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第七卷 第四話 五目焼きそば 1_鴨川食堂(鸭川食堂)_日语阅读_日语学习网

时间: 2024-10-24    作者: destoon    进入日语论坛
核心提示:  1  高知龍馬空港を飛び立った飛行機は、上昇して安定飛行に入ったかと思えば、ほどなく降下をはじめ、大阪国際(伊い丹た
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  高知龍馬空港を飛び立った飛行機は、上昇して安定飛行に入ったかと思えば、ほどなく降下をはじめ、大阪国際(伊い丹たみ)空港には五十分ほどで着く。文庫本を開く間もないのだ。
  窓側の席に座った石いし崎ざき珠たま江えは、ずっと窓の外を眺めていた。
  真冬の澄んだ空は、ジァ¢マのように地上の景色をくっきりと見せてくれる。山の上に建つ鉄塔や、白波を立てながら海の上を進む船、曲がりくねった川、まばらに建つ民家。
  飽かず眺めているうち、多くの高層ビルが建ち並ぶ大阪の街を通過した。
  伊丹空港は改装していたようだが、思ったほどには変わっておらず、迷うことなく京都行のリムジンバス乗り場にたどり着けた。
  高知空港に比べると、いくらか冷えるような気もするが、厚手のウールのコートだと暑く感じるくらいの気候だ。
  師走だからなのか、発車五分前だというのに数人が並んでいるだけで、京都行のリムジンバス乗り場は閑散としている。
  京都までの乗車時間はおよそ五十五分だ。飛行機とおなじでこちらもあっという間だ。
  高知の山奥に住んでいる身には、頼りないというか、運賃が割高に感じてしまう。
  十五年も前になるだろうか。長女の郁いく美みを連れて秋の旅行に来て以来の京都だ。
  紅葉見物に来たのだが、あまりの人の多さにふたりともくたびれ切ってしまったことを思いだす。
  ちゃんと下調べしてきたつもりだったが、リムジンバスが着いた京都駅は、思っていたのと反対側だ。地下に降り、駅のなかを通り抜けて中央口へ出るまでに、何度か迷い、そのたびに駅員に訊たずねてしまうのは、鄙ひなびたところに住み続けている人間の性さがなのだろうと思った。
  中央口から駅の外に出ると、目印にしていた京都タワーが目の前に見えた。ここから先はもらった地図に細かく描いてあるから、それを見ながら歩けば迷うことはないはずだ。
  それにしても寒い。伊丹空港でリムジンバスを待っているときはあたたかく感じたのに、京都駅を出たとたん寒風に震えあがった。
  あのことがあってから、長く人が集まる機会は避けてきた。この夏、八年以上も出席しなかった同窓会に久しぶりに出て、せっかくだからと高知市内で一泊した。ホテルに泊まるのもあのとき以来だった。たまの贅ぜい沢たくもしなければ気がふさぐばかりだと思って、ホテルの近くの有名割かっ烹ぽうで夕食を摂とったのだった。
  久々に食べる新鮮な海の幸だったが、健たけ夫おに食べさせられないことを悔しく思うばかりに、ついお酒が過ぎてしまった。お勘定を済ませ、ホテルの部屋に戻るとトートバッグのなかに見覚えのない雑誌が入っていた。
  レジの横に置いてあったのを無意識に買ったのだろうが、酔っていたせいで記憶があいまいだった。翌朝よく見てみると「料理春秋」という料理雑誌で、ぱらぱらと眺めていて、ページの端っこにあった──食捜します 鴨川探偵事務所──という一行広告が目に留まった。
  喉に刺さった魚の小骨のようなつかえが、これで取れるかもしれない。そう思ったものの、連絡先などはいっさい書かれていない。どうやってその探偵事務所にたどり着けるのか。
  鴨川が地名だとすれば、京都か千葉かどちらかだろうが、苗みょう字じだとすると調べようもない。なにかわけがあって連絡先を書いていないのだろうが、それだったらなぜ広告を出しているのだろう。
  そう思っていたところに、天から健夫の声が聞こえてきた。
  ──縁がありよったら、ぜったい出会うけ。けんど縁がのうたら出会わんけの──旅先でお目当てのお寺や神社にたどり着けないとき、決まって健夫はそんな言葉を口にした。
  縁があるかどうかを、「料理春秋」の編集部に問うてみると、たまたま電話に出たのが編集長だったことで縁がつながった。事情を話すと快く連絡先を教えてくれ、ていねいに手描きの地図まで送ってくれたのだ。
  きっとわたしを気の毒に思ったのだろう。同情を買う気などさらさらなかったが、そこを話さないと教えてくれないように思えて、事情を話したのだ。
  烏丸通をまっすぐ北に歩く。七条通を越えて東側にわたる。そのまままた北へ向かって歩き、ふた筋目、法ほう衣い店の角を曲がって、正面通を東に進む。やがて右手に見えてくるモルタル造の二階建てしもたやが、目指す『鴨川探偵事務所』である。『鴨川食堂』という食堂の奥にあるのだ。ただし看板も暖の簾れんもないから見逃しがちだと編集長が教えてくれた。
