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第二卷第四話  焼飯 1

时间: 2024-03-05    进入日语论坛
核心提示:  第四話  焼飯  1  モデルという仕事柄、人に見つめられることには慣れている。  黒いカシミヤコートをさらりと羽織
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  第四話  焼飯
  1
  モデルという仕事柄、人に見つめられることには慣れている。
  黒いカシミヤコートをさらりと羽織り、栗くり色いろの髪をなびかせ、エナメルのブランドバッグを肩から提げて闊かっ歩ぽする。これが東京ならまったく目立たないが、東本願寺を背にし、仏具屋が並ぶ正面通を歩くとなると話は別だ。宝塚スターを想おもわせるマニッシュな風貌とスラリと伸びた長身も相まって、すれ違った後には誰もが振り返る。
  白しら崎さき初はつ子こはいつになくうつむき加減になり、気が付くと目指す店の前に立っていた。
  ニャーオとひと声鳴いて、一匹のトラ猫が初子に近付いて来る。
  「たしか、ひるねちゃん、って言うんだよね」屈かがみ込んだ初子は、ひるねの頭をゆっくりと撫なでる。
  「初はっちゃんやないの」
  店の中から出て来た鴨川こいしは初子に駆け寄った。
  「おひさしぶり。今日はお父さまにお会いしたくて来たの」立ち上がって初子がこいしに目配せした。
  「まぁ、中に入って。汚い店でごめんな」
  初子の出いで立ちを横目にしながら、こいしが引き戸を開けて招き入れた。
  「ひるねちゃん、また後でね」
  初子がひるねに手を振った。
  「何年ぶりになるんかなぁ」
  こいしが初子にパイプ椅子を奨すすめた。
  「京都には仕事でよく来るんだけど、こいしと会うのは……」コートを脱いで初子が天井に目を遊ばせる。
  「アケミの結婚式が最後と違うかなぁ。初子はちょっとも変わらへんね。相変わらずスタイルもええし」
  こいしがまじまじと初子を見つめた。
  「こいしちゃんもよ。京都西山女子大きっての才媛だったころと変わってない」「何言うてんの。今はしがない食堂のァ⌒チャン」こいしが肩をすくめた。
  「ごちそうさま。今日の五目ソバも旨うまかったです」カウンター席に座り、ふたりに背を向けていた福ふく村むら浩ひろしが立ち上がった。
  「おおきに。浩ひろさんには量が足らんかったんと違うかな」厨房ちゅうぼうから鴨川流が顔を覗のぞかせた。
  「餡あんかけにすると腹持ちがいいですから、これくらいでベストです」微笑ほほえんで浩が五百円玉をカウンターに置いた。
  「寒いし気ぃ付けてな」
  こいしが声を掛けた。
  「こいしちゃんもな」
  浩はこいしの肩をポンポンと二度ほど叩たたいて、店を出て行った。
  「イイ人?」
  初子が意味ありげな視線をこいしに送った。
  「そんなんと違うわよ。ただのお客さん。浩さんは寿す司し屋の大将やねんよ」こいしが頬を赤らめた。
  「こいしちゃんは昔からお寿司大好き人間だったからなぁ」初子がこいしの顔を覗き込んだ。
  「その声は初子ちゃんやないか」
  前掛けで手を拭いながら、流が厨房から出て来た。
  「おじさま、お久しぶりです」
  初子がちょこんと頭を下げた。
  「雑誌や何かで、しょっちゅう見かけてるさかい、久しぶりという感じがせんわ。相変わらずべっぴんさんやなぁ。こいしと同級生やとは……」流がふたりを見比べる。
  「比べる方が間ま違ちごうてるわ。それより初ちゃん、お腹なかの方はどない?」頬を膨らませてから、こいしが初子に訊きいた。
  「『鴨川食堂』と広告に書いてあったから、ひょっとしたら美お味いしいものが食べられるかなぁ、と思って。実は朝から何も食べてないの」初子が舌を出した。
  「初ちゃんな、探偵の方に用があって来はったんよ。後で話聞くよって、思い切り美味しいもん食べさせてあげて」
  こいしが言葉に力を込めた。
