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第七卷 第二話 春巻 1_鴨川食堂(鸭川食堂)_日语阅读_日语学习网

时间: 2024-10-24    作者: destoon    进入日语论坛
核心提示:  1  葉は山やま聡さとしは、尾おの道みちから在来線でのんびりと京都へ向かった。新尾道から福山を経由して、山陽新幹線に
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  葉は山やま聡さとしは、尾おの道みちから在来線でのんびりと京都へ向かった。新尾道から福山を経由して、山陽新幹線に乗れば一時間半ほどで着くのだが、在来線だとおよそ四時間半の長旅になる。
  常に時間と戦っていた現役時代なら考えもしなかったが、時間を持て余している今の身には、何ほどの苦痛もない。
  二度乗換をし、時折り車窓から見える海に目を細めながら、遠いむかしを思いだすうち、電車は十二時半に京都駅へ着いた。
  尾道に比べると少し寒く感じるが、思っていたほどではない。ダウンコートではなく、キャメルのショートコートで正解だった。
  改札口を出て、京都タワーを見上げると、京都に来た実感が湧いてくる。灯台をモチーフにしたと聞いたことがあるが、なかなかよくできたデザインだ。
  ──食捜します 鴨川探偵事務所──
  たまたま手にした料理雑誌の一行広告を見て、居てもたってもいられずやってきた京都だが、本当に捜してくれるのだろうか。いささか不安になるものの、もしダメだったら京都観光に来たと思えばいい。どうせ毎日無為に暮らしているのだから。
  京都タワーを左に見上げながら、烏丸通を北に向かって歩く。編集部に教わったとおりに進めばたどり着けるだろう。
  聡は物見遊山を装い、わざときょろきょろ周囲に目を配りながら、ゆっくりと歩を進めた。
  幼いころから聡は傷つくことをひどく怖おそれる性た質ちだった。ただ自尊心が強いだけではなく、極端に臆病な性格だった。だから別れた妻にもプロポーズはしなかった。妻のことを思いだしているうち、目指している店らしき建家の前に着いた。
  こほんとひとつ咳せきばらいをして、聡はゆっくりと引き戸を横に引いた。
  「すみません」
  「はーい」
  間髪をいれず女性の声が返ってきた。
  「いらっしゃい」
  黒いエプロンを着けた若い女性が出てきた。
  「この辺りに『鴨川探偵事務所』というところがあると聞いて来たのですが、ご存じありませんか」
  敷居をまたぐことなく聡が訊きいた。
  「うちがその『鴨川探偵事務所』ですけど、食を捜してはるんですか?」「なんだ。こちらだったんですか。なんだか食堂のようなので」ホッとした顔をして、聡が店に足を踏み入れた。
  「ここはお父ちゃんがやってる『鴨川食堂』。探偵のほうは奥にあるんですよ。うちが所長の鴨川こいしです」
  「そういうことでしたか。食を捜していただきたくて、尾道から参りました葉山聡です」聡が名刺を差しだすと、受け取ってこいしがまじまじと見ている。
  「『アンカー』。お店をやってはるんですか」「小さなギャラリーをやってます。船が好きなもので、模型だとか船の絵や船舶用具などを並べて売っているんです」
  「おいでやす。食堂の主人をしとります鴨川流です」作さ務む衣え姿の流が和帽子を取って一礼した。
  「尾道から参りました葉山です。突然お邪魔して申しわけありません。『料理春秋』という雑誌の広告を見て、食を捜していただきたくて参りました」「葉山はん。お腹なかのほうはどないです? ちょうどお昼のお客さんが一段落したとこやさかい、おまかせでよかったらご用意できまっけど」「いいんですか? 後先考えずに来たものですから、お昼をどうしようか迷っていたところです。お言葉に甘えさせていただいてよろしいでしょうか」「どうぞどうぞ。うちは食堂でっさかい、食べてもらうのが仕事です。なんぞ苦手なもんはおへんか?」
  「子どものころから好き嫌いなくなんでもいただきます」「ほな、ちょっとだけ待ってとぉくれやっしゃ。すぐにご用意しまっさかい」和帽子をかぶり直して、流が厨房に入って行った。
  「どうぞお掛けください」
  こいしがパイプ椅子を奨すすめると、ショートコートを脱いだ聡は、隅っこのテーブル席に座った。
  「お酒はどうしましょ。いちおうひと通り置いてますけど」「あまり強いほうではないのですが、せっかくですからワインでもいただけますか」「白か赤かどっちがよろしい?」
  「飲みやすい白があればお願いします」
  「分かりました」
  こいしも厨房に入って行き、聡はひとり食堂に残った。
