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第四卷 第五話  から揚げ 2

时间: 2024-02-27    进入日语论坛
核心提示:2 師走も残すところ、あとわずかとあって、京都駅を歩く人はまばらで、観光客らしき姿はほとんど見かけることがない。地下通路
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  師走も残すところ、あとわずかとあって、京都駅を歩く人はまばらで、観光客らしき姿はほとんど見かけることがない。地下通路を通って、鈴木は八条口から中央口へと移動した。
  前回は八条口からタクシーに乗ったが、中央口から出れば、歩いてもすぐだということを帰り道に知り、今回は徒歩で「鴨川食堂」へ向かうことにした。
  そのためにということでもないが、ジーンズにセーター、その上からブルゾンを羽織るというカジュアルな出いで立ちだ。
  烏丸通をまっすぐ北に歩き、七条通を越え、鈴木は正面通を東に折れた。
  「こんにちは。鈴木ですが」
  引き戸を開け、誰もいない店の中を見回しながら、鈴木が大きな声をあげた。
  「おこしやす、ようこそ」
  厨房から出てきて、流が帽子を取って一礼した。
  「どうぞよろしくお願いします」
  鈴木が礼を返した。
  「ご連絡が遅ぅなってしもて、すんまへんでしたな」「ずいぶんとお手をわずらわせてしまったようで、こちらこそ申し訳なく思っております。さすがにこの時期になると会社もひまになるので、かえってありがたかったです」鈴木がベージュのブルゾンを脱いで、パイプ椅子の背に掛けた。
  「すんません。うちがどんくさいことしてしもて」厨房から出てきて、こいしが鈴木に頭を下げた。
  「今回はこいしにまかせて、草津へ捜しに行かしたんですけど、結局よう見つけんと帰ってきよって。二度手間になってしまいましたわ」流が横目でこいしをにらんだ。
  「その節はご両親にお世話になりました。本当にありがとうございます」こいしが改まった。
  「せやのに何も見つけられんと」
  こいしが床に目を落とした。
  「わたしが無理なことをお願いしたばっかりに、ご迷惑をおかけしました」意気消沈しているこいしに、鈴木が言葉をかけた。
  「たぶん合うてると思いますんやけど、ひょっとして違うかもしれまへん。とにかく食べてみてください。すぐにご用意します」
  「ありがとうございます」
  鈴木が腰をおろした。
  まだ二度目なのに、なぜか懐かしさを覚えるのは、「とり岳」に似ているからだろうか。
  吊つり棚にはテレビが置かれ、その横には神棚があり、お札とともに福ふく笹ざさが祀まつられている。一番端のテーブルには雑誌と新聞が散らばっている。雑多な店に見えてしかし、まったく乱れたふうに感じないのは、掃除が行き届いているせいだろう。
  ちりひとつ床に落ちていることなく、垣かい間ま見みえる厨房のステンレス壁も鏡のように光り輝いていて、街場の食堂とは思えないほどの清潔感を漂わせているのは「とり岳」と同じだ。
  少しの空き時間があれば、いつもコンロを丁寧に拭いていた川上の険しい顔を、鈴木は思いだしていた。
  厨房から漂ってくる芳ばしい香りは、揚げ物特有のもので、いやがうえにも食欲をそそる。加えて、ちりちりと油がはぜる音もあいまって、鈴木は腹の虫を鳴らせた。
  「お待たせしましたな」
  竹箸を陶片の箸置きに並べ、染付の小皿をその横に置いて、流が食膳を整えた。
  「なんか緊張しますね」
  鈴木が深呼吸した。
  「もうすぐ揚がりますんで」
  流が厨房に目を走らせながら、小皿に入ったソースを置いた。
  「ほうじ茶がよう合うと思います。お水と一緒に置いときますね」テーブルの端に益まし子こ焼の土瓶、信しが楽らき焼の湯吞と、ガラスコップを置いて、こいしが厨房に入っていった。
  しばらくすると、また油で揚げる音が聞こえてきた。二度揚げしているのだろうか。