  目印ならぬ鼻印は美お味いしそうな匂い。鼻を利かせながら歩くこと。
  大道寺茜という編集長が描いてくれた地図には、マンガの吹き出しのような注意書きがいくつか書いてあって、それを読むとくすりと笑ってしまう。
  仏具関係の店が点在する界かい隈わいで、ぽつんと一軒だけ不愛想な構えの建物がある。鼻を利かせると、かすかだがお出だ汁しの匂いが漂っている。
  深呼吸をしてからコートの襟を合わせ、珠江は思い切って引き戸を開けた。
  「いらっしゃい」
  黒いパンツに白いシャツ。ソムリエエプロンを着けた若い女性が振り向いた。
  場所は事細かに教わったが、どんな探偵なのかまでは聞いていなかった。この女性が探偵だとすると、少しばかり不安だ。
  「『鴨川探偵事務所』はこちらでしょうか」
  「はい。うちが所長の鴨川こいしですが」
  「やっぱり」
  珠江が落胆したような表情を見せた。
  「ひょっとしたら石崎さんと違います?」
  「ええ。石崎珠江ですが」
  珠江は怪け訝げんそうな顔つきをこいしに向けた。
  「茜さんから聞いてます。どうぞおかけください」声を明るくして、こいしがパイプ椅子を引いた。
  「編集長さんがわざわざ連絡してくださったんですか」脱いだコートの置き場所を珠江が目で捜すと、こいしがそれを取ってコート掛けに掛けた。
  「食を捜してはる人が四国から来はるかもしれんからよろしく、て。お名前だけしか聞いてませんでしたけど、なんとなく雰囲気でそうと違うかなぁと思うて。うちの勘も捨てたもんやないなぁ」
  こいしはいくらか鼻を高くしている。
  「ここは食堂なんですよね」
  店のなかを見まわして珠江が念を押したのは、昼どきにもかかわらず客の姿が見当たらないからだ。
  「はい。けど、ひとりもお客さんが来はらへん日もようけあります。見てもろたように、看板も暖簾もありませんし、宣伝もいっさいしてません。知ってる人だけ来てもろたらそれでええ、てお父ちゃんも言うてはるし」
  「お父ちゃん?」
  珠江は不安を隠さなかった。
  「うちが所長をしてますけど、ほんまに食を捜すのはお父ちゃんのほうなんですよ」珠江の頭のなかはますます混乱してくる。
  「ようこそ、おいでやす。わしがそのお父ちゃん、食堂の主あるじをしとる鴨川流です」奥から出てきて、作さ務む衣え姿の流が茶色の和帽子を取った。
  「どうも」
  目を白黒させながら、珠江が軽く一礼した。
  娘が探偵事務所の所長で、その父親が食堂の主人。しかし実際に食を捜すのは父親のほう。目まぐるしい展開に、珠江の戸惑いは増すいっぽうだ。
  「石崎はんどしたな。だいたいの話は茜から聞いとります。お腹なかのぐあいはどないです? おまかせでよかったら、なんぞお作りしますけど」どんな人物かは聞いていなかったが、食堂で美味しいものが食べられるという話は編集長から聞いていた。
  その料理人が実は食捜しの探偵だったのか。ようやく頭のなかを整理し、あらためて見直してみると、目つきこそ鋭いものの、流は美味しいものを作りそうな顔をしている。
  「とつぜんお邪魔したのに大丈夫なのですか?」「たいしたもんはできまへんで。今夜は常連のお客さんが忘年会をしはるんで、出張料理の用意をしとるんですわ。そんなんでよかったら」「ありがとうございます。これもご縁でしょうから、いただくことにします」「なんぞ苦手なもんはおへんか?」
  流の問いに、珠江は無言で首を横に振った。
  「ほな、すぐにしたくしまっさかい、ちょっと待っといてくださいや」和帽子をかぶり直して、流はまた奥に引っ込んでいった。
  「お酒はどうです? 四国の人ていうたらお酒強いんでしょ。寒いさかいよかったらお燗かんつけましょか」
  「ありがとうございます。生まれは四国ではありませんので、強いっていうほどではないのですが、お酒はきらいじゃありません。せっかくですから一本つけてもらいましょうか」
  「たしか四国のお酒もあったはずや思いますので、ぬる燗でつけて来ます」こいしも流とおなじ、内暖簾の奥に入って行った。
  それにしても、と珠江は思う。
  古びてはいるが、けっして寂れてはいない。高知にはこんな食堂はたくさんあるが、客がひとりもいないという状況には出会ったことがない。繁盛しているというほどではなくても、たえず客のひと組やふた組はいるものだ。暖簾も看板も出ていないのだから、当然だとも言えるのだが、なぜそうしているのだろうか。なぞの多い父と娘に食捜しをゆだねても大丈夫なのか。おかしな料理が出てきたらどうしよう。
