい話やけど、その旅館の関係者さえ見つかったら、そない難しい話と違うと思うわ。お父ちゃんやったら、簡単に捜しだせるんと違うかな」こいしがテーブルにノートを広げた。
  「今まで、簡単やったことがあるか。そんな容易たやすぅ見つけられるもんやったら、わしとこに頼みにきたりはしはらん」
  仏頂面をして、流がノートを繰った。
  「そらそうやけど」
  むくれ顔をして、こいしが茶を淹いれている。
  「なんや、えらい機嫌悪いやないか」
  「話聞いてるうちにむかむかしてきたんや。仕事やさかい、しょうがないと思うけど。あんまりな話なんよ」
  こいしが勢いよく茶を注ぐと、湯呑みから溢れ出した。
  「お茶にあたっても、しゃあないやないか。お前の言うとおり。頼まれたもんを捜すのがわしらの仕事や」
  「そう思うてはいるんやけど、あんなあかんたれの人の捜しもんなんか……」「こいし、それを言うたらあかん。なんべんも言うてるやろ。頼んできはった人がどんな人やとかは関係ない。頼まれもんさえ捜したらええんや」唇を尖とがらせたまま、こいしは黙りこんでいる。
  「とにかく信州へ行ってくるわ。お前も一緒に行くか? 蕎そ麦ばの旨い店があるんやで」
  「うちは行かへん。お父ちゃんひとりで捜してきて」こいしがぷいと横を向いた。
 
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