  最初は大きかった油の音が、だんだん小さくなってゆき、やがてほとんど聞こえなくなった。
  「お待たせしましたな。どうぞ熱いうちに召し上がってください」白い洋皿をふたつ、流がテーブルに置いた。
  「いい匂いですね」
  鈴木が鼻を鳴らせた。
  「向かって右手が骨付き、左が骨なしです。そのままでも美味しおすけど、ソースを付けてもろてもええと思います。よかったらソースにコショウを振ってください。ご飯もすぐにお持ちしますんで、ごゆっくりどうぞ」
  流が下がっていくとすぐ、鈴木は箸を取って骨付きのから揚げを口に運んだ。
  あのときもそうだった。
  川上のおっちゃんが、大きな皿に盛った山盛りのから揚げを、みんなの前に置いたとき、最初は何がなんだか分からなかったが、──食べていいぞ──というおっちゃんの声を合図に、一斉に手を伸ばし、から揚げにむしゃぶりついた。
  熱くて、大きくて、口の中を火傷しそうになりながら、誰もが満面に笑みを浮かべて食べ続けた。
  ──骨まで食うんじゃないぞ。歯が折れてもしらんからな──おっちゃんの言葉に、どっと笑いが起きた。
  ──ソースを付けても旨いぞ──
  そう言いながら、川上のおっちゃんは、小鉢にたっぷり入ったソースに、コショウを振りかけた。
  一刻を惜しむように、そのままかぶりつく友、おっちゃんの奨めにしたがって、ソースをたっぷり付けて、むせながら食う友。
  いつしか最後の試合に負けた悔しさは吹き飛んでいた。
  山盛りのから揚げがあっという間になくなったと思ったら、川上のおっちゃんは、また同じような大皿をみんなの前に置いた。
  ──今度のは骨なしやから、思いきり嚙かんでもええぞ──少し余裕ができたせいか、みんな競ってソースに付けて食べた。
  旨い旨いの声が飛び交った「とり岳」での時間が鈴木の胸の中ではじけた。
  あのときと同じ味だという確信はない。どん底に突き落とされたような気持ちから一転、砂漠の中のァ、シスを見つけたような気持ちになった、あの時間と今ではあまりにも条件が違い過ぎるからだ。
  鈴木は骨なしのから揚げに箸を伸ばし、コショウを入れたソースに浸してから口に入れた。
  サクッとした歯ごたえ、口いっぱいに広がる肉汁、そしてソースが絡んだ味。間違いない。あの日「とり岳」で食べたものとまったくおなじだ。
  「どないです? 合うてましたかいな」
  流が砥と部べ焼の飯めし茶ぢゃ碗わんを鈴木の前に置いた。
  「最初はおぼろげだったのですが、だんだん記憶がはっきりしてきました。これです。あの日『とり岳』で食べたのは、このから揚げです。間違いありません」鈴木が大きくうなずいた。
  「よろしおした。ご飯と一緒に食べてもろたら、もひとつ旨いと思いまっせ」「ありがとうございます。さっきからご飯が食べたくて」鈴木が照れたように笑った。
  「お茶、足りてますか」
  こいしが土瓶の蓋を開けて中を覗いた。
  「お茶を飲むのを忘れるくらいに美味しいから揚げです」鈴木の言葉どおり、土瓶の中のほうじ茶はほとんど減っていなかった。
  「不思議でしかたないんです。いったいどうやってこのから揚げが再現できたのか」鈴木が何度も首をひねった。
  「あとでお父ちゃんが説明しはると思いますけど、ほんまによう見つけはったと、うちも感心してますねん。北海道まで行かはったんですよ」「こいし、余計なこと言わんでもええ。今はゆっくり食べてもらわな」流の言葉に、こいしは舌を出して肩をすくめた。
  「お話はあとで伺うとして、今はゆっくり味わうことにします」鈴木が小さく笑うと、軽くうなずいてから、こいしが厨房の暖簾をくぐった。
  骨付きと骨なしのから揚げを交互に食べて、鈴木は湯吞をゆっくりと傾けた。
  「とり岳」でこれを食べてから、どれほどのから揚げを食べてきただろうか。プライベート、仕事を合わせると数えきれないほどだ。その中で記憶に残るものといえば、指を三本折る前に考えこんでしまうほど少ない。