  「腕によりをかけて、べっぴんさんスペシャル作るさかい、しばらく待っとってな」流が小走りで厨房に戻って行った。
  「けど、ようわかったわね。初ちゃんが遊びに来てくれてたころは、紫し竹ちくの家やったやろ?」
  こいしが急須に茶の葉を入れた。
  「アケミの結婚式のときに言ってたじゃない。駅の近くに引っ越したって」「いろいろあって、ここのことはあんまり言わんようにしてるんよ」「『料理春秋』の広告を見て、ピンと来たの。〈鴨川食堂?鴨川探偵事務所──食捜します〉なんて、流のおじさまに違いないと思って」
  初子が店の中を見回している。
  「初ちゃんは前からエエ勘してたもんな」
  こいしが京焼の急須に湯を注いだ。
  「掬子おばさまは?」
  「奥の部屋に」
  こいしが店の奥へ顔を向けた。
  「お参りさせてもらえるかな」
  「もちろん」
  こいしが案内して、初子が仏壇の前に正座した。
  「おかあちゃんは初ちゃんのこと、自分の娘みたいに思うてはったな。うちが妹で、初ちゃんはお姉ちゃん。同い年やのに」
  傍らに座るこいしが薄うっすらと涙ぐんだ。
  「掬子おばさまには、いつも言われてた。悪いァ∪コに騙だまされたらアカンよ、って」線香を上げて、初子が立ち上がった。
  「こいしは騙す方やけど、初ちゃんは騙されるタイプやて、よう言うてたな。どんだけうちは悪もんやねん」
  こいしがむくれ顔をした。
  「わたしは田舎ものだから、掬子おばさまは心配なさってたのよ」「よう言うわ。うちと初ちゃんがふたり並んで、どっちが田舎もんやて訊いたら、百人が百人うちやと言わはるで」
  ふたりは声を上げて笑った。
  「その笑い声は、西にし女じょのころとちっとも変わっとらんな。さ、お待ちどおさん。
  べっぴんさん専用のお弁当。松花しょうか堂どうにしといた」流がテーブルに黒塗りの蓋付き弁当箱を置くと、初子はいそいそとその前に座った。
  「流のおじさまは食べる方専門だと思ってましたけど、本格的な料理もお作りになるんですね」
  「蓋を取ってみてくれるか」
  「なんだかドキドキする」
  初子が両手で蓋を持ち上げ、甲高い声を上げた。
  「すごーい。何これ? 割かっ烹ぽう屋さんみたい。これを松花堂って言うんだ」初子が輝かせた目を、弁当箱の中に走らせた。
  「雑誌やらでよう見かけるで。美味しいもんをしょっちゅう食べてるみたいやから、口に合うかどうか、自信ないんやけどな」
  言葉とは裏腹に流は腕組みをして、初子の横顔をまじまじと見ている。
  「お父ちゃん、美人に見とれてんと、ちゃんと料理の説明しいなアカンやんか」こいしがせっついた。
  「そやったな」我に返って、流が弁当箱に視線を移した。「松花堂いうのは元々絵の具箱やったんや。仕切りで田の字に区切ってあるやろ。左上が前菜。若わか狭さで揚がった寒かん鯖さばのキズシ、日生ひなせの牡か蠣きの甘露煮、京地鶏の東とう寺じ揚あげ、間人たいざ蟹がにの酢のもん、鹿ししヶ谷たにかぼちゃの炊いたん、近江おうみ牛の竜田揚げ。どれもひと口で食べられると思うわ。右上は棒ぼう鱈だらと海え老び芋いもの炊合せ。京都では〈いもぼう〉と呼んでる。水尾の柚ゆ子ずの皮を刻んであるさかい、一緒に食べたらさっぱりして美味しいで。右下はお造りや。一塩した若狭グジを昆布で〆しめたんと、富山の寒ブリを薄造りにして、聖護院しょうごいん蕪かぶらで巻いたんと。どっちも細切りにした塩昆布で食べてみて。左下のご飯はスッポンの出だ汁しで炊いといた。薄味やさかいに、白ご飯と同じように食べてもろたらええ。小さな猪ちょ口こに入ってるのは生姜しょうがの絞り汁や。生姜が好きやったら掛けてみて。味が引き締まるで。おつゆは白味み噌そ。具は粟あわ麩ふ。ま、ゆっくり食べてんか」淀よどみなく説明を終えて、流が盆を小脇に挟むと、こいしは初子の肩を軽く叩いて厨房に向かった。
  初子は両手を膝の上で揃そろえ、じっと弁当を見つめている。店の外でひるねが小さく鳴き声を上げた。
  二分ほど経たって、ようやく初子は手を合わせてから箸を取った。最初に箸を付けたのはグジの昆布〆だった。細切りの塩昆布を挟み、山葵わさびを載せて口に運ぶ。
