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第二卷 第六話  天丼 2

时间: 2024-03-05    进入日语论坛
核心提示:  2  京都駅の烏丸口を出て、景子は夕空に映える京都タワーを見上げた。前回よりは幾らか風も暖かい。勢いよくコートのジッ
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  京都駅の烏丸口を出て、景子は夕空に映える京都タワーを見上げた。前回よりは幾らか風も暖かい。勢いよくコートのジッパーを外して信号を渡った。
  背筋を伸ばして大股で歩くうち、思ったよりも早く店に着いた。駆け寄って来て、ひるねが足元でじゃれつく。
  「こんにちは、ひるねちゃん。風邪引いてない?」屈み込んで、景子がひるねの背中を撫でる。
  「寒いさかい、どうぞ中にお入りください」
  引き戸を開けて、こいしが出て来た。
  「この前よりはマシですよ。手袋も要らないくらい」店に入るなり景子はコートを脱ぎ、手て櫛ぐしで髪を直した。
  店の中には香ばしいゴマ油の匂いが漂っている。コート掛けに吊るしながら、景子は鼻先を尖らせた。
  「お待ちしとりました。最後まで揚げ加減には苦労しましたけど、なんとか完成しましたわ」
  厨房から出て来て、流が白い帽子を取った。
  「お父ちゃん、毎日天ぷら揚げてはりました。ひるねは揚げモンが大好きやさかい、ずっと店の前に居ますねんよ」
  引き戸越しに外を覗いて、こいしが肩をすくめた。
  「ご苦労をお掛けしました」
  景子がふたりに頭を下げた。
  「すぐにご用意しますんで、ちょっとだけ待っとってください」流が厨房に急いだ。
  「お茶でよろしい? それとも……」
  「今日はお茶にしておきます。味が分からなくなるといけないので」こいしの問いかけに、景子は笑顔で答えた。
  「藤川さんて有名な歌手やったんですてね。えらい失礼しました」万ばん古こ焼やきの急須を傾けながら、こいしが小さく頭を下げた。
  「お若い方はご存知なくて当たり前ですから、お気になさらずに」「お名前と歌が結び付かへんかったんですけど、〈北のひとつ星〉はよう知ってます。お父ちゃんが、しょっちゅうお風呂で歌うてはりますねん」「ありがとうございます」
  茶を啜って、景子が静かに微笑んだ。
  「こいし、そろそろいくで」
  厨房から流の声が響くと、こいしは慌てて箸置きと割り箸をセットした。
  「天ぷらは揚げ立てをすぐに食べてもらわんとね」「楽しみです」
  腰を浮かせて、景子が椅子を前に引いた。
  「お待たせしましたな」
  朱塗りの丸盆に染付の丼を載せて、流が景子の真横に立った。
  「いい香りだこと」
  景子がうっとりと目を細めた。
  「お椀は後で持って来ますんで、先まずは丼を召し上がってください」流が蓋を取ると、ほんのりと湯気が上がる。手を合わせて景子は箸を取った。
  「どうぞ、ごゆっくり」
  流が厨房に戻り、こいしが後を追った。
  掌てのひらにすっぽりと収まる小ぶりの丼鉢を前に、景子は姿勢を正ただして海老天を口に運んだ。
  中指ほどの才巻き海老を噛み締めると、口中に甘さが広がる。その香りが消えない内、青唐と一緒に、タレの染みたご飯を急いでかき込む。ふた口ほど噛んだところで、景子は目を輝かせた。
  「この味、この香り。あの時と同じ」
  ひとりごちて、丼鉢をテーブルに置くと、慌てて景子はバッグから白いハンカチを取り出した。目尻から涙が溢れ出すのに、一瞬遅れてハンカチを頬に当てた。
  泣き笑いしながら、ハンカチを膝に置いて、景子が丼鉢をもう一度掌に載せた。
  一匹付けの穴子は箸で半分に切って口に運ぶ。残った半分はご飯を包んで食べる。頬が緩み、泣き顔が笑顔に変わる。白身魚は小さな尾っぽまで丸ごと食べた。最後に残ったご飯を海苔でさらえて、ひと粒も残さず丼を空にした。