  さほど間をおかず、流が運んできた料理を見た瞬間、珠江の心配は杞き憂ゆうに終わった。
  「こないせわしない時季に、のんびりメシなんか食うとったら、正月も来んのやないか。
  そんな気持ちも込めて、今夜の料理は作るつもりですねん。まぁ、その予告編やと思うてもろたらええ思います。上の木箱には手でつまんで食べてもらえるように、串料理を盛り込みました。左端から、生なま麩ふの柚ゆ子ず味み噌そ田楽、ウズラの串焼き、鯛たいの大葉包み揚げ、イカのウニ味噌焼き、近江おうみこんにゃくの串煮です。どれも味が付いてますさかい、そのまま食べてもろたらよろしおす。下の箱は小さい椀わんに、わんこ蕎そ麦ばふうに料理を盛ってみました。左上は鴨まんじゅうの餡あんかけ、上の真ん中は鰆さわらの西さい京きょう焼き、刻み柚子を載せてます。右端は牛ハラミの煮込み、実み山ざん椒しょうの醬しょう油ゆ漬けを振ってます。下の右は鰻うなぎの笹ささ焼き、粉こな山さん椒しょうを振りかけて食べてください。下の左はたぬき茶そば、おろしショウガを餡に溶いて召しあがってください。どれも温ぬくい料理でっさかい、早めに食べてもろたほうが美味しい思います」
  流が説明するたびに、珠江は目を上下左右に動かして、そのつどうなずいている。
  「ちょうど高知の『亀かめ泉いずみ』の純米吟醸がありましたさかい、ぬる燗でお持ちしました。〈土佐のはちきん〉てラベルに書いてますけど、たしか男勝りの高知の女の人のことを、はちきんて言うんでしたね?」
  こいしが茶色い酒瓶のラベルを見せた。
  「わたしに対する当てつけかしらねぇ」
  珠江が鼻をつんと高くした。
  「石崎さんは高知のかたやったんですか。そら、えらい失礼しました。そんな意味ちゃいますよ。石崎さんはおとなしいかたやし」
  こいしが小刻みに手を横に振ってみせた。
  「分かってますよ。言ってみただけ。それに根っからの土佐っ娘こじゃないですし」珠江が苦笑いした。
  「奥で待ってますよって、食事が終わらはったらお越しくださいね。お父ちゃんが案内してくれますんで」
  小走りになって、こいしが奥へ消えて行った。
  しんと静まり返った食堂のなかで、珠江は手を合わせてから、信楽焼の徳利とつくりに手を伸ばした。
  『亀泉』は健夫の好きだった酒だ。もちろん偶然だろうから、これも縁のなせるわざに違いない。手酌すると、徳利からは酒と一緒にこぽこぽと音が流れ出る。
  『亀泉』はこんなに香りが立つ酒だったかと驚いたが、健夫が愛飲していたのは普通酒だったから、別ものなのかもしれない。
  喉を潤してから、珠江が最初に手に取ったのは、ウズラの串焼きだった。
  ウズラという鳥の肉を食べるのははじめてのことだ。卵があの小ささなのだから、当然ながら親鳥もスズメより小さく見える。串に刺したそれは、鳥の形そのままで、口に入れるには少し勇気が要いる。
  高知の市内には焼鳥屋も少なくないが、ウズラを出す店はあるのだろうか。あれば行ってみたい。そう思うほどにウズラは美味しかった。
  固い骨は出そうと思ったが、嚙かんでみると意外にもろく、バリバリと骨ごと食べてしまった。焼鳥のタレよりも濃厚で、鰻の蒲かば焼やきにも似た味で、振ってあった粉山椒がよく効いている。
  口直しになるだろうと、たぬき茶そばに箸を付けてみた。
  刻み揚げの餡かけを京都ではたぬきと呼ぶことはテレビで知った。おろしショウガがポイントになることも知っていたが、茶そばというのははじめてだった。淡い緑色をした麺は、蕎そ麦ばというより、細いうどんといったふうな食感だ。それにしても、とろみのついた出汁が美味しい。けっして薄味ではないものの、あくまで味付けはやさしい。
  『亀泉』を手酌する動きが速まる。
  生麩というものもめったに口にしない。味噌汁の具に使うような麩とはまったく違って、もちっとした嚙み応えがなんとも言えない。麩そのものは特別な味を感じないが、柚子味噌と合わさることで、ほっこりとした旨うまみが口に広がる。京都独特のもののような気もするが、柚子畑に馴な染じみが深いせいか、青柚子の香りに親しみを感じる。
  鰆の西京焼きにも柚子が使われているが、こちらは黄柚子の皮の苦みをうまく生かしている。
  美食とはほど遠い暮らしを続けてきた珠江でも分かるほどに、鴨川流が作る料理はただものではない。あらためて店のなかを見まわし、そのギャップに首をかしげてしまう。
  三十歳のときに石崎の家に嫁ぎ、柚子農家の嫁として四十五年という長い月日を、高知の山のなかで暮らしてきた。そのうちの三十五年ほどは、たまに高知市内に出るくらいで、ほとんどの時間は山のなかで過ごしていた。
  自然のありがたさと怖さが常に同居していたが、そんな環境を望んでいた珠江にとって、それは苦痛でもなければ退屈でもなかった。あるがままに生きることの尊さを常に感じていた。