  「美味しい」
  思わず口をついて出た言葉だった。スッポンの出汁で炊いたというご飯に竜田揚げを載せて食べると知らず笑みがこぼれる。牡蠣の甘露煮、キズシ、いもぼう。どれを食べてもしみじみとした美味しさが口いっぱいに広がる。
  「お茶、足りてる?」
  万ばん古こ焼やきの急須を持って、こいしが初子の傍らに立った。
  「ありがとう。おじさまってこんなにお料理じょうずだったんだ。あんまり美味しいのでビックリしちゃった」
  初子が唐津焼の湯ゆ呑のみに手を添えた。
  「いっつもスゴイご馳ち走そう食べてるんやろ? 口に合うてよかったわ。お父ちゃんとあっちで心配してたんよ」
  茶を注ぎ終えて、こいしがにっこり微笑んだ。
  「どんなものを食べてるか、で人って判断されちゃうのよね」「その話は後でちゃんと聞くさかい、今はゆっくり食べて。何やったらお酒持ってこか」こいしが笑みを浮かべた。
  「飲んじゃおうかな」
  初子が甘ったるい声を出した。
  「西女きっての酒豪やったもんな。冷酒でええ? それとも燗かんつけよか」急須を手にして、こいしは厨房に向かう。
  「じゃ、ぬる燗でお願いします」
  「はいはい。ホンマ変わらへんね」
  振り向いてこいしが言った。
  再び箸を手にした初子は、ブリの刺身を取った。白い蕪を巻いたブリの薄造りは、きらきらと光っている。山葵をたっぷりと載せ、その上に塩昆布を散らして舌に載せる。磯の香りと蕪の清せい冽れつな味わいが渾こん然ぜんとなる。脊髄に稲妻が走ったような気がして、初子は背中をびくんとさせた。
  「冷酒やのうて、ぬる燗とは。さすがやな。うちでよう飲んでたことを思い出したわ」流が備前の徳利を持って、初子の前に青九谷の杯さかずきを置いた。
  「その節はずいぶんご迷惑をおかけしました」初子が杯を手に取って、ちょこんと頭を下げた。
  「お口に合うてホッとした。地味な料理ばっかりやさかい」流が残り少なくなった弁当に目を遣やった。
  「地味だなんて、とんでもない。こういう本物の京料理なんて滅多に口に出来ません」初子が真剣な表情で言った。
  「初子ちゃんにほめてもろて嬉うれしいんやけど、わしの作る料理は京料理てな立派なもんやない。誰に教わったんでものうて、まったくの我流やさかいな」「警察官としても活躍されて、こんな料理をお作りになる。おじさまはスーパーマンですね」
  「そんなたいそうな」
  流が頭をかいた。
  「何を照れてんねんな。初ちゃんは、おじょうず言うてくれてるだけやんか」こいしが流の背中を小突いた。
  「そんなことないわよ。本当にそう思っているんだから」初子が唇を尖とがらせた。
  「初子ちゃんがゆっくり食べられへんやないか。奥に行くで」流がこいしの袖を引っ張った。
  「お酒、足らんかったら声かけてな」
  流に引きずられるようにして、こいしは厨房に消えた。
  初子は青九谷の杯をゆっくりと傾ける。酒が喉を通って行くのをたしかめると、小さくため息を吐ついた。
  箸を取って東寺揚を摘つまんだ。ゆっくりと噛かみ締め、湯葉の香りを愉たのしむと、また杯を傾けた。箸と杯を交互にするうち、弁当箱が空になった。徳利を振ってみると、まだ少し酒が残っている。いつもなら酒が先に無くなって、料理が残るのに。
  初子は最後に父親と食事したときのことを思い出した。とは言っても小学生のころのことだから、曖昧な記憶しか残っていない。立派な座敷のある、田舎では珍しい料亭だった。今から思えば父が会社の接待で使っていた店なのだろう。年輩の仲居とも親しい間柄のようだった。刺身、天ぷら、ステーキ。最上級のご馳走だったのだろうが、どれひとつとして美味しかったという記憶がない。
  食事を終え、父はデザートのメロンを泣きながら食べていた。当然ながら父は、その席の持つ意味を分かっていたのだろうが、小学生には知る由もなかった。初子は空になった杯を掌てのひらで弄もてあそび、天井に目を遊ばせた。
  「もう一本つけよか」
  盆を小脇に挟んで、流が徳利を振った。