  尾道にもこういう大衆食堂が何軒もあったが、ほとんどの食堂はいつの間にか店仕舞いしてしまった。京都ではほかにもこんな食堂が残っているのだろうか。
  飾り気のない店で目立つのは、壁掛けテレビの横の棚に設しつらえられた神棚だ。子どものころに神棚にいたずらをして、父親にこっぴどく られたことがある。それを機に神棚のお神み酒きや榊さかきを世話するのは聡の役割になった。
  結婚して新居を建てたときも、真っ先に神棚の場所を決めたくらいだったが、妻は陰気だと言って、いっさい関わりを持たなかった。
  思えば結婚当初から行き違うことが少なくなかった。今さら後悔しても遅すぎるのだが。
  「最近は日本のワインばっかり飲んでますねんけど、けっこう美お味いしいですよ」こいしが白ワインのボトルを見せた。
  「〈甲州ドライ〉、辛口なんですね。日本のワインは久しぶりなので愉たのしみです」聡はこいしがボトルを開ける様子をじっと見つめている。
  「シャトー酒さか折おりていうワイナリーなんですけど、香りもええし美味しいんですよ。飲みやすいもんやさかい、ついつい飲み過ぎてしまうのが玉に瑕きずですけどね」こいしがワイングラスに注ついだ。
  「ほんとうに。リンゴのような甘い香りがしますね」聡がグラスを鼻先に近づけた。
  「けど、味はけっこう辛口なんですよ」
  「こいしさんはお酒が強そうですね」
  「強いかどうかは分かりませんけど、飲むのは好きです」こいしが白い歯を見せた。
  「えらいお待たせしましたな」
  大きな盆を両手で持って、流が厨房から出てきた。
  「これはまた立派なお料理ですねぇ。失礼ながら食堂だと思って、気楽にお願いしたのですが」
  流がテーブルに料理を並べると、聡が目をみはった。
  「今日は小皿料理にしてみました。品数は多おすけど、量はたいしたことないんで、軽ぅに召しあがってもらえる思います」
  「ボトルを置いときますよって、好きなだけ飲んでください。うちは事務所のほうで準備してきますわ」
  こいしが下がって行った。
  「簡単に料理の説明をさせてもらいます。左の上、織おり部べの小鉢に入っとるのはフグのぶつ切りです。もみじおろしを混ぜたポン酢をジュレにして載せてます。その右の赤絵
  の小皿はノドグロの柚ゆ子ず塩焼き。お好みで柚子胡こ椒しょうを付けてください。その右隣の染付皿はゴマ豆腐の天ぷら。ワサビを添えとりますんでお好みでどうぞ。右端の切子鉢は鶏とりササミとリンゴの白しら和あえ。その下の竹籠には牛ヒレのカツを入れとります。辛から子しソースを付けて召しあがってください。その左横の白磁の小皿はマグロの漬け。薄切りにしてミルフィーユにしてみました。刻みワサビを間にはさんでます。
  その左の小さいお椀は蕪かぶら蒸むしです。左端の信楽しがらきの小鉢はキンメダイの煮付け。小さい切身でっけど肉厚で旨うまい思います。その下の懐紙に包んどるのは小こ海え老びのかき揚げ。紫し蘇そ塩を振って召しあがってください。その右の蓋もんの小鉢は五目おこわ。もみ海の苔りを振ってもろても美味しおす。右手の小さい土鍋はアワビのグラタンです。どうぞごゆっくり召しあがってください」盆を小脇にはさみ、流は料理の説明を終えた。
  「こんなご馳ち走そうをいただくのは生まれてはじめてです。すごい料理ですね」聡は目を白黒させてテーブルを見まわしている。
  「そないたいそうなもんやおへん。わしの気まぐれ料理でっさかい。今日は寒さもちょっとましなんで、ご飯の代わりにせいろ蕎そ麦ばを用意しとります。ええとこで声掛けてもらえますか」
  「食が細いほうなので、そこまでたどり着けるかどうか自信はありませんが」「多かったら残してもろてもええんでっせ。まぁ、ゆっくり召しあがってもろたらよろしい」
  そう言い置いて、流が厨房に戻って行った。
  どれから箸を付ければいいのか。聡はずっと迷っている。決まった順番でもあるのなら教えて欲しかった。やっぱり生ものから食べるべきか。それとも温かいものが先か。
  迷ったあげく、聡は椀ものの蕪蒸しから食べ始めることにし、手を合わせた。
  ほんのり湯気は上がっているが、まさかそれほど熱いとは思わず口に運び、あわてて吐きだしそうになった。それほどに熱々なのだ。そして、なんとやさしい味わいなのだろう。たしか京都では、こういうときに、ほっこりという言葉を使うのだ。
  最初にこれを食べたのは正解だっただろう。次はやはりフグぶつだ。尾道でも先さき附づけのあとは刺身。それも白身がおきまり。マグロの漬けにも魅ひかれたが、瀬戸内生まれとしては、ポン酢味の白身に白ワインを合わせたい衝動が勝った。
  甘みを抑えたポン酢のジュレとフグ。ついつい顔がほころんでしまう。料理を食べてこんな気分になるのはいつ以来だろう。ほとんど記憶にない。