  それらと比べるのも無駄に思えるくらいに、このから揚げの個性は突出していて、なおかつ食べ飽きない旨さを湛えている。だが、そのレシピを解明したからといって、仕事に役立つとも思えない。更に言えば、連敗記録を止められるとも、まったくもって思っていない。なぜ、これを捜そうとしたのか、自分でも分からないまま、鈴木は最後のから揚げにソースをたっぷり染みこませ、ご飯に載せて、一気にかっ込んだ。
  空になった白い洋皿が二枚。どちらにも油取りの和紙がしかれているが、油シミはわずかしか残っていない。どうすれば、ここまで油の切れをよくすることができるのだろうか。鈴木は皿を手に取って、まじまじと見た。
  「特別なことはなんにもしてまへんのやで」
  鈴木の疑問を見透かすように、流が笑顔を向けた。
  「不思議でしかたがないんですが」
  鈴木が皿をテーブルに戻した。
  「座らせてもろてもよろしいかいな」
  「どうぞどうぞ。種明かしを早くお聞きしたくて、うずうずしてました」「種明かしてなほど、たいそうなことやおへんのやが」デコラ張りのテーブルを挟んで、流が鈴木と向かい合って座った。
  「北海道まで行っていただいたのだとか。お手をわずらわせました」中腰になった鈴木が頭を下げた。
  「こちらこそですがな。『さつき亭』さんでは、こいしがえらい歓待してもろたそうで。
  おかげさんで、ええ温泉旅行になったみたいですわ」流が皮肉っぽい笑みを浮かべた。
  「でも、どうして鴨川さんは北海道へ?」
  「草津の『とり岳』さんは跡形も無うなってて、ご近所の方やらに訊いても、なんにも手がかりがなかったみたいなんですわ。川上さんは天涯孤独な方やったらしいて、こいしも途方に暮れとりました。そこから後はわしの勘ですわ。『とり岳』っちゅう屋号に、ちょっとした心当たりがあったもんで、釧くし路ろへ飛びましたんや」北海道の地図を、流がテーブルに広げた。
  「釧路? なぜなんです?」
  鈴木が流の顔と地図を交互に見た。
  「ザンギっちゅう食いもんをご存じですか?」「ザンギ……、聞いたことがあるような。なんだったかな」鈴木が頭をかかえた。
  「濃い味のから揚げのことを、北海道ではザンギと呼ぶみたいでっけど、いろいろ説があるんで、はっきりとはしまへん。そのザンギの発祥の店やと言われとるのが、釧路の『とり竹』っちゅう店でしてな。そこと関係があるんやないか、と思うて行ってみたんです」流が「とり竹」で撮った写真を並べた。
  「『とり岳』と『とり竹』。たしかに読み方は同じですね。このから揚げ……」鈴木がから揚げの写真を手に取った。
  「おんなじですやろ。この『とり竹』のから揚げを再現したんが、今食べてもろたこれですわ」
  流が向かい側から写真を覗きこんだ。
  「いったい、どういうことなんですか」
  鈴木が顔を上げた。
  「から揚げにソースを付けて食べる、と言うてはったんがヒントになりました。日本中には、ようけから揚げがありますけど、タレっちゅうか、ソースを付けて食べるのは、あんまりありません。そのひとつが釧路のザンギです。ザンタレっちゅう言葉があるくらい、釧路のから揚げはソースに付けるのが特徴です。おそらくそれやないかとアタリを付けてたところへもって、発祥の店と似たような屋号や。なんぞ分かるんやないかと思うて、とりあえず『とり竹』へ行ってみたというわけです」「草津ではなく北海道で捜す。そういう発想がたいせつなんですね」自分には真似できないとでも言わんばかりに、鈴木が何度も首を左右に曲げた。
  「勘を頼りにでっさかい、外れることもありますけどな」流が苦笑いして続ける。
  「今回はわしの勘が当たってよかったですわ。思うたとおり、『とり岳』の川上善三さんは『とり竹』で働いてはったんやそうです。三十年も前の話ですけどな。川上さんは、『とり竹』のご主人、坂さか倉くらさんの右腕みたいな存在やったそうです。ところが些さ細さいなことから客と言い争いになって、警察沙汰になった。店に迷惑をかけたと言うて、川上さんは店を辞めてしまわはった。それから五年ほどは坂倉さんの元に、消息を知らせる便りが届いていたそうやが、ある時からぷっつりとそれも途絶えてしもたらしい。
