合羽橋(かつぱばし)(東京都台東区)
いまは厨房道具がズラリ、かつては雨合羽がズラリ
この地にある「かっぱ橋通り」(別称「かっぱ橋道具街」)は、かつてはプロの料理人や飲食店関係者だけが、調理器具や食器、装飾・インテリア品などを求めに訪れる問屋街だった。ところが近年では、男性の料理への目覚めや、主婦の本格料理志向などで一般客が増えているようだ。
さらに、本物そっくりにつくられた食品サンプルの珍しさに、外国人観光客までもが足を運び、かっぱ橋通りはその名を高めていった。
通りの名が平仮名のために少々わかりにくいが、地区名は「合羽橋」だ。ただし、これはあくまで過去のこの町の様子を伝える名前であり、住所表示には使われていないが、その過去の町というのが、合羽という文字にあらわされている。じつは、その語源は「雨合羽」なのである。
江戸時代、現在の金きん竜りゆう小学校跡地あたりに、伊予新にい谷や藩の下屋敷があった。この藩は伊予大おお洲ず藩の支藩だったために石こく高だかは低く、財政的には苦しかった。そこで、江戸屋敷詰の下級武士や足軽たちは、内職を迫られたのである。
じつは、その内職こそが雨合羽づくりであり、天気のよい日にはズラリと並べて外に干したという。そのため、この一帯が合羽橋と呼ばれるようになったというわけだ。
しかし、現在、かっぱ橋通りには河童の人形もディスプレイされていて、河童と無縁ではない地名のいわれも伝わっている。
かつて、この一帯は低地のうえ千せん束ぞく池があり、湿地帯だった。そこで、地元の商人・合羽屋喜八が掘り割りで隅田川に水を流そうと、私財をなげうって工事に着手した。ところが、この工事がなかなかはかどらないため、見かねた隅田川の河童たちが、夜ごとひそかに工事をして喜八を助けたという。
もちろんこれは、河童たちが喜八の善行に心を打たれたからなのだが、なんといっても、喜八の商売が雨合羽屋だったからという、まさに〝カッパ〟の伝説ということになっている。