  幸か不幸か、子どもに恵まれなかったせいで、いつも、だんらんという言葉とは無縁の食事だった。
  夕食のあいだはずっと妻の愚痴を聞かされ、砂を嚙かむような食事を紛らわすためだけのビールで胃に流しこんでいた。
  きっとそれは妻もおなじだったのだろう。愚痴をこぼさないときはずっと無言で、笑顔など見せることなく、ぼそりと、──ごちそうさま──とつぶやいて箸を置く。
  いやな思い出を吹っ切るように箸を伸ばしたのは牛ヒレのカツだった。竹を編んだ小さな籠に三切れのカツが入っている。盃さかずきほどの小鉢に入った茶色いソースに、どっぷりと浸して口に運ぶ。
  ほんとうに美味しいものは、食べたあとに言葉など出ないのだ。嚙みしめながらそう思った。
  キンメダイの煮付けに箸を付けた。
  ただただ美味しい。どんなキンメダイなのか、どんな調味料を使って、どう料理したのか。
  それは料理を作る側にまかせればいい。食べるほうは、余計なことを考えず、ただただ無心に食べればいい。そんなことを語りかけてくる料理だ。
  白ワインで喉を湿らせ、ひと息つく。まだまだ料理はたくさん残っている。食が細いなどと言ったことが恥ずかしくなるくらい、食欲をかき立てられ、完食は間違いなさそうな上に、まだお腹を鳴らしている。
  鶏ササミとリンゴの白和えを食べる。鶏肉とリンゴと豆腐という、ありきたりの素材を和えただけなのに、しみじみと美味しい。そしてどこか懐かしい。
  おそらくはじめて食べる取り合わせのはずなのに、子どものころに何度も食べていたような気がしてしまう。なぜなのだろう。
  「どないです。お口に合おうてますかいな」
  常とこ滑なめ焼の急須と京焼の湯ゆ吞のみを持って、流が厨房から出てきた。
  「口に合うなんて畏れ多い。美味しいものばかりで口が腫れそうです」「よろしおした。お茶置いときますよって、どうぞごゆっくり」「ありがとうございます。お言葉に甘えてゆっくりやらせていただきます」聡はワイングラスをかたむけた。
  マグロの漬けを箸で取って驚いた。透けるほどの薄切りにしたマグロが重なっているのだ。そして舌に載せるとさらに驚きは深まった。はじめて食べる食感と味わいなのだ。
  世の中にこんな旨いものがあるのか。そう叫びたくなると同時に、今すぐにこれを食べさせたいと思う女性の顔が浮かび、聡はひとり顔を赤らめた。
  我に返った聡は、旨いものを食べるためにここを訪れたわけではないことを思いだした。
  そう言えば、事務所のほうで準備をすると言ってこいしが下がって行ったのは、ずいぶん前のことだ。
  急がなくては、という思いもありながら、余韻を味わいたい気持ちもある。たしかせいろ蕎麦も用意されているはずだ。
  「すみません」
  思ったより大きな声が出てしまった。
  「なんでした?」
  「お嬢さんを長くお待たせしてしまったので、お蕎麦はもうけっこうです。うっかりしていて……」
  聡が立ちあがったのを、流がやんわりと制した。
  「心配要いりまへん。これぐらいの時間はふつうですし、食事を愉しんでもらうのも、うちの仕事ですさかいに。今すぐお持ちします」小走りで流が厨房に戻って行った。
  仕方なくといったふうに座りこんだ聡は、何でも急せいてしまう自分に嫌気がさす。
  「蕎麦屋やおへんさかいに、挽ひきたてでも打ちたてでもありまへん。宇治のお茶を使つこうた茶そばです。薬味はネギやワサビやのうて辛味大根。蕎麦つゆにこれをたっぷり入れて、茶そばを絡めながら食うてください」
  せいろに載った鮮やかな緑色のそばからは、かすかにお茶の香りが漂ってくる。
  「食べ終わらはったら、また声掛けてください。奥のほうへご案内します」「急いでいただきます」
  聡は中腰になって手を合わせた。
  茶そばというものがあるとは聞いていたが、食べるのははじめてだ。形状こそ似ているものの、ふつうの蕎麦とはまったく別ものだ。むっちりとした食感は、ひやむぎに似ていなくもないが、味わいは異なる。何より辛味大根との相性がいい。大根おろしにワサビを混ぜた感じ、というのが一番近いか。喉越しも佳よく、するすると口に入るのでいくらでも食べられそうだ。
  麺一本も残さず食べ切り、聡は箸を置いて手を合わせた。
  「ゆっくり食べてもろたらよろしいのに」
  箸を置いた音に気付いたのか、流が苦笑いしながら聡の傍そばに立った。
  「ごちそうさまでした。何もかも美味しくいただきました」立ちあがった聡は少しばかりよろけた。
  「大丈夫でっか」
  あわてて流が肘をささえた。
  「すみません。ちょっと飲み過ぎてしまったかもしれません」聡の視線の先には、わずかしか残っていない白ワインのボトルがあった。
  「段差はおへんけど、ところどころ余計なもんが置いたぁりますさかい、気ぃ付けて歩いとぉくれやっしゃ」
