雨晴(あまはらし) (富山県高岡市)
雨がやむのを待っていた、義経と弁慶
富山県高岡市には、「雨晴」という名の景勝地がある。山さん紫し水すい明めい、白はく砂しや青せい松しようの地で、雨晴海岸は国定公園となっていて、運輸省(現・国土交通省)による『日本の渚・百選』にも選ばれている。また、桜さくら谷だに古墳群や国こく泰たい寺じなどの旧蹟や名めい刹さつも点在している。
地名の「雨晴」の由来は、一一八七(文治三)年、源義経が兄の頼朝から追われて、北陸から奥州へ向かう途中、この地を通った際に、突然にわか雨が降りだしたため、お供の弁慶が岩をもち上げて雨がやむのを待ったという伝説にあるという。その伝説から、旧太田村の村長が雨晴という地名にしたのである。
この伝説で義経が雨やどりをしたと伝えられる岩には、大人が一五人前後もくぐれるほどの穴がある。いつの頃からか、この岩は「義経岩」と呼ばれるようになり、岩上の堂では毎年、義経主従をしのぶ祭りもおこなわれている。
中国では、雨晴を杜と甫ほや杜と牧ぼく、柳りゆう宗そう元げんが漢詩に使うなど、よい意味の言葉として知られている。そうしたことも義経の雨やどり伝説を広め、「雨晴」の地名の定着を助けたのかもしれない。