十六世紀にはヨーロッパのアジア進出が盛んになり、それと共にキリスト教のうち、カトリック教団(旧教・イエズス会)が海外で布教〈ふきょう〉を盛んに行った。1543年にポルトガルの船が九州の種子島〈たねがしま〉に来航して鉄砲〈てっぽう〉を伝えた。また1549年、スペインの宣教師〈せんきょうし〉フランシスコ・ザビエル〈Franscisco de Xavier〉が来日してキリスト教の伝道を始めた。当時のポルトガル人やスペイン人は南蛮人と呼ばれ、キリスト教徒はキリシタン(切支丹)と呼ばれた。彼らのもたらした文化を南蛮文化という。
①西洋物質文化の流入:鉄砲が戦国大名の間で普及し、戦闘法や築城〈ちくじょう〉法を変えていった。喫煙〈きつえん〉の風習も広まる。
多くの外来語が生まれる。→パン・カステラ・カルタ・シャボン・ビイドロなど。
②カトリック教団(イエズス会)の宣教師〈せんきょうし〉の活動。
南蛮寺(教会堂)・セミナリヨ(神学校)・コレジヨ(宣教師の養成学校)を設立して布教・教育を行い、また救貧活動や病院の設立などの社会事業を行う。
活字〈かつじ〉印刷術をもたらし、学習用の出版物(キリシタン版)を出版する→「天草〈あまくさ〉版伊曾保〈いそほ〉物語」「天草版平家物語」「日葡〈にっぽ〉辞書」「日本大文典」など。