わぁーい! とうとう養成は終った。
なんであれ、一区切りつく、というのは、うれしいことだった。まして、これから、NHKのテレビとラジオに出演するようになるのだと思うと、なんだか漠然《ばくぜん》として、わけはわからないものの、スリル一杯《いつぱい》で、トットは、とても浮《う》き浮きした気分だった。
卒業式は、四月の本契約《ほんけいやく》の前に、早目に行われることになった。これは、卒業と同時に、現場の人達《ひとたち》に紹介して、四月のデビューの前に使ってもらい、早くスタジオに馴《な》れるように、というNHKの計らいからだった。
トットたちは、テレビの一期生であると同時に、NHK東京放送劇団の五期生になるのだった。後《のち》に、あまりにも元気がいいのと、それまでの劇団のムードと、まったく違《ちが》ってる、ということで、トットたち五期生は丁度、同じ頃《ころ》、大ヒットした「ゴジラ」をもじって、「ゴキラ」と呼ばれるようになった。でも、この卒業式の当時は、誰《だれ》も、そんなことは、わかっていなかった。ただ、受持ちの大岡先生だけが、期待と心配と、先生特有の面白《おもしろ》がりとで、あれこれ大騒《おおさわ》ぎをしているのが、トットには、おかしかった。
とうとう卒業式の日が来た。場所はNHKの会議室で、最高責任者の吉川義雄さんが、挨拶《あいさつ》とか、訓辞とかを、することになっていた。トットは、この日を特別の日と思い、たのしみにしていた。ところが、なんという不運!! この日まで、無遅刻《むちこく》、無欠席だったトットが、この日に限って、遅刻をしてしまったのだった。
だいたい、トットは小さいときから、「今日は何か大切なことがある!」という日に、きまって、ふだん起らない悪いことが起るという、めぐりあわせになっていた。
うんと小さいときは、必らず当日になると、熱が出る。または、トイレなどに落ちる。少し大きくなってからは、例えば、戦後のことだけど、夢《ゆめ》にまで見るくらいホームシックになっていた東京に、疎開先《そかいさき》の青森から、一人で、ちょっとだけ帰って、親戚《しんせき》や友達に逢《あ》って来ていい、とママが約束《やくそく》してくれて、トットは、毎日、その日を指折り数えて待っていた。いよいよ出発の日が来た。オーバーのポケットに大切に切符《きつぷ》をしまって、トットは駅まで走った。ところが、オーバーのポケットに大きな穴があいていて、駅についたら切符はなかった。真青《まつさお》になって、雪の道をもどって探したけど、どこを探しても見つからなかった。トットが走って駅に行くとき、丁度、下《くだ》りの汽車が着いて、かなりの人が降りていったので、その中の誰かが、ひろってしまったのかも、しれなかった。ママが、無理をして、やっと買ってくれた切符だったから、それ以上の我儘《わがまま》は、いえなかった。ポケットの穴が、うらめしかったけど、それは、自分の不注意だった。そんなわけで、憧《あこが》れの上京はパアになって、友達にも逢えないことになり、それから、もう何日も、トットは泣いて暮《くら》した。
またあるときは、祖父のお葬式《そうしき》の夜のことだった。トットは、親戚の子供たちと、壇《だん》の前で、静かに、トランプをしていた。トットは勝っていて、賭《か》けの大豆《だいず》を、一人じめしていた。そこに、「お坊《ぼう》さんが見えた!」というので、トットたちは、いそいでトランプを片付けて、大人にまざって、きちんとすわった。医者だった祖父を慕《した》って、病気を治してもらった人達も沢山《たくさん》、来ていた。お葬式が始まった。お坊さんは、お経《きよう》をとなえ、壇の鉦《かね》を叩《たた》いた。ところが、ふつうなら、
「チーン」
というはずの鉦が、
「ジャリーン」
と、ヘンな音がした。そして、何度、叩いても、この音だった。なんとなく、みんなは、変った音だな、という風に、そっちを見た。トットだって、そう思った。そのとき、トットは、「あーっ!」と、いいかけて、口をおさえた。(そうだった!)トランプのとき、勝った大豆をしまっておく入れ物が手近になかったので、トットは、少し大き目の、あの鉦の中にしまっておいたのだった。
お葬式が終り、お坊さんが帰ってから、みんな鉦をのぞいて、中の大豆を見て、
「一体、どういうわけで、こんなものが、この中に入ったのだろう」と不思議がった。
トットは、叩きながら、