本格的な水稲耕作〈すいとうこうさく〉が始まったため、大規模な共同作業が必要となって、低地の集落〈しゅうらく〉に人口が集中した。余剰物資〈よじょうぶっし〉の蓄積〈ちくせき〉が可能となったので、貧富の差が生じ、階級が成立した。東京の弥生という所で発見された土器(弥生式土器)がこの時代の文化の特色を示すので、弥生時代、弥生文化などと呼ぶ。
集落の間で戦争も始まり、強力な集落は小国に成長した。中国の歴史書にこの時代の日本のことが記されるようになる。『漢書〈かんじょ〉』「地理志」は、紀元前1世紀頃の日本に、百余りの国が存在していたと記し、『後漢書』「東夷伝〈とういでん〉」はA.D.57年、奴〈な〉国王が洛陽の光武帝のもとへ使節を派遣したと記す(その時光武帝が与えたという「漢倭奴国王」の金印が残っている)。『三国志』「魏志倭人伝」は邪馬台国〈やまたいこく〉が三十余りの小国を従え、卑弥呼〈ひみこ〉という女王が支配していたと記す。卑弥呼は239年に魏の皇帝(明帝)に使節を派遣したという。
①弥生式土器(最初に発見された場所が東京都文京区弥生だった):装飾が少ない単純な器形と直線的な文様を持つ。縄文土器より薄くて丈夫である。
壷〈つぼ・ものを貯蔵する〉・ 甕〈かめ・煮炊きに使用〉
高杯〈たかつき・ものを盛りつける〉・ 甑〈こしき・蒸気で穀物を蒸す〉
②金属器の使用:青銅器と鉄器が同時期に伝来する。
青銅器:宝器〈ほうき〉・祭祀〈さいし〉用具として使用する。
銅剣・銅矛〈どうほこ〉・銅鐸〈どうたく〉
鉄器:農具、木製農具の加工に使用。
③墓の変化→政治的支配者の出現を示す。
副葬品:支石墓〈しせきぼ〉・甕棺墓〈かめかんぼ〉に銅鏡などが副葬される。
支石墓:遺体を埋めた上に大きな石を置いて目印〈めじるし〉とした墓。
甕棺墓:甕棺という土器に遺体を入れて埋葬した墓。
大型の墓の出現:方形周溝墓〈ほうけいしゅうこうぼ〉や墳丘墓。
④呪術の支配
呪術による耕作の順調な進行と収穫の保障を目的とする農耕儀礼が村落共同体に不可欠の行事となり、それをつかさどる巫祝〈ふしゅく〉(マジシャン)が、村落共同体の支配にも重要な役割を担う。邪馬台国も卑弥呼が呪術によって支配したという。