  「合うてましたかいな」
  銀盆に黒塗りの椀を載せて、流が景子の傍に立った。
  「はい。あの時と同じ天丼でした」
  景子が流を見上げた。
  「よろしおした」
  「あんまり美味しいので、お椀を待ち切れませんでした」景子が照れ笑いを浮かべた。
  「最初からそのつもりでしたんや。普通のお茶碗一杯分くらいしかご飯は入れてしませんしな。ここでお汁を飲んで、ひと息入れはったらお代わりをお持ちします」空の丼鉢を銀盆に載せて、流が椀を景子の前に置いた。
  「二度に分けて……。そこまで……」
  「なんちゅうても天ぷらは揚げ立てが一番ですさかいにな」笑顔を残して、流が厨房に戻って行った。
  固く閉まった椀の蓋を取り、湯気と香りを楽しんでから、景子はひと口啜った。
  透き通った吸い地は、丼と対照的に淡い味がする。中に浮かんだ丸い真蒸を齧かじると磯いその香りが鼻に抜けて行った。軸三ツ葉を吸汁と一緒に啜り込めば、海から野へと香りが移って行くようだ。なんと繊細な味わいなのだろう。半分ほど残して、景子は丁寧に蓋をした。
  「お代わりをお持ちしましたで」
  流が丼鉢を置いた。
  「幾ら小ぶりだとは言え、二杯も丼をいただくなんて。なんだか若いころに戻ったみたい」
  景子が薄うっすらと頬を染めた。
  「何やったら三杯目も作りまひょか」
  ふたりは顔を見合わせて笑った。
  「さっきと同じですよね」
  蓋を取って、景子が不思議そうな顔をした。
  「ゆっくり食べてください。今、お茶をお持ちします」流が厨房に戻って行った後、景子はさっきと同じように丼鉢を掌に載せ、鼻先に近付けた。香ばしい匂いは同じようでいて、少し違うような気もする。才巻き海老を口に入れ、タレの染みたご飯を食べ、穴子を箸で半分に切って……。しみじみと味わいながら、ゆっくりと食べる。ときどき椀を取って、吸汁を啜る。真蒸を食べ切る。また丼に戻る。最初の丼も二杯目も同じように美味しい。だが、吸物の味がどことなく違って感じる。同じ椀のはずなのに。不思議を感じながら二、三度繰り返す内、知らずどちらも空になった。
  「綺き麗れいにさらえてもろて。嬉しおすわ」流が京焼の急須を傾け、ほうじ茶を注いだ。
  「お腹いっぱいになりました。懐かしいだけじゃなく本当に美味しい天丼でした」景子が手を合わせた。
  「よろしおした」
  流が大きくうなずいた。
  「どうやって見つけてくださったんです?」
  信楽焼の湯呑を両手で包み込むようにして、景子が訊いた。
  「現地調査です。お父ちゃんは現場主義ですよって。うちも付いて行ってあげたんですよ」
  透明のファイルケースを胸に抱いて、こいしが厨房から出て来た。
  「来ぃでもええのに、こいつまで付いて来よって。足手まといもエエとこですわ」ファイルケースを引ったくるようにして、流が顔をしかめた。
  「うちが居ぃひんかったら、反対方向の地下鉄に乗ってたくせに、よう言うわ」「浅草の店は『天ふさ』に間違いありませんでした。店を閉めはったんが今から十二年前ですわ。この店ですやろ?」
  こいしの言葉をスルーして、流がファイルケースを開いて見せた。
  「そうです、そうです。たしかにこんなお店でした」景子が身を乗り出した。
  「商店街の会長さんからお預かりして来た写真です。『天ふさ』のご主人は上総かずさの一宮いちのみやの方でしてな、隣にあった『総ふさ寿司』は弟さんの店でしたんや。『天ふさ』の〈ふさ〉も『総寿司』の〈総〉も郷里の地名から名付けはったんでしょうな」流がファイルケースを繰った。
  「うちの事務所の社長も千葉の館たて山やま出身でしたから、何か繋つながりがあったのかもしれませんね」
  「十二年前に『天ふさ』のご主人が病気で亡くなって、弟さんもその時一緒に店を畳まはったんですが、郷里に戻って『総寿司』の名前でお寿司屋さんを開かはったんですわ。
