百足屋町(むかでやちよう) (京都府京都市)
「お金」は「お足」。商売繁盛を願った屋号に由来
京都市内にある「百足屋町」は、南北に走る新町通どおりを挟む両側の地区と、東西に走る夷えびす川がわ通を挟む両側の地区の二か所ある。どちらの名前も、十七世紀初頭にはすでに存在していた地名だったことがわかっている。
一五七一(元げん亀き二)年の史料には、新町通の店のことか夷川通の店のことかは不明ながら、「むかでや」という名前が出ていることから、少なくとも一軒は、この時代に商売をはじめていたことになる。
新町通のほうは、明治末期に著された『京都坊目誌』という書物に名前の由来が詳細に記されている。その記述によれば、新町通にあった「百足屋」という豪商の名にちなんだものらしい。
ただ、この書物が著された時代にはすでに店はなく、その百足屋の豪商ぶりをかつての記録から婉えん曲きよく的に表現しているものと思われる。
百足屋は、祇ぎ園おん祭に際して毎年、町内に山だ車しを立てた。しかも、その山車は豪華な織物で装飾された、秀逸なつくりの観音像を安置していたという。新町通は呉服商の多かった一帯だから、百足屋が商品を使って装飾したにしても、かなりの散財だったであろう。しかも毎年、百足屋一軒でその費用をまかなったのだとすれば、底知れぬ財力だったはずだ。
それにしても、ムカデという虫の名が屋号になり、しかも二軒もあったというのは、なにか縁起でもあるのかと思ったら、じつはただのシャレらしい。
商人がお金のことを符ふ丁ちようで「お足」というのは、足が生えて逃げていくからではなく、客が足繁く訪れると商売が繁盛してお金が入ってくるという意味からだ。ムカデは「足が百本ある虫」というのだから、客足も増えるだろうということから、屋号に選んだようである。