  「どないです。お口に合おうてますかいな」
  奥から流が出てきた。
  「わたしのような田舎ものにも、このお料理の素晴らしさは分かります。口が腫れないかとさっきからハラハラしております」
  「よろしおした。今日はご飯に蒸し寿司を用意してまっさかい、適当なとこで声を掛けてください」
  「ありがとうございます。お嬢さまをお待たせしているでしょうから、もうご用意いただいても大丈夫です」
  「なんや急せかしたみたいになってしまいましたな。ゆっくり召しあがってもろたらええんでっせ」
  「充分ゆっくりいただきました。こんなにゆったりとお食事したのは久しぶりです」珠江は丸い笑顔を流に向けた。
  おせじでもなんでもなく、これほどゆったりした気持ちで食事するのは、八年ぶり、いや九年ぶりになるのかもしれない。あの日のことを忘れようと思う気持ちが年数をあいまいにさせているのだろう。八年でも九年でもどっちでもいい。
  美味しいものを食べながら、美味しいねと言い合える相手がいないのは、どれほどつらく寂しいことなのか。いやというほど思い知った年数など数える必要もないのだ。
  「熱々ですさかい、火傷やけどせんように気ぃつけてくださいや」銀盆に載せて流が運んできたのは、錦にしき手でのふた茶碗だ。
  「京都の方は蒸し寿司をよく召しあがるんですか」「よう、っちゅうこともおへんけど、寒い時季になったら蒸し寿司が恋しなるいう京都人は少のうない思います。わしもそのひとりでっけどな」珠江の前に置いた茶碗のふたを流が取ると、もうもうと湯気があがった。
  「具がたくさん載ってて、とっても美味しそうですけど、お酢の香りにむせますね」「蒸し寿司はこうやないと。ほんまに熱ぉすさかい、気ぃつけとぉくれやっしゃ」流が念を押したにもかかわらず、ひと口食べて珠江は、あまりの熱さに吐きだしそうになった。どうすればこんなに熱くなるのだろう。
  高知にも蒸し寿司を出す店はある。市内の店へ食べに行ったことがあるのだが、健夫は温い寿司は気持ちが悪いといって食べなかった。
  健夫の好物は田舎寿司だった。筍たけのこだとかこんにゃくを煮たものをネタにした、文字どおり田舎の寿司で、高知に嫁いではじめてそれを見たときは、気持ち悪くて手を付けられなかった。
  食べるということは案外保守的なもので、生まれ育ってきたなかで食べてきたものと違うと、拒絶反応を示してしまう。
  それもしかし、ずっとおなじところで暮らすか、各地を転々とするかによって大きく違ってくる。健夫は前者の典型で、珠江は後者だった。だから生まれ育った岡山にはなかった蒸し寿司も、長崎や松江で食べていたせいもあって、高知で抵抗なく食べることができたのだ。
  そうか。京都にも寿司を蒸すという習慣があったのか。
  高知や松江、長崎で食べた蒸し寿司は、いくらか甘めの寿司飯だったが、それとは比べものにならないくらいに酢が効いている。流の好みだけでそうなっているのか、それとも京都の蒸し寿司はみんなこうなのだろうか。
  添えられたすまし汁も京都らしいものだった。具は湯葉のみで、薄く葛でとろみが付けてある。ショウガの絞り汁が入っているようで、身体からだの芯から温まってくる。気が付くと額にうっすらと汗をかいている。
  箸を置いた音が聞こえたのかと思うほど、絶妙のタイミングで流が現れ、こいしが待つ探偵事務所へと案内された。
  長い廊下を歩く。両側の壁にはびっしりと写真が貼られていて、そのほとんどは料理の写真だ。
  「みんなご主人がお作りになったものですか?」「レシピっちゅうのを書くのが苦手なもんで、こうやって写真に撮って残してます」「このきれいなかたは奥さまですか?」
  「きれいかどうかは分かりまへんけど家内です。亡くなる二年ほど前ですかなぁ。九州へ旅行に行ったときの写真ですわ」
  「そうですか。お亡くなりになったんですか」珠江がついたため息は、流が気付かないほど小さなものだった。
  「早はよぅこっちへ来いて言いますんやが、やり残してることがようけありますさかい、もうちょっと待っててくれて言うてますねん」先を歩く流が立ちどまって、笑顔を珠江に向けた。
  そう言えば、と珠江は思った。
  健夫からは呼ばれもしないし、あの世のことなど考えてみたこともなかった。
  「あとはこいしにまかせまっさかい」
  そう言って流が奥のドアをノックすると、すぐにドアが開き、黒のパンツスーツ姿のこいしが出むかえた。
  「どうぞお入りください」
  「いざ探偵さんと向かい合うとなると緊張しますね」「気楽にしてください。こっちも緊張しますし」ローテーブルをはさんで向かい合う珠江とこいしは、互いをけん制し合っている。
  「ご面倒やと思いますけど、簡単でええさかい、これに記入してもらえますか」こいしがバインダーを手渡すと、受け取って珠江は膝の上に置いた。