  足もとを指しながら、ゆっくり歩く流のあとを聡がついていく。
  「この写真は?」
  立ちどまって、聡が両側の壁に貼られている写真を見まわした。
  「なかには記念写真みたいなもんもありまっけど、たいていはわしが作った料理の写真です。わしは料理のレシピてなもんを残さへんので、写真で記録しとるんですわ」歩を止めて流が振り向いた。
  「それにしてもすごいバリエーションですね。和洋中なんでもござれってことですか」「家内は器用貧乏やて言うとりましたけど」
  流が歩きだした。
  「過去形でおっしゃったのは、離婚されたという意味ですか?」「先にあっちへ行きましたんや」
  歩きながら流が天井を指さした。
  「そうだったんですか。失礼しました」
  聡が首をすくめた。
  独り身の男性に出会うと、つい同類かと決めこむ悪いクセがついてしまった。
  突き当たりのドアを流がノックすると、すぐにドアが開き、こいしが首を伸ばした。
  「どうぞ」
  「あとはこいしにまかせてますんで」
  きびすを返して、流が食堂へ戻って行った。
  「長いことお待たせして申しわけありませんでした」部屋へ入るなり聡は深く一礼した。
  「ええんですよ。愉しんで食べてもろたらお父ちゃんも喜ばはるし。気にせんと、どうぞお掛けください」
  こいしがロングソファを奨めた。
  「なんだか緊張しますね。さっきまで酔っぱらっていたのですが、こうして向かい合うといっぺんに醒さめてしまいました」
  ローテーブルをはさんで、聡はロングソファの真ん中に腰かけた。
  「気楽にしてくださいねぇ。簡単でええので書いてもらえますか」こいしがバインダーを手わたした。
  受け取って聡は、探偵依頼書にすらすらと記入している。
  「コーヒーかお茶かどっちにしましょ」
  「コーヒーをいただきます」
  こいしの問いかけに即答して、聡がバインダーをローテーブルに置いた。
  「尾道から来はったんですよね。映画によう出てくるとこですやん。坂のある街て憧れますわ」
  バインダーを横に除のけて、こいしが二客のコーヒーカップをローテーブルに置いた。
  「たしかに情緒はありますが、暮らすとなるとけっこう大変なんですよ」「イメージはええけど、実際に住んだらしんどいいう意味では、京都といっしょかもしれませんね」
  コーヒーをひと口飲んで、こいしがバインダーを膝の上に置いた。
  「よろしくお願いします」
  聡が身体からだを固くした。
  「葉山聡さん。芸名みたいやけど本名なんですよね」「はい。生まれたときから葉山聡です」
  「ご家族なし、て結婚してはらへんのですか」「いわゆるバツイチですが、子どもは居ません。姉がひとり居ますが、めったに会うことはありません。両親は早くに亡くなりました」「なんや最近そういう人多いみたいですね。たまたまうちに来はる人がそうなんかもしれんけど」
  こいしが小首をかしげてから続ける。
  「どんな食を捜してはるんです?」
  「春巻、だろうと思います」
  聡は断定を避けた。
  「記憶が不たしかなんですね。ということは、うんとむかしの話ですか」ノートを開いて、こいしがペンをかまえた。
  「僕は今六十五歳。小学三年生のころのことですから、五十年以上も前になりますか」「春巻て中華料理のあれですよね」
  「ええ。具を皮で巻いて揚げてある、あれです」「あれを五十年以上も前に、子どもが食べてはったんや。ハイカラなおうちでしたんやね。尾道のお店でですか?」
  「尾道ですけど、お店でも、うちの家でもないんです。友だちの家へ遊びに行ったとき、お母さんがおやつに出してくれたものです」
  聡がコーヒーに口を付けた。
  「おやつに春巻? めっちゃァ》ャレですやん」こいしはノートに春巻のイラストを描いている。
  「春巻だと勝手に思っているだけで、違うものかもしれません」「けど、春巻は春巻やしね。別のもんと間違うようなことはないと思いますけど」「だと思うのですが」
  聡はしきりに首をかしげている。
  「春巻やと言い切れへんのは、なんでですやろ」「皮なんです」
  「皮?」
  「春巻の皮って、薄くてパリッとしてますよね。でもあのときの春巻の皮は厚みがあって、パリッじゃなくて、サクッ、ていう感じだったと思うんですよ」「五十年も前、しかも子どもやったのに、よう覚えてはりますやん。よっぽど美味しかったんやろなぁ」
  ノートに書き留めながら、こいしが苦笑いした。
  「何度もその春巻を食べましたからね。うろ覚えでも積み重なると、なんとなく記憶がよみがえってくるんです」
  聡が遠くに目を遊ばせた。
  「友だちのおうちは中華料理屋さんかなんかやったんですか?」「いえ。ふつうの家でした」