  「充分いただきました」
  初子が手を合わせた。
  「こいしが奥の部屋で準備しとるさかい、いっぷくしたら案内するわ」流が松花堂の蓋をした。
  「ありがとうございます。本当に美味しかったです。おじょうずとかじゃなくて」初子が流の目を真まっ直すぐに見た。
  「わかっとる。初子ちゃんはべんちゃらを言えるような子やない。それはおっちゃんが一番よう知っとる」
  流がその目を見返した。
  「うまく世渡り出来るようになりなさい、っていつもプロダクションの社長に言われているんです」
  「初子ちゃんは初子ちゃんのままでええのと違うか」テーブルに視線を落とした初子は、流の言葉を噛みしめている。
  「酔い覚ましにお茶でも持ってこか?」
  流が訊いた。
  「大丈夫です。そろそろ案内していただけますか」初子が腰を浮かせた。
  流の先導で、店の奥から廊下へ出て、ヒールの音を響かせながら、初子はゆっくりと歩を進めた。
  「どうぞ」
  こいしが突き当たりのドアを開けて微笑んだ。
  「ほな、こいし。頼んだで」
  流がふたりに背を向けると、初子は小さく会釈して敷居をまたいだ。
  「店よりは、こっちの方がましやろ。どうぞ座って」こいしがロングソファを指した。
  「レトロな雰囲気でいいじゃない。お庭も見えるんだ」部屋の中を見回してから、ゆっくりとソファに腰をおろした。
  「かたいこと言うみたいやけど、記録を残しとかんならんので、依頼書を書いてくれるかな」
  向かい合って座るこいしがバインダーをローテーブルに置いた。
  「なんだか緊張するわね」
  バインダーを膝に置いて、初子がペンを走らせる。
  「こんなして初子と向かい合うとは思うてもみいひんかったわ」初子の手元をこいしが覗き込んだ。
  「これでいいかしら。所長さん」
  初子がバインダーをこいしに手渡した。
  「はい。白崎初子さん。それで何を捜したらええんです?」こいしがノートを開いた。
  「焼飯を捜して欲しいの」
  「焼飯? 初ちゃんが焼飯?」
  こいしが目を丸くした。
  「何かヘンかしら」
  「初ちゃんのことやからセレブっぽいもんかなぁと思うてたんで」初子が天井に向かってため息を吐いた。
  「せやかて雑誌なんかで見てたら、初子のお気に入りの店て、高級フレンチとか三ツ星イタリアンとか、そんな店ばっかりやん」
  「こいしには言ったと思うけど、わたしは四国の田舎で生まれて、十歳までそこで育ったの。事情があって京都の叔父に引き取られた。捜して欲しいのは子供のころに母がよく作ってくれた焼飯」
  言葉を選びながら、初子がゆっくりと語った。
  「初ちゃんの子供のころのことは、何や訊いたらアカンていう雰囲気やったしな。けど、その焼飯を捜そう思うたら、もうちょっと詳しいに訊かんとあかんねんよ。かまへんの?」
  こいしが上目遣いに初子を見た。
  「プロダクションの社長からも、子供のころの話をするのは強く止められているんだけど、こいしを信用してるから」
  初子が背筋を伸ばした。
  「友達やからやのうて、探偵いうのはお客さんの秘密を守るのが鉄則やから、安心して」「ありがとう」
  小さく頭を下げた初子は、喉の渇きを潤そうとしてか、湯呑の茶を啜すすった。
  「わたしは愛媛県の八や幡わた浜はまという港町で生まれて、十歳になったとき、父の勤めていた地元の会社が潰れてしまったの。元々が病弱だった母は、その心痛もあったんだと思うけど、亡くなってしまって……」
  初子が声を落とした。
  「差支えなかったらご両親のお名前を聞かせてくれる?」「父は白崎文ふみ雄お。母は白崎泰やす代よ」「お母さんが亡くなった後、お父さんは?」
  「在職中、不正経理に関わっていたらしくて、罰金刑を受けたそうなの。自分ひとりが生きていくので精一杯だと思ったんでしょうね。わたしを叔父に託して、季節労働者って言うのかしら、日本中あちこちの現場に行って働くようになったみたい」「大変やったんやね」
  こいしが短く言葉を挟んだ。