  会長さんが場所を調べてくれはりましてな、千葉まで行って会うて来ました」景子の向かいに座り込んで、流が地図を広げた。
  「その時も反対方向に乗るとこやったんですよ」こいしが景子に目配せした。
  「余計なこと言わんでええ」
  眉を八の字にしてから、流が続ける。
  「浅草時代もそうやったらしいんやが、『総寿司』の名物は〈上総めし〉ですねん」「〈上総めし〉?」
  景子が訊いた。
  「深川めしはご存知ですか?」
  「あの、アサリの載った?」
  「そうです。そのアサリを蛤に置き換えてどんぶり飯にしたんを〈上総めし〉と名付けて、『総寿司』の名物にしてはったんやそうです。郷里の九十九里浜は蛤の名産地ですしな。えらい人気やったそうで、今で言う、行列の出来る店ですわ」「それとこの天丼がどういう?……」
  不思議そうな顔をして、景子が流に疑問を投げた。
  「〈上総めし〉は煮た蛤を載せただけのシンプルなもんやったそうです。酒、味み醂りん、醤しょ油うゆでさっと蛤を煮る。『総寿司』ではその時の煮汁を煮詰めて、穴子や蛤の握りに塗る煮ツメにしてはった。けど、〈上総めし〉が人気やさかい、煮汁が余ってしゃあない。それを勿もっ体たい無いというて、お兄さんが『天ふさ』の天丼のタレに混ぜはった。弟さんがそのタレの作り方を教えてくれはりました」ファイルケースの中から〈上総めし〉の写真を探し出して、流が指で差した。
  「あの天丼のタレは蛤の味だったんですか」
  景子が写真をじっと見つめた。
  「『天ふさ』のお汁も蛤の出汁です。具の真蒸も教わった通り、蛤と白身魚で作りました。そうそう、偶然ですけどな、この前お出ししたお汁も、酒蒸しにした蛤の出汁を使いましたんや。あの時の具は、あなたの故郷石巻でようけ獲れる鰯のつみれ。そこに蛤の味がしたさかいに、余計に懐かしいと感じはったんですやろ。鋭い味覚してはります」「……」
  景子の心の中で時計の針が巻き戻されて行く。
  「揚げ油はゴマ油が七で、サラダ油が三の割合。コロモは少し厚めですかな。ネタは何でもええのと違いますか。丼のタレもそない難しいことおへん。ざっとレシピを書いておきましたんで、ご両親にも作ってあげてください」ファイルケースを流がテーブルに置くと、景子は手に取ってじっと見つめている。
  「もう一度ヒット曲を出すまで帰って来るな、と父はずっと言い続けて来ました。母は、歌だけが人生やないから、いつでも帰っておいで、と言ってくれていて、ずっと迷ってばかりで……」
  景子が天井を仰いだ。
  「ええご両親ですな」
  流も同じように顎を上げた。
  「迷い続けて三十年。たった一曲にしがみついて……。わたしバカみたい」景子が目尻を小指で拭った。
  「難しいことはよう分かりまへんけど、数の問題やないと思います。歌う側のあなたにとっては、たった一曲かもしれませんが、聴く方は一曲でも充分やと思うてます」やさしい笑顔を流が景子に向けた。
  景子は言葉を見つけられず、そっと唇を噛んだ。
  「たった一曲の歌で壁を乗り越えられたり、生きる勇気をもらう人間も、世の中にはたくさん居るんでっせ。わしもそのひとりですけどな」流の言葉と、厨房の奥に見えていた仏壇が、景子の胸の中で重なった。
  「──泣くのはよそう 明日を待とう……。しょっちゅうお風呂から聞こえてくるさかい、うちも覚えてしまいましたわ」
  歌を口ずさんで、こいしが笑った。
  「──お空の上であなたが見てるから いつも必ず見てるから……」景子が続きを歌う。
  「やっぱり本物は違うなぁ」
  聞き入ってこいしが手を叩たたいた。
  「ありがとうございます。でも、何だかまた迷っちゃいそう」目尻をハンカチで拭いながら、景子が笑顔を見せた。
  「迷わん人生てなもん、どこにもありまへん」流の言葉を景子は何度も胸の中で繰り返している。