  「ふつうの家やのに、子どものおやつに何べんも春巻を出してくれはった、んですね」「ヘンですか?」
  「ヘン、ていうことはありませんけど、なんかふつうとは違うなぁと」「やっぱり記憶違いなのかな。そう言われると自信がなくなってしまいます。まったくふつうのお母さんでしたから」
  「そのへんの話を詳しいに聞かせてもらえますか」こいしがペンを握りなおした。
  「小学三年生のとき、うちのクラスに転校生が入って来ましてね。長崎から来た木き元もと扶ふ美み江えという女の子が、ちょうど僕の隣の席になったんです。利発というか、ハキハキした子で、ボーイッシュな感じでした」「うちもそんな感じやったかなぁ。よう男の子と間違われました」「扶美江もそうでした。隣のクラスの子たちが覗のぞきに来ては冷やかしていました。髪型も服装も男の子っぽかったですから」
  「もしかして葉山さんは、そういうタイプの女性が好きやったんと違います?」「分かりますか?」
  聡が顔を紅あかく染めた。
  「分かりますよ。目ぇが輝いてますもん」
  「すぐに仲良くなりましてね。扶美江の家がすぐ近くだったこともあって、お互いの家を行き来するようになりました」
  「お住まいはどのへんやったんです?」
  こいしがタブレットの地図アプリを開いた。
  「尾道の対岸にあたる向むかい島しま。うちの家がここで、扶美江が住んでいたのは、造船会社の社宅だったので……、ここですかね」聡がディスプレイを指でタップした。
  「向島て、尾道の対岸にあたる島なんですね」「島と言っても、本州から二百メートルほどしか離れていません。当時橋は架かってなくて、渡し船で行き来したんですよ」
  「なんや愉しそうですね。二百メートルやったら泳いで渡れそうやなぁ」「尾道の向かいにあるから向島。子ども心に単純な名前だなと思っていました」「そこの社宅で、長崎から引っ越して来た扶美江さんのお母さんが、おやつに春巻を出してくれはったんですね」
  こいしはノートに春巻のイラストを描き足している。
  「もちろん手作りのお菓子も出してもらっていましたよ。特にカステラは扶美江の大好物でしたから」
  「カステラて言うたら長崎ですもんね。手作りて食べたことないです。美味しいんやろなぁ」
  「でもなぜか、春巻が一番印象に残っているんです」聡が向かいからノートを覗きこんだ。
  「その春巻ですけど、皮以外にどんな特徴があったか覚えてはりますか? どんな具が入ってたかとか、お醬しょう油ゆやら辛子やらを付けて食べたかとか」「扶美江の家の縁側で並んで食べたことだけは、はっきり記憶に残っていますが、正直なところ中の具までは覚えていないんですよ。お醬油とかを付けた記憶がないので、たぶん何も付けずにそのまま食べていたように思います」聡はぼんやりと天井を見ながら答えた。
  「まぁ、中華屋さんでも、いろんな具が入っていますし、なんにも付けんと食べることもありますしね」
  こいしが小さくうなずいた。
  「十回以上は食べたと思うのですが、春巻よりも扶美江との会話に夢中だったので、詳しく覚えていないんです。あいまいなことですみません」「子どものおやつに春巻を出さはるぐらいやから、たぶんほかにもいろんなお菓子とか出してくれはったんやろね」
  「だと思います。扶美江のお母さんはお菓子作りが得意で、自宅でお菓子の教室を開いたりもしていました。若いころは日本史の先生だったみたいで、人に教えることも好きだったのでしょうね」
  「男の子やから甘いもんより、おかずっぽいもんがええかなと思うて、春巻を出してくれてはったんかもしれませんね」
  「もうひとつ印象に残っていることがあって、春巻が出てくるときって先に分かるんです」
  「どういう意味です?」
  「ふだんは僕の下の名前を呼ぶことはないんですが、扶美江がお母さんに、今日は聡だよ、って言うんです。そんなときは必ずと言っていいほど春巻がおやつに出てきた。あとから気付いたことなんですけどね」
  「聡さんが春巻好きやったからと違います?」「そうかもしれません。美味しい、好物だって言ってましたから」「今日は聡くんが来てるから、分かってるね、お母さん。春巻を出してね、っていう合図やったんでしょうね」
  「きっとそうだと思います」
  聡が嬉うれしそうにはにかんだ。
  「その春巻を今になって捜そうと思わはったんはなんでです? 差しつかえなかったら聞かせてください」
  「少し話は長くなるのですが……」
  「いいですよ。お話を聞かせてもらうのが、うちの仕事やさかい」こいしはノートのページを繰った。
  聡は頭のなかで言葉をつなぎ合わせるのに、しばらく時間を掛けた。