  住所、氏名、生年月日、職業とすらすら書いてきた珠江は、家族欄でペンを持つ手を止めた。
  「これは今のことでいいんですよね」
  「はい?」
  「今いない家族のことは書かなくてもいいのですか?」「どちらでもいいですよ。亡くなってはっても、心のなかにやはるんやったら書いてもろてもええし」
  「じょうずにおっしゃること」
  書き終えて、珠江がバインダーを返した。
  「石崎珠江さん。お住まいは高知県。失礼な言い方かもしれませんけど、ぜんぜん訛なまりがないんですね」
  「生まれ育ったのは岡山で、三十歳になってから高知に住むようになったものですから」「岡山て標準語なんですか?」
  「そんなことはないと思いますよ。わたしは地方局のアナウンサーをしてましたので、人とお話しするときは自然と標準語になってしまうんです」「局アナしてはったんですか。きれいな話し方しはるなぁて思うてましたわ」「ありがとうございます」
  「お茶かコーヒーかどっちがよろしい?」
  こいしが立ちあがった。
  「コーヒーをいただきます」
  珠江の言葉を聞いて、こいしはサイドボードからコーヒーカップをふたつ取りだした。
  こいしがコーヒーマシンのスイッチを押すと、またたく間にコーヒーの香りが漂ってくる。
  「で、珠江さんはどんな食を捜してはるんですか?」珠江の前にコーヒーカップが置かれた。
  「五目焼きそばです」
  「ていうたら、あの中華料理の?」
  「ええ。たぶんそうだと思います」
  「たぶん。つまり、食べてはらへんのですか?」こいしがノートを開いて、ペンをかまえた。
  「ええ。どんなものか、見てもいないんです」珠江はこいしの目をまっすぐに見ている。
  「詳しいに聞かせてください」
  「今から十年近く前のこと。夫の健夫が北海道旅に連れて行ってくれたんです。高知空港から羽田を経由して旭川空港まで飛んで、レンタカーを借りて北海道を一周したの。愉たのしかったなぁ」
  コーヒーカップを手にして、珠江が目を輝かせた。
  「車で北海道一周ですか。めっちゃええ旅ですねぇ。憧れますわ」「そのとき最後に訪れたのが小お樽たるの街で、主人はそこで五目焼きそばをランチに食べようと言いだしたんです。でも、小樽ってお寿司が美味しいことで有名でしょ? なぜ小樽まで来て、五目焼きそばを食べないといけないのか分からない。そう言ったら、主人は渋々あきらめたみたいで、結局お寿司屋さんに行ったんです」「そういうことやったんですか。北海道旅の最後が小樽て、すごいロマンチックやし、うちかて珠江さんとおんなじように、お寿司をリクエストしますわ。五目焼きそばて、どこでも食べられそうやし」
  こいしはノートに五目焼きそばらしきイラストを描いている。
  「きっとグルメ作家のエッセイかなにかに影響されたんだと思います。食通でも知られる池いけ本もと幸こう太た郎ろうという時代小説の作家が大好きで、主人は小説もエッセイもぜんぶ読んでいたみたいです。エッセイに出て来るお店や料理に憧れていましたから、きっと小樽の五目焼きそばもそのたぐいだろうと思いました。でも、それならわたしと一緒でなくても、ひとりで行けばいいだろうと思って、あのときはワガママを通して、お寿司屋さんに行ったんです」
  「うちのお父ちゃんも池本幸太郎は大好きですわ。お父ちゃんは時代小説に出て来る料理をよう再現してはります」
  こいしは、三日前に流が作った小鍋料理のイラストを描いた。
  「北海道って広いでしょ。一周するのに二週間掛かったんですよ。そのあいだにいろんなお店に行ったけど、お寿司屋さんは一度しか行ってなかったの。だからそっちを選んで当然だと思ったんです」
  「二週間ですか。ご主人はもうリタイアしてはったんですね」「うちは柚子農家だったので、収穫時期以外はゆとりがあったんです」「ご主人は柚子を作ってはったんですか」
  こいしはノートに柚子のイラストを描いた。
  「農家の仕事は家族ぐるみなんですよ。わたしも義母も一生懸命働いてきました。農家って女性が下働きしないと成り立たないのよね」「失礼しました。農家さんとはあんまりお付き合いがないもんやさかい」「わたしもおなじです。農家に嫁ぐなんて思ってもいなかったので、しばらくは音を上げそうになりました」
  「岡山に生まれはって、局アナしてはったのに、なんで柚子農家さんに嫁がはったんです? もちろんご主人に惚ほれはったからやろと思いますけど」こいしは柚子のイラストを描きながら訊きいた。
  「入社して三年目でした。高知の局に配属されまして、農家をレポートする番組のレポーターをしていました。当時の上司と馬が合わなくて、アナウンサーを辞めようかと思っていたときに、取材で訪れたのが石崎農園でした。むせかえるような、なんとも言えない柚子たが目を輝かせた。