  「けど、合うててよかったです。お父ちゃんに言われて試食したとき、ホンマにこんな味やったんやろか、て思いましたわ。ちょっとクセがあるていうか、天丼らしないなぁて」こいしが景子の湯呑に茶を注いだ。
  「関西の天丼ってすごい薄味ですもんね」
  茶を啜って景子が言った。
  「関東風と違うて、見た目も白っぽいですしな」流が言葉を足した。
  「ありがとうございます。この前の分と合わせてお代を……」バッグから財布を取り出して、景子が流に顔を向けた。
  「お気持ちに見合うた分だけ、ここに振り込んでもらえますか」こいしがメモを手渡した。
  「承知しました。すぐにでも」
  丁寧に折り畳んだメモを財布に仕舞ってから、景子はゆっくりと引き戸を開けた。
  「ひるねちゃん、いつも美味しいもの食べられていいわね」駆け寄って来たひるねを景子が抱き上げる。
  「メタボ猫になったらアカンて言うて、好物の揚げモンは食べさせてもらえへんのですよ。可哀かわいそうに」
  こいしが恨めしそうに流に視線を送った。
  「寝てばっかりで運動しよらへんから、しょうがないやないか」流が口を尖らせた。
  「少しくらいならいいんじゃありませんか。さっきのお丼みたいな」ひるねを下ろして、景子が流に言った。
  「ですよねぇ」
  こいしが調子を合わせた。
  「お世話になりました」
  一礼して、景子が正面通を西に向かって歩き出す。ふたりが並んで見送る足元にひるねが寝そべっている。
  「さっきの天丼ですけど……」
  立ち止まって景子が振り向いた。
  「何です?」
  流が一歩前に出た。
  「お代わりをいただいた時、少し味が違うように思いましたが……」「おっしゃるとおりです。お代わりの方は蛤のタレを使わんと、別のタレを作りました。
  懐かしいだけでは飽きてしまいますさかいに」景子は胸の中で、流の言葉をじっくりと噛み締めている。
  「同じ天ぷらでも、ちょっと味付けが変わるだけで新鮮に感じるもんです。人間の感覚っちゅうのは不思議なもんですなぁ」
  景子の目を真っ直ぐに見て、流が背筋を伸ばした。
  「心いたします。ありがとうございます」
  景子が深々と頭を下げ、西に向かって大股で歩き始めた。
  「どうぞお元気で」
  宵闇の背中に流が声を掛け、こいしが手を振った。
  「寒い、寒い。早ぅ中に入ろ」
  両手をもんで、こいしが背中を丸めた。
  「若い女がそんな不細工な格好せんとけ。藤川はんみたいに颯さっ爽そうと歩かなアカンで」
  ひるねをひと睨みしてから、流が店に入った。
  「この前に来はった時とは別人みたいやったな」こいしが後ろ手で引き戸を閉めた。
  「昔の恋人に会うような気持ちになってはったんやろ」流が厨房に入って行った。
  「懐かしいだけやと飽きるんやて、お母ちゃん」後に続いたこいしが仏壇に向かって声を上げた。
  「掬子のこと言うてるのと違うがな」
  線香を上げて、流が手を合わせた。
  「今夜はやっぱり天丼にするん?」
  後ろに座って、こいしが訊いた。
  「天丼だけでは飲めんやろ。牡か蠣きとメゴチ、板屋貝もあるさかい、揚げながら食べよか」
  「ええなぁ。けどカセットコンロのガスが切れてるんよ」こいしが上目遣いに流を見た。
  「買うて来るがな」
  ダウンジャケットを羽織って、流は店を出た。
  東から比ひ叡えい颪おろしが吹き渡ってくる。二、三度身震いして、ポケットに両手を入れた。
  暗い夜道に窓から漏れる灯あかりが映る。団だん欒らんの声が通りに響く。白い息を吐きながら、流は夜空を見上げた。
  ──寒空に 浮かぶ星ひとつ きらきらと わたしを向いて 光ってる 明日またねと光ってる──
  ニャー。
  歌が途切れるのを待っていたかのように、遠くでひるねがひと声鳴いた。
 
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