  こいしがコーヒーカップをソーサーに置いたのを切っ掛けにして  「もちろん手作りのお菓子も出してもらっていましたよ。特にカステラは扶美江の大好物でしたから」
  「カステラて言うたら長崎ですもんね。手作りて食べたことないです。美味しいんやろなぁ」
  「でもなぜか、春巻が一番印象に残っているんです」聡が向かいからノートを覗きこんだ。
  「その春巻ですけど、皮以外にどんな特徴があったか覚えてはりますか? どんな具が入ってたかとか、お醬しょう油ゆやら辛子やらを付けて食べたかとか」「扶美江の家の縁側で並んで食べたことだけは、はっきり記憶に残っていますが、正直なところ中の具までは覚えていないんですよ。お醬油とかを付けた記憶がないので、たぶん何も付けずにそのまま食べていたように思います」聡はぼんやりと天井を見ながら答えた。
  「まぁ、中華屋さんでも、いろんな具が入っていますし、なんにも付けんと食べることもありますしね」
  こいしが小さくうなずいた。
  「十回以上は食べたと思うのですが、春巻よりも扶美江との会話に夢中だったので、詳しく覚えていないんです。あいまいなことですみません」「子どものおやつに春巻を出さはるぐらいやから、たぶんほかにもいろんなお菓子とか出してくれはったんやろね」
  「だと思います。扶美江のお母さんはお菓子作りが得意で、自宅でお菓子の教室を開いたりもしていました。若いころは日本史の先生だったみたいで、人に教えることも好きだったのでしょうね」
  「男の子やから甘いもんより、おかずっぽいもんがええかなと思うて、春巻を出してくれてはったんかもしれませんね」
  「もうひとつ印象に残っていることがあって、春巻が出てくるときって先に分かるんです」
  「どういう意味です?」
  「ふだんは僕の下の名前を呼ぶことはないんですが、扶美江がお母さんに、今日は聡だよ、って言うんです。そんなときは必ずと言っていいほど春巻がおやつに出てきた。あとから気付いたことなんですけどね」
  「聡さんが春巻好きやったからと違います?」「そうかもしれません。美味しい、好物だって言ってましたから」「今日は聡くんが来てるから、分かってるね、お母さん。春巻を出してね、っていう合図やったんでしょうね」
  「きっとそうだと思います」
  聡が嬉うれしそうにはにかんだ。
  「その春巻を今になって捜そうと思わはったんはなんでです? 差しつかえなかったら聞かせてください」
  「少し話は長くなるのですが……」
  「いいですよ。お話を聞かせてもらうのが、うちの仕事やさかい」こいしはノートのページを繰った。
  聡は頭のなかで言葉をつなぎ合わせるのに、しばらく時間を掛けた。
  こいしがコーヒーカップをソーサーに置いたのを切っ掛けにして、聡が口を開いた。
  「あとから思えば、初恋だったんです。扶美江とはその後もずっと仲良しでした。小学生のころは異性という意識はあまりありませんでしたが、中学に入ったころからは、扶美江のことを女子として好きになりました」
  聡は冷めたコーヒーをなめるように飲んだ。
  「初恋かぁ。いいですね。聞いてるだけでもなんや胸がきゅんとします。小学三年生から中学までやったら七年にもなりますやん。そのあとは?」「中学を卒業すると同時に、扶美江は長崎に帰って行きました。彼女のお父さんは造船会社に勤めていて、長崎と尾道の両方に会社があったと聞きました。転勤で尾道に来て、また長崎に戻って行ったんです」
  「長崎も尾道も行ったことないんですけど、どっちも絵になる街なんやろなぁ。寂しい思いをしはりましたね」
  「扶美江も僕のことを好いてくれていましたから、別れがつらかったです」「そのあとは?」
  「高校に入ってからはもっぱら文通でしたが、大学に入ったときに福岡で会って、交際を申し込みました」
  「すごいですねぇ。小学三年生から大学に入るまでて言うたら、十年になりますやん。初恋をそこまで貫くやなんて、よっぽど相性がよかったんですね」こいしはノートに大きなハートマークを描いた。
  「僕たちもそう思っていましたが、やはり遠距離恋愛というのは難しいですね」聡が顔を曇らせた。
  「結婚にまでは至らへんかったんですか?」
  「僕は岡山の大学で、扶美江は長崎の大学に入りました。その中間地点の福岡で、何度かデートしましたが、交通費もかさみますし、お互いの日程をすり合わせたりしていると、月に一度会えばいいほうで、二か月、三か月と会う間隔が長くなるようになってしまって。扶美江は強い女性でしたが、僕は寂しがり屋なもので、岡山の女子大生と付き合うようになりました」
  「二股交際してはったんですか」
  眉を上げてこいしが語気を強めた。
  「結果的にはそうなってしまいました」
  「扶美江さんは気付いてはったんですか?」