  「ありがたいことに、子供に恵まれなかった叔父と叔母は、我が子同然に育ててくれたので、わたしは何不自由なく育った。資産家だからずいぶん贅ぜい沢たくもさせてもらったし、本当に感謝している」
  初子が天井を見上げた。
  「生まれもってのお嬢さんやとばっかり思うてたわ」「叔父と叔母も、八幡浜のころの話はしないように、って言ってたし。でも、騙してたみたいだね。ごめんなさい」
  初子が頭を下げた。
  「そんなん全然かまへん。それより、捜すのはどんな焼飯?」「それが、よく覚えてないの。とっても美味しかったことだけは間違いないのと、中華料理屋さんで食べる焼飯とは全然違うことだけはたしかなんだけど」「どう違うん?」
  こいしがペンを構えた。
  「どうって言われても」
  しばらく考え込んでから、初子が答える。
  「少し酸っぱかったような気がする」
  「酸っぱい焼飯? まさか腐ってたんやないよねぇ」こいしが苦笑いを浮かべた。
  「そんなんじゃなくて、後口がいつもさっぱりしていた」「レモンでも絞ってはったんかなぁ。見た目はどうやった?」「なんとなくピンクっぽかったような気がする」「ピンク? 焼飯が?」
  こいしが口をあんぐりさせた。
  「ほら。焼飯って茶色っぽいでしょ? 焼豚とかが入っているから。あんな暗い色じゃなかったの。学校から帰ると茶の間の机に布巾を掛けて置いてあったわ。その布巾を取った瞬間に見た感じが、ピンクっぽかった記憶があるのよ」「置いてあった、ていうことは、お母さんは留守してはったんやね」「母はパートに出ていたみたいで、夜遅くにならないと帰って来なかった」「レンジでチンして、ひとりで食べてたんや」こいしがノートにペンを走らせる。
  「宿題しながら」
  初子が小さく笑った。
  「お母さんて、どこの会社に勤めてはったんやろ」「うろ覚えなんだけど、愛媛スモウなんとかって会社だったような」初子が首をかしげながら答えた。
  「愛媛スモウ? あの相撲取りの相撲? どんな会社なんやろ」こいしが声を上げて笑った。
  「違うかもしれないわね。ひとりで夕ご飯を食べるときって、いつもテレビで相撲をやってたような気がするのよね」
  初子が苦笑いした。
  「それはええとして、味で覚えてることないかなぁ。普通の焼飯との違い」こいしがノートの頁ページを繰った。
  「記憶が曖昧なんだけど、なんとなく魚っぽい味がしたの。きっと肉の代わりに魚を使って焼飯を作ってたんじゃないかなと思う。八幡浜って港町だしね」「魚を使つこうた焼飯か。なんか想像できひんな」ペンを置いて、こいしが腕組みをした。
  「ごめんね、難しい依頼で」
  「謝ることやないわ。お父ちゃんも捜し甲が斐いがあると思う。けど、なんで今になって昔の焼飯を捜そうと思うたん?」
  こいしが初子の目を真っ直ぐに見つめた。
  こいしの問いかけにかすかに顔をくもらせ、しばらく間を置いてから、やっと初子は口を開いた。
  「先週ね、プロポーズされたの」
  「やったやん。おめでとう初ちゃん」
  こいしが手を叩いた。
  「ありがとう」
  初子が伏し目がちにささやいた。
  「お相手は誰なん?」
  こいしが身を乗り出した。
  「角かく澤ざわ圭けい太たさんっていう人なんだけど」「角澤さん?」
  「スクエア自動車の専務さん」
  初子が薄らと頬を染めた。
  「ていうことは、ひょっとして御曹司?」
  こいしが大きく目を見開くと、初子は小さくうなずいた。
  「スクエア自動車のコマーシャルに出演して、それがご縁で」「スゴイやん、初ちゃん」
  こいしが鼻息を荒くした。
  「でも、まだお受けしてないの。父の過去の罪も彼は知らずにプロポーズしたわけだし」初子がテーブルに目を落とした。
  「そんなん関係ないやんか。きっと分かってくれはるて」「日本を代表する自動車メーカーの御曹司と、田舎の貧しい家に生まれた犯罪者の娘が釣り合うと思う?」
  初子が哀かなしい目をした。
  「そない言うたかて……」
  こいしの声が小さくなった。