  草津で『とり岳』という店をやってはったと言うたら、坂倉さんは懐かしそうな顔をしてはりました」
  「そうだったんですか」
  流の話が一段落したところで、鈴木が合いの手を入れた。
  「『とり竹』の名を汚したと思うてはおっても、『とり岳』という屋号になさったところに、川上さんの複雑な思いがよう表れてるように思います。から揚げをメニューに載せんと封印してはった気持ちも、わしにはよう分かります」「それをあの日、封印を解いて僕たちにふるまってくれたんですね」「自分の人生と重なったんですやろ。わしの勝手な想像に過ぎまへんけどな」流が口の端で笑った。
  「よろしければレシピを教えていただけますか」「レシピてなたいそうなもんやおへんけど、作り方を書いたメモを後でお渡しします。坂倉さんが教えてくれはったもんです。鶏とり肉にくを食べやすい大きさに切って、塩コショウ、タレで下味をしてコロモを付けてラードで揚げる。キツネ色になったら出来上がり。ウスターソースを調合したタレに付けて食べる。言うたらそれだけですわ」「それだけと言っても、漬け込むタレや、ウスターソースを調合したタレに、何か特別な秘訣があるのでしょうね」
  鈴木が残っていたソースを指に付けてなめた。
  「坂倉はんは、特別なもんは使うてないと言うてはりましたけどな」「鶏肉もブランド地鶏を使って、タレをもっとスパイシーにして、秘伝の味付けと言って売りだせば勝てるかもしれませんね。ありがとうございます。ようやく一矢報いることができそうです」
  気持ちを昂ぶらせた鈴木が、ほほを紅潮させたが、流は無言のまま、ゆっくり立ち上がった。
  「やっぱり鴨川さんにお願いして正解でした。早速クライアントさんに提案してみます」鈴木は前のめりになっていた。
  「よろしおした。簡単に作り方を書いたメモと、タレを入れときます」流は表情ひとつ変えることなく、紙袋を鈴木に手渡した。
  「ありがとうございます。前回いただいたお料理の分と併せてお支払いを」鈴木が長財布を出した。
  「こいし」
  流が厨房に向かって声を上げた。
  「もう済んだん?」
  タァ‰で手を拭いながら、こいしが厨房から出てきた。
  「支払いのことを言うてはる」
  ぶ然とした顔つきで流が言った。
  「うちは探偵料もお食事代もお客さんに決めてもろてます。お気持ちに見合う分をこちらに振り込んでください」
  こいしがメモ用紙を鈴木に渡した。
  「承知しました。大きな仕事につながりそうなので、精いっぱいの金額をお支払いさせていただきます」
  受け取ってていねいに折りたたんだメモ用紙を、鈴木が財布にしまった。
  「鈴木はん」
  帰り支度をはじめた鈴木の前に立ち、流がまっすぐに目を見た。
  「なんでしょう」
  気け圧おされたように、鈴木が半歩下がった。
  「『さつき亭』はんで、掬子がお代わりをお願いしたんは何やったか、覚えてはりますか?」
  「たしか千切りキャベツでしたね」
  「そうです。ただキャベツを切っただけのもんを、なんで掬子がわざわざお代わりを頼みよったか。お分かりになりまっか?」
  「美味しかった……からですよね」
  鈴木が怪け訝げんそうな顔を流に向けた。
  「そのとおり。美味しかったからですけど、なんで美味しかったか、分かりまっか?」「なんだか禅問答みたいですね。美味しいものは美味しい。だけじゃいけないんですか?」
  鈴木の表情からは、いくらか面倒がっている様子がうかがえる。
  「『さつき亭』さんへ伺う三日ほど前に、掬子の親知らずが腫れてしもたんで、歯医者はんで抜いてもろたんですわ。八寸をいただいとるときに、そんな話をわしと掬子がしとったんを、仲居さんが聞いてはったんですわ。傷口に障らんよう、あとは柔らかくしてお出しします、て言うてくれはりましてな」
  流が天井に目を遊ばせた。
  「ひょっとしてキャベツもですか?」
  鈴木が目を大きく見開いた。