  「僕のほうから伝えました。ほかに好きな人ができたから別れようって」「子どものころからずっと、十年ほども好きやった人やのに、そんな簡単に別れようて言えるもんなんですか」
  小鼻を膨らませたこいしは、ハートマークを二重線で消した。
  「怖かったんですよ」
  聡は小さくため息をついた。
  「扶美江さんがですか?」
  こいしは目を白黒させている。
  「扶美江がじゃなくて、扶美江にフラれるのが怖かったんです」「そんな兆候があったんですか?」
  「僕は子どものころからとても臆病な性格で、そのくせ自尊心だけは強かったんです。扶美江は誰とでもすぐに仲良くなれる性格ですから、きっと彼のひとりやふたりできているに違いない。いつ別れを切りだされるかと、デートの度にハラハラしていました。向こうから言われる前に、こっちから言いだせば傷つかずに済む。そう思ったんです」聡が空からのコーヒーカップを持ち上げた。
  「お代わり淹いれますね」
  立ちあがってこいしは、コーヒーマシンのスイッチを入れた。
  「すみませんね、長くなってしまって」
  「ええんですよ。男の人でもそういう考えかたしはるんや、て、ちょっとびっくりですわ」
  「一般的な男性はどうだか知りませんよ。でも僕はそうでした。大学時代の友人には、ナンパに明け暮れている男も居ましたからね。百人ナンパして、九十九人断られても、ひとり当たればいいんだ、なんてうそぶいていましたよ」「そうかぁ。千差万別なんですね。当たり前やけど」こいしが聡のコーヒーカップを替えた。
  「女性もそうでしょ。とっかえひっかえ相手を替える人も居ますし、ガードを固くして、取り付く島もないような女性も居ますし」
  聡がコーヒーに口を付けた。
  「うちはどっちでもないかな」
  ソファに座って、こいしが肩をすくめた。
  「別れを切りだしても、扶美江は表情ひとつ変えませんでした。落ちこむわけでも、怒るわけでもなく、あっさりと承諾したのには拍子抜けしました」「泣いてすがって欲しかった、いうことはないんでしょ?」「そこまでされると困りますけど、まったく反応がないというのもね。長い付き合いだったんですから」
  「失礼を承知で言わせてもろたら、めっちゃ勝手な言い分やと思いますよ。たしかに表向きは平然としてはったかもしれんけど、心のなかでは泣いてはったかもしれんやないですか。自分はちゃんと次の女性を確保しといてから、別れようて言うやなんて、ひきょうや思います」
  こいしは一気にまくしたて、コーヒーをひと口飲んでから続けた。
  「すみません。言い過ぎました。すぐむきになるのはうちの悪いクセですねん」「おっしゃるとおりだと思います。ひきょうだし、勝手だし、姑こ息そくだし、最低の男です。頰ほっぺたを引っ叩ぱたかれても当たり前なのに、扶美江は笑って握手をしてくれました。──またいつか会えればいいね──そう言って帰って行きました」聡は目に薄うっすらと涙を浮かべた。
  「なんかせつない話やけど、その扶美江さんは今どないしてはるのかご存じなんですか?」
  こいしがペンをかまえた。
  「今年のお正月に中学の同窓会がありましてね、十年ぶりくらいに出席したんですよ。
  ひょっとして扶美江が来るんじゃないかと思って。そしたら姿が見えなかったので、さりげなく幹事に消息を訊いたんです」
  「そこでも、さりげなく、なんや」
  こいしが口もとをゆるめた。
  「三つ子の魂百まで。一生この性格は直らないでしょうね。四年前の正月明けに妻と離婚するときもおなじでした。定年退職してから疎ましがられてるなと気付いた時点で、先手を打って離婚を申し出ました」
  「徹底してはるんですね」
  あきれたように、こいしが首を左右に振った。
  「傍はたから見るとおなじように見えるかもしれませんが、僕のなかではまったく違います。妻と離婚したことはまったく後悔していませんが、扶美江と別れたことは、ずっと悔やみ続けています。あのときなぜ別れようとしたのだろう。その思いは長いときを経た今も変わりないどころか、年々強くなっていくように思います」「なんか人間て複雑なもんなんですねぇ。分かるような気ぃもするし、まったく理解できひんようにも思います」
  「自分で自分のことがよく分からないようになるときがありますから、そうおっしゃるのも、もっともなことでしょうね」
  聡は開き直るしかなかった。
  「参考までにお訊きしたいんですけど、大学のときに二股掛けてはった女性と結婚しはったんですか?」
  「ええ。ですから僕は、これまでの人生でふたりの女性としか、ちゃんとした付き合いをしてこなかったんです」
  「結婚生活はけっこう長かったんですよね」