  「隠し通せるわけはないから、ちゃんとお話ししようと思ってる」「それと焼飯がどう繋つながるん?」
  「手料理を振る舞って欲しいと彼に頼まれたの。いろいろ迷ったんだけど、母の焼飯を再現して食べてもらえば一番分かりやすいだろうと思う」初子が笑顔を歪ゆがめた。
  「初ちゃんらしいなぁ」
  「わたしが毎週料理教室に通っているのを、彼は知っているから、きっとフレンチか和食の豪華な料理を作ると思っている。驚くでしょうね」「どう言うてええのか、分からへんけど、初ちゃんが幸せになれるように頑張るわ」こいしが真顔になってノートを閉じた。
  「ありがとう。本当のわたしをちゃんと知ってもらうには、あの焼飯を食べてもらうのが一番だと思う」
  初子が唇を真っ直ぐに結んで腰を浮かせた。
  いくらか重い足取りでこいしが廊下を歩き、その後を初子が無言で追う。食堂に戻ると、流は広げていた新聞を畳んで、こいしに顔を向けた。
  「あんじょう訊いたげたんか」
  「しっかり聞いていただきました」
  問いかけに答えたのは初子の方だった。
  「その顔やと、どうやら難問らしいな」
  うかない顔をしているこいしの肩を流が叩いた。
  「難しいことをお願いして申し訳ありません」無言のままのこいしに代わって、初子が口を開いた。
  「難問の方が捜し甲斐がある、っちゅうもんや。初子ちゃんは気にせんでええ」流が胸を張った。
  「二週間後でええかな」
  気を取り直したように、こいしが初子に訊いた。
  「大丈夫。間に合うと思う。さっきの依頼書にメールアドレスを書いておいたから連絡して」
  「お父ちゃんに頑張ってもらわんとな」
  こいしが横目で流を見た。
  「せいだい気張って捜すわ」
  流が初子に笑顔を向けた。
  「よろしくお願いします」
  初子が深々と頭を下げて、引き戸を開けた。
  「初子ちゃん、忘れもんやで」
  店を出た初子に、流が黒いコートを差し出した。
  「またやっちゃった」
  受け取って、初子が舌を出した。
  「見かけによらん慌てんぼうさんは、昔のままやね」こいしが小さく笑った。
  「ひるねちゃん、また来るからね」
  足元に駆け寄ってきたひるねの頭を初子が撫でた。
  「今日はこれからどないするんや?」
  流が初子に訊いた。
  「仕事が入っているので東京に戻ります」
  言いながら、通りかかったタクシーに向かって初子が手を上げた。
  「忙しいしてるんやね。たまには京都でゆっくりしていったらええのに」こいしが惜しむように言った。
  「実家にも寄りたかったんだけど」
  乗り込んで初子が言った。
  「気ぃ付けて帰りや」
  流が声をかけた。
  初子が頭を下げると、タクシーはゆっくりと走りだした。
  見送って、流とこいしは店に戻った。
  「何を考え込んどるんや」
  「捜してええもんかどうか。悩んでるんよ」
  こいしは話の概略を流に伝えた。
  「依頼を受けた以上は、全力で捜さんならん。それをどうするかは初子ちゃんが考えることや。お前がどうのこうのと考えることやない」流がきっぱりと言い切った。
  「そうやね。とにかく捜さんことには始まらへんね」吹っ切れたような表情で、こいしが流にノートを手渡した。
  「焼飯か。しばらく食うとらんな」
  流がゆっくりとページを繰って、指で字を追う。
  「魚っぽいピンク色の焼飯。けっこう難題やろ」流の背中越しにこいしが指差した。
  「八幡浜なぁ。たしかに魚はようけ揚がるやろけど、焼飯にわざわざ使うやろか」流が首をかしげた。
  「マグロかカツオみたいな赤身を刻んだんと違う?」「火ぃ入れたら黒ぅなる。ピンクにはならんで」流が苦笑した。
  「生姜の酢漬けを振りかけてはったとか。お寿司とかに付いてくるやつ」「それやったら魚の味はせんやろ。ま、とにかく八幡浜へ行って来るわ」流はノートを閉じた。
  「お父ちゃんは昔から現場主義やもんな。しっかり頼むで」こいしが流の背中を叩いた。
 
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