  「軽ぅに塩をして柔らこうして、けどシャッキリした感覚を残すのは至難の業ですんや。
  それを見事にやってのけはったことに感動したんですやろな。掬子がお代わりしよったんは、板場の皆さんへの感謝のしるしです。それに気づかはったお父さんが、わざわざ部屋に来てくれはった。それからのお付き合いなんですわ」流の話を聞いていた鈴木は無言のままで立ちすくんでいる。
  「旨いもん、っちゅうのは、そういうことですんや。特別な食材を使うやたら、秘伝のタレてなもんは、頭には残るかもしれまへんけど、心には響きまへん。お客はんのために何ができるか、何をどうしたらお客はんの心に伝わるか。食いもん商売で一番大事なんはそこです。たしかにあなたが『とり岳』で食べはった、そのときのから揚げは、飛びきり旨かったかもしれまへん。けど、その旨さを感じ取ったんは舌でもなければ胃袋でもない。
  心なんですわ」
  一気に語る流の目は真っ赤に充血している。
  「もうひとつ。ザンギが生まれたきっかけはブロイラーやったということも、頭の片隅に置いといてください。手軽に使えるようになった鶏肉を、どないしたら安うて美味しい料理にできるか、知恵を絞った結果がザンギでしたんや。今みたいに食通があれこれ難癖を付けん、ええ時代やったんですなぁ。ブランド地鶏やとかの特別な食材を使わんと、秘伝やとかなんとかもったいぶらんと、旨いもんが手軽に食える。それが一番やった。今とはえらい違いですわ」
  流が大きなため息をついた。
  「ありがとうございます。お話ししていただかなかったら、きっと僕は大きな勘違いをしたまま仕事を続けていたと思います。今のお言葉を肝に銘じます」鈴木が深々と頭を下げた。
  「よろしおした」
  流が口元をゆるめた。
  「寒ぅなりましたさかい、気をつけてお帰りくださいね。ご両親にお会いになったら、くれぐれもよろしゅうお伝えください」
  こいしが引き戸を開けた。
  「必ず申し伝えます。今日、流さんからお聞きした話も」鈴木はまっすぐに唇を結んだ。
  敷居をまたいだ鈴木の足元に、トラ猫がかけ寄ってきた。
  「飼い猫ですか?」
  屈かがみ込んで鈴木がトラ猫の頭をなでた。
  「飼い猫かどうかは分からへんけど、名前は付いてます。いっつも昼寝してるから、ひるねていうんですよ」
  こいしが鈴木の横に並んだ。
  「ひるねちゃんかぁ。いいなぁ、いつも昼寝ができて。勝ち負けもないし」鈴木がゆっくりと立ち上がった。
  「野球の試合やとかは、勝ち負けの結果がすぐに出ますけど、人生の勝ち負けてなもんは無いもおんなじです。あえて言うんやったら、勝ったり負けたりの繰り返しが人生です」流の言葉に大きくうなずいて、鈴木は正面通を西に向かって歩き始めた。
  ひるねがその後をゆっくり追う。
  「ひるね、迷子になるよ」
  こいしが声をかけると、ひるねはその場に座りこんだ。
  鈴木の背中を見送って、流とこいしは店に戻った。
  「一件落着してよかったな。お父ちゃんの怖い顔、久しぶりに見たわ」こいしが肩をすくめた。
  「勘違いしたまま帰したら、ご両親に申し訳がたたんさかいな」カウンター席に腰かけた流は新聞を広げた。
  「お父ちゃん」
  こいしが流の背中に声をかけた。
  「なんや」
  新聞を両手で広げたまま、流が振り向いた。
  「三人で『さつき亭』に泊まりたかったわ。あのお座敷で、三人で川の字になって寝たかった」
  こいしが涙ぐんで、仏壇に向かった。
  「まさかあれが、掬子の最後の旅行になるとは思わなんださかいな」流が掬子の遺影を見つめた。
  「きっとお母ちゃんは気づいてはったんやと思う。お父ちゃんとふたりだけで最後に温泉へ行きたかったんや」
  こいしが線香をあげた。
  「そうかもしれん。『さつき亭』におる間、ずっとわしに文句ばっかり言うとった。最後の愚痴やったんかな」
  「お母ちゃんらしいな」
  ふたりは同時にてのひらを合わせた。
 
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