  「車で北海道一周ですか。めっちゃええ旅ですねぇ。憧れますわ」「そのとき最後に訪れたのが小お樽たるの街で、主人はそこで五目焼きそばをランチに食べようと言いだしたんです。でも、小樽ってお寿司が美味しいことで有名でしょ? なぜ小樽まで来て、五目焼きそばを食べないといけないのか分からない。そう言ったら、主人は渋々あきらめたみたいで、結局お寿司屋さんに行ったんです」「そういうことやったんですか。北海道旅の最後が小樽て、すごいロマンチックやし、うちかて珠江さんとおんなじように、お寿司をリクエストしますわ。五目焼きそばて、どこでも食べられそうやし」
  こいしはノートに五目焼きそばらしきイラストを描いている。
  「きっとグルメ作家のエッセイかなにかに影響されたんだと思います。食通でも知られる池いけ本もと幸こう太た郎ろうという時代小説の作家が大好きで、主人は小説もエッセイもぜんぶ読んでいたみたいです。エッセイに出て来るお店や料理に憧れていましたから、きっと小樽の五目焼きそばもそのたぐいだろうと思いました。でも、それならわたしと一緒でなくても、ひとりで行けばいいだろうと思って、あのときはワガママを通して、お寿司屋さんに行ったんです」
  「うちのお父ちゃんも池本幸太郎は大好きですわ。お父ちゃんは時代小説に出て来る料理をよう再現してはります」
  こいしは、三日前に流が作った小鍋料理のイラストを描いた。
  「北海道って広いでしょ。一周するのに二週間掛かったんですよ。そのあいだにいろんなお店に行ったけど、お寿司屋さんは一度しか行ってなかったの。だからそっちを選んで当然だと思ったんです」
  「二週間ですか。ご主人はもうリタイアしてはったんですね」「うちは柚子農家だったので、収穫時期以外はゆとりがあったんです」「ご主人は柚子を作ってはったんですか」
  こいしはノートに柚子のイラストを描いた。
  「農家の仕事は家族ぐるみなんですよ。わたしも義母も一生懸命働いてきました。農家って女性が下働きしないと成り立たないのよね」「失礼しました。農家さんとはあんまりお付き合いがないもんやさかい」「わたしもおなじです。農家に嫁ぐなんて思ってもいなかったので、しばらくは音を上げそうになりました」
  「岡山に生まれはって、局アナしてはったのに、なんで柚子農家さんに嫁がはったんです? もちろんご主人に惚ほれはったからやろと思いますけど」こいしは柚子のイラストを描きながら訊きいた。
  「入社して三年目でした。高知の局に配属されまして、農家をレポートする番組のレポーターをしていました。当時の上司と馬が合わなくて、アナウンサーを辞めようかと思っていたときに、取材で訪れたのが石崎農園でした。むせかえるような、なんとも言えない柚子のいい香りに包まれていると、一生ここで過ごしたいと思ったんです」「分かるような、分からへんような、やなぁ。うちも柚子の香りは大好きやけど、一生あの匂いを嗅いでたいかどうか」
  こいしが小首をかしげた。
  「もちろんそれだけじゃありませんよ。健夫さんと話をしていて、こんなに自分が作った柚子を愛する人なら、きっとわたしのことも愛してくれるだろうと思ったんです。地方であっても、放送局のまわりにいる人たちって、ぎらぎらしているんです。言葉はじょうずだけど、お腹のなかでは何を考えているか分からない、っていう感じで、なんとなく信用できない気がしていました。だから朴ぼく訥とつな健夫さんが余計に輝いて見えたのだと思いますけど」
  「そんなご主人と結婚しはったんはいつなんですか?」こいしはノートの綴とじ目を手のひらで押さえ、ペンをかまえた。
  「石崎に嫁いだのは三十歳のときでした」
  「ということは四十五年前ですね」
  こいしが指を折った。
  「ほんとうにしあわせな日々でした」
  珠江は細めた目を天井に向けた。
  「ご主人はいつお亡くなりになったんです?」「二〇一一年三月十一日です」
  こいしの問いかけに、珠江は間髪をいれずに答えた。
  「二〇一一年三月十一日……て、ひょっとして、あの……」「そう。東日本大震災です」
  「でも、住んではったんは高知ですよね」
  こいしは、ひと膝前に出して身を乗りだした。
  「旅行中だったんです」
  「ご主人おひとりで?」
  「いえ、わたしも一緒でした」
  「で、ご主人だけ亡くならはった」
  珠江がこっくりとうなずき、しばらく沈黙が続いた。
  木枯らしが吹き始めたのか、ときおり窓ガラスがカタカタと音を立てる。珠江はそのたびに窓に目をやり、小さなため息をつく。三度ほどそれが繰り返されたところで重い口を開いた。