  「二十六歳で結婚して、六十一歳のときに別れましたから、三十五年になりますか。浮気もせず、かと言って特に仲がいいというのでもなく、どこにでもあるようなふつうの夫婦生活でしたね」
  聡が淡々と答えた。
  「それやのに別れてしまわはるんや」
  「それだから、かもしれません。自分の人生の大半を、ありきたりの夫婦生活に費やしたのが、なんだかもったいないような気がしてきて。たぶん妻もおなじだったと思います。
  出会ったころは扶美江とよく似た性格だと思ったのですが、一緒に暮らすうちにまったく違ったことに気が付きました。でも、まぁ、そのうちに慣れるだろうと思っていましたが、結局最後まで相あい容いれませんでした」コーヒーカップを手にしたまま、口を付けることなく聡が語った。
  「お互いに不満に思いながら、結婚生活を続けてはったということですか?」「不満というほどでもありませんが、お互いにどこか満たされない思いだったのは、間違いありません」
  「夫婦てそんなもんなんですかねぇ」
  こいしが深いため息をついた。
  「同窓生やら会社の同僚たちと話したときも、たいていそんな感じでしたね。どこまで本当のことを言っているか分かりませんが」
  「そうそう。さっきの続き。扶美江さんは今どこでどうしてはるか、分かったんですか?」
  こいしがあわててノートのページを繰った。
  「残念ながら、幹事は消息不明だと言ってました。中学のときに仲良しだった女性に訊いてみたのですが、結婚はせずに長崎のどこかに居るはずだ、くらいしか分かりませんでした」
  聡が力なく肩を落とした。
  「長崎の家のこととかは、扶美江さんから何も聞いてはらへんかったんですか?」「扶美江が長崎に戻るとは思っていなかったし、その後デートしたのも福岡だったので、詳しくは聞いていません。ただ、家の近くに蛍が居る、という話は何度か聞いた記憶があります」
  「長崎で蛍ですか。ロマンティックやなぁ」
  こいしがノートに蛍の絵を描いた。
  「長崎という街とイメージが合うような合わないような、だったのでそれ以上のことは」聡が口をつぐんだ。
  「ただ春巻を捜すだけやのうて、ほかにも目的があるんと違います?」こいしがそう言うと、聡は二度ほど咳ばらいをした。
  「すでにお分かりだろうと思いますが、もう一度扶美江に会いたいと思っているのです。
  そして彼女がまだ独身でいるのなら、この歳としになってお恥ずかしい話ですが、むかしのように付き合いたいと」
  最後は消え入るような小さな声で聡が答えた。
  「お話を伺うこごうてて、なんとなくそうやないかなと思うてました。つまり春巻を捜すということは、扶美江さんの消息をたしかめることなんですね」「違います。そうじゃないんです」
  「どこが違うんです?」
  「もしも扶美江の居場所が分かったら、あのときの春巻を手土産にして、会いに行きたいんです。僕がずっと扶美江のことを忘れずにいた証あかしとして」聡は顔を真っ赤に染めてこぶしを握りしめている。
  「分かりました。なんとかお父ちゃんに捜してもらいます」「よろしくお願いします」
  立ちあがって、聡が深く腰を折った。
  ふたりが食堂に戻ると、新聞をたたんで流が立ちあがった。
  「あんじょうお聞きしたんか」
  「たっぷり聞かせてもろた」
  「長い時間お付き合いいただき、ありがとうございました」聡がこいしに向かって頭を下げた。
  「よろしおした」
  「だいたい二週間でお父ちゃんが捜して来はる思うんで、そのころに連絡させてもらいます」
  「どうぞよろしくお願いいたします。そうそう。今日いただいたお食事の代金を」聡が財布を取りだした。
  「探偵料と一緒にいただくことになってますんで、今日のところはけっこうです」流の言葉に何かを言い掛けて、聡はそれを吞みこんだ。
  もし見つからなかったらどうなるのか。そう訊こうとして聡は思いとどまったのだ。
  店を出た聡は正面通を西に向かって歩き、一度も振り返ることなく、烏丸通を南に折れた。
  「何を捜してはるんや」
  店に戻ってすぐ流がこいしに訊いた。
  「春巻なんやて」
  こいしはダスターでテーブルを拭いている。
  「なんや、えらい気のない物言いやな」
  「そうかて、身勝手なこと言うてはるんやもん。捜さんほうがええような気がするわ」こいしはテーブルを拭く手に力を込めた。
  「ええとか悪いとかやない。わしらは捜してはるもんを捜すのが仕事や」「分かってるんやけど」
  手を止めて、こいしが口を尖とがらせた。
  「分かっとったら、早はよぅノートを見せてくれ」険しい顔つきをして急せかす流に、こいしは憮ぶ然ぜんとした表情でノートをわたした。
 
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