小千谷(おぢや) (新潟県小千谷市)
アイヌ語の砦、柵囲い「チャシ」が地名の起源「小千谷」は、信濃川が山間部から平野部へ流れ出るあたりに開けた町。十世紀なかば頃に完成した『和名抄』に、越後魚沼郡にある郷の一つとして紹介されている歴史ある場所だ。
ただし、そのときの表記は、まだ小千谷ではなく「千ち屋や」であった。それが、いつの頃からか「千谷」と書かれるようになっていったのだが、土地の呼び名としては「ちゃ」と発音していた。土地の名前は文字が伝わる以前からあったわけで、その名前に音の合う漢字をあてはめた万葉仮名による表記である。
この「ちゃ」という呼び名は、アイヌ語で砦とりでや柵囲いを意味する「チャシ」が語源ともいわれる。発音がチャにアクセントがあったため、やがてシの音が消えたのだ。
越後にアイヌ語の砦という地名が残ったのは、大和政権の東征で、この一帯に蝦夷えみしとのせめぎ合いがつづいていたことの証明ともいえる。
政権が古代の近畿から関東に移ると、千谷はその立地条件から信濃川を使った船運の拠点となって発展をはじめる。するとこの地は戸数が増え、川の両岸に集落ができて、「千谷郷」の支村を形成した。律令制の時代から、一つの郷(村のような区画として各戸をまとめた集落)の戸数を限定する習慣が根付いていたためである。
それが、その後に小千谷と呼ばれる集落であり、やがて本家の千谷に代わって中心地となっていった。小千谷はその後、明治維新で村から町へと昇格し、第二次世界大戦後は市へと発展した。そして、名前の起源になった千谷は、いまでは小千谷市の一地区名となっている。