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白鳳文化

时间: 2015-10-26    进入日语论坛
核心提示:C 白鳳〈はくほう〉文化(七世紀後半(大化の改新後)から八世紀初頭(平城京遷都の前))聖徳太子の没後、蘇我氏が権力独占を続け
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C 白鳳〈はくほう〉文化(七世紀後半(大化の改新後)から八世紀初頭(平城京遷都の前))
 聖徳太子の没後、蘇我氏が権力独占を続け、聖徳太子の子孫を滅ぼすなど、横暴〈おうぼう〉な行為が目立つようになった。それに対して、中大兄皇子〈なかのおおえのおうじ・626~671〉は唐を手本とした天皇中心の中央集権国家の建設を目指していた。そこで彼は645年、中臣鎌足〈なかとみのかまたり・後に改姓して藤原鎌足となり、藤原氏の始祖とされる〉らと共に蘇我氏を滅ぼし、元号を大化〈たいか〉と定めた(645年)。このときの一連の改革は大化の改新と呼ばれている。中大兄皇子は668年に即位して天智〈てんじ〉天皇となり、彼や天武天皇〈てんむてんのう・631?~686〉・持統天皇〈じとうてんのう・645~702〉らによって、中央集権体制(律令体制)の建設が進められ、701年の大宝律令〈たいほうりつりょう〉の制定によって完成する。律令は近世にいたるまで政治の基本とされ、このときに定められた大臣、大蔵省、郡などの名称は今日も使われている。この時期も朝廷による仏教保護が続き、初唐文化の影響を強く受けた仏教文化が成立する。これを白鳳文化という。
 
①彫刻・絵画
 興福寺仏頭〈こうふくじぶっとう〉→初唐様式とされる。
 薬師三尊〈やくしさんそん〉像(薬師寺金堂)・聖観音〈しょうかんのん〉像(薬師寺東院堂)
→インドのグプタ王朝の仏像彫刻の技法の影響を受けている。
 法隆寺金堂壁画〈ほうりゅうじこんどうへきが〉
 インドのアジャンター壁画の様式と類似する。1949年に焼失する。
 高松塚古墳壁画〈たかまつづかこふんへきが〉
 高句麗の古墳壁画の影響を受けた彩色壁画。1972年に発見される。
②建築  薬師寺東塔〈やくしじとうとう〉
→三重塔〈さんじゅうのとう〉。
 各階の軒下〈のきした〉に裳階〈もこし〉をつける。
 
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