  「北海道旅行の次は早春の東北を縦断しよう。そう主人が言ってくれたんですが、最初はあんまり乗り気じゃなかったんです。人一倍寒がりなので、暖かいところのほうがいいなぁと。思ったままを言えばよかったと今になって後悔しています」珠江が唇を嚙んだ。
  「次々と旅行に行かはるぐらい、おふたりはむかしから旅行好きやったんですか」ノートの上にペンを置いてこいしが遠慮がちに珠江の顔を覗のぞきこんだ。
  「石崎の家に嫁いでから、三十年以上ものあいだ、懸命に働きました。義父母が亡くなってからは、ふたりだけで柚子畑を守り育て、冠婚葬祭以外で高知を離れることなどまったくなかったんです。おかげさまで柚子も順調に育ち、子育ても一段落したことだし、人生の終着点も見えてきたから旅行にでも行こうか。そう主人が言ってくれて、それからです。ふたりで旅行へ行くようになったのは」
  「そうやったんですか。ええご主人やないですか。奥さんに感謝してはったんや」「ぶっきらぼうな主人でしたから、感謝の気持ちだとか、そんなことは言葉にはしてくれないんですよ。だからわたしは、自分だけ旅行に行くのは気が引けるから、わたしもついでに連れていってくれるのだとずっと思っていました」「おとこの人て、みんなそうなんと違います? 結果的にあちこち旅行に行けて良かったですやん」
  「それはそうなんですが、あの地震さえなければ。あのとき東北に行ってなければ。主人が亡くなってから何百回、何千回そう思ってきたか分かりません。悔やんでも悔やみきれません」
  珠江の頰をひと筋の涙が伝った。
  「地震で亡くならはったて、どんな状況やったんですか? 思いだすのもつらいかもしれませんけど」
  こいしの問いかけに、少しばかり間をおいてから、珠江が口を開いた。
  「青森からはじまったドライブ旅の四日目でした。お昼前ごろに大おお船ふな渡とへ着いてお昼ご飯を食べました。アワビ入りのラーメンがあると主人が言うものですから、素直にしたがってそれを食べました。小樽のときと違って、この東北旅ではほとんどすべて主人が奨すすめるままに行動していました」
  「アワビが入っているんですか。東北らしい贅沢なラーメンですね」「秋さ刀ん魚までお出汁を取っているみたいで、あっさりしていてとても美味しかったです。量もしっかりあって、お腹いっぱいになって、すごく眠くなったんです。眺めのいい海辺のリゾートホテルを予約していましたが、まだチェックインできないということで、近くの駐車場に車を停とめてお昼寝することにしたんです。寒いときでしたが、車の窓を一センチほど開けておくと、さざ波の音が聞こえてきて、子守歌のようになってふたりともぐっすり眠ってしまいました。一時間以上経たったころでした。車がひっくり返ってしまうんじゃないかというくらいの激しい揺れに襲われました。最初は何が起こったのか分からなかったのです、まわりの様子を見てやっと地震だと分かったんです。岡山も高知もあまり地震の多い地域ではありませんでしたから、はじめてのことに足が震えました。大きな声をあげることも、うろたえることもなく、主人は冷静でした。傾いている家や、ぺしゃんこに潰れている家もありましたから、そうとう大きい地震だと分かって、早く頑丈なホテルに移動しようと言いました。ふと山のほうを見るとがけ崩れもたくさん起こっていて、一刻の猶予もないだろうと思い、急いでホテルのほうに向かいました。阪神?淡路大震災を経験した身として、一番怖いのは火災だと思っていましたし、あとは道路を含めたインフラ。その意味でも七階建てのホテルに速やかに移動するのが正しいと思いこんでいました」
  「うちらもあの神戸の地震は今でも思いだします。さいわいこの家も大した被害はありませんでしたけど、テレビで観みてて神戸の街が火の海になってるのはショックでしたわ」「森林のなかで育った人ですから、山火事にならないようにだけ気を付けていたんだそうです。なので、わたしも津波なんてまるで頭にありませんでしたし、海が怖いとも思いませんでした。ですからホテルに向かって海沿いの道路を走りながらも、きれいな海だねぇ、なんてのんきなことを言い合ってました。まさか海があんなふうに牙をむいてくるなんて、かけらも想像してませんでした」
  当時を思いだしてか、珠江がぶるっと身震いした。
  「うちもテレビで観てましたけど、水て怖いんですね。こないだの台風のときもそやったけど、海やとか川で泳いでたわけやないのに、水死することがあるんやなんて思いもしませんわ」
  「わたしも主人も、海とはあまり縁がなかったものですから、それが異変だとは気づきませんでした。海沿いの道を走っていても、道路が陥落していないかとか、亀裂が入ってないかばかりが気になって、気が付いたときはもう遅かったんです。海がどんどん迫って来る。ひょっとしてこれが津波? とふたりで顔を見合わせたときにはもう、タイヤが水音を立てはじめていました。右手が山でしたので、そっちに逃げようと思ったのですが、山へ向かう道がない。やっと見つけて、主人は急ハンドルを切って狭い山道を上っていくのですが、水も一緒にかけ上がってきて、車が浮きはじめました。──こんなとこで死ぬわけにはいかんき──そう言って主人は必死にハンドルを動かすのですが、どんどん流されて行って、とうとう窓の近くまで迫ってきました。車に残ったほうがいいのか、外に出たほうがいいのか、一瞬迷いました。──早く外に出ろ──と主人が怒鳴ったのでドアを開けようとしたのですが、水圧でびくともしない。もうこれまでだと思ったときに、主人が──ありがとう。これまでありがとうな──と言ってくれて。ああ、ここでこのままふたり一緒に死んでいくんだと覚悟を決めました。そして気が付いたら、わたしは車から投げ出されたみたいで、倉庫の屋根に横たわっていました。まわりは泥水の濁流で、主人が乗った車などまったく見当たりませんでした。長く行方不明のままでしたが、震災から半月経った日に遺体が見つかりました」
  珠江は冷めたコーヒーを口にし、ひと息ついた。
  「大変やったんですねぇ」
  「思いだすだけでも身震いします」
  珠江の声が少しずつ低くなった。
  「かんじんのお話に戻りますけど、なんで今になってその五目焼きそばを捜そうと思わはったんです?」
  「今になって、あのとき小樽で五目焼きそばを食べていたら、何かが変わっていたかもしれないと思うようになったんです。主人はふだん寡黙な人でしたから、何も言わずに引き下がったけど、本当は反論したかったんじゃないかしら、とか、いろいろ思うわけですよ。主人に逆らったのはあのときだけだったんです。今になってそれがとても心残りで。
  遅ればせは承知の上で、主人が食べたかった五目焼きそばを食べてみたくなりました。そしてもうひとつ。ずっとそのことが気になっていて、主人が亡くなってから、人前に出るのもおっくうになってしまって、進んで旅行に出ることもなかったのですが、それじゃいけないなと思うようになりました。きっと主人もそんなことを望んでいないでしょうし、主人との思い出をたどりながら、もう一度旅を愉しんでみたい。そう思いはじめて、あの日の五目焼きそばのことを解決しておきたいと思ったんです」「なるほど。よう分かりましたけど、手がかりはなんにもないんですよね。小樽やというだけで、お店の名前やとか、どういう五目焼きそばなんか、とかご主人は何も言うてはらへんかったんですね」
  「残念ながら何も……。お店の名前に数字が付いていたような気もしますが、たしかではありません。ただ二軒目ぼしいお店があって、そのどっちがいいか迷っていると言ってたことだけは憶おぼえています。はっきり行きたい店が決まっているんじゃない。そんなあいまいなことだったら、余計にお寿司屋さんのほうがいいと思ったんです」「あとはお父ちゃんにまかせるしかないな。なんとか捜しだしてくれはる思います」きっぱりとそう言い切って、こいしはノートを閉じ、ペンを置いた。
  「どないや。あんじょうお聞きしたんか」
  食堂で待ちかまえていた流は、ゆっくりとカウンター椅子から立ちあがった。
  「ちゃんとお聞きいただきましたが、わたしの記憶がおぼつかないもので」「今回は難問やで」
  「今回は、ていっつも難問やないか」
  流が苦笑いした。
  「どうぞよろしくお願いいたします」
  珠江が深々と頭を下げた。
  「だいたい二週間あったらお父ちゃんが捜してきはるんで、そのころにまた連絡させていただきます」
  「ありがとうございます。そうそう、今日のお食事代をお支払いしないと」「うちは探偵料と一緒にいただくことになってますんで」「承知しました。それでは連絡をお待ちいたします」店を出た珠江は、正面通を西に向かって早足で歩いてゆく。
  背中を見送って、ふたりは店に戻った。
  「何を捜してはるんや」
  流がカウンター椅子に座った。
  「五目焼きそば」
  こいしがノートを広げて見せた。
  「どっかの店のか?」
  「小樽のお店らしいけど、珠江さんは食べてはらへんから、どこの店のどんな焼きそばかぜんぜん分からへん」
  「小樽か。なんで小樽で五目焼きそばを」
  流が首をかしげた。
  「誰でもそう思うわなぁ」
  こいしが茶を淹いれている。
  「隠れた名物かもしれん。ご当地グルメっちゅうやつやったら、すぐに捜せるやろ」「ほな、もう捜しだしたんも一緒やな。小樽の現地調査にうちも連れていってや」こいしが甘い声をだした。
  「飛行機代も高たこぅつくさかいなぁ」
  「大丈夫。チケットショップ行って、安いのん買こうてくるし」こいしが背中をはたくと、流は顔をしかめた。
 
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