1333年、後醍醐〈ごだいご〉天皇を中心とする勢力が鎌倉幕府を滅ぼし、天皇中心の政治を復活させた。これを建武〈けんむ〉の中興〈ちゅうこう〉という。だが武士の不満が高まったので1336年、足利尊氏〈あしかがたかうじ〉が武家政権を復活させ、1338年、京都に新しい天皇を立てると共に、征夷大将軍となって京都に幕府を開いた。後醍醐天皇は吉野〈よしの〉に逃れて南朝を樹立〈じゅりつ〉し、京都の北朝との対立を続けた。1392年、三代将軍足利義満〈あしかがよしみつ・京都の室町に幕府を置く〉のとき南北朝が合一〈ごういつ〉した。八代将軍足利義政〈あしかがよしまさ〉のとき、将軍の後継者争いなどが原因で応仁の乱〈おうにんのらん〉という内乱が十一年間〈1467~1477〉続いた。以後、幕府の支配力が弱まり、全国で内乱が頻繁〈ひんぱん〉に起こると共に、戦国大名〈せんごくだいみょう〉が各地を支配するようになった。
大名:武士の中で広い範囲の領地を支配した者。南北朝時代から守護が強大化した大名(守護大名)が、各地で大きな勢力を持った。戦国時代の大名(戦国大名)は実質的な地方政権を形成した。戦国大名には守護大名だった者の他に、様々な階層から成長した者も含まれる。
足利尊氏による幕府開設から、室町幕府滅亡(1573)までを室町時代と呼ぶ。またその中で、南北朝が対立していた時期を南北朝時代、応仁の乱後の約百年間を戦国時代ともいう。室町時代には商工業が次第に発達し、庶民階級が文化の担〈にな〉い手としての力を持つようになる。農民も団結力を強め、15世紀からしばしば土一揆〈つちいっき〉を起こした。戦国時代は下克上〈げこくじょう〉の風潮が特に盛んになった。
土一揆:農民が団結して行う武装蜂起〈ぶそうほうき〉。領主の支配に反抗したり、徳政令(とくせいれい・貸借関係をなくさせる法令)を要求したりして、荘園領主・大名や金融業者と争った。
下克上(下剋上):身分的に下位の者が上位の者をしのいで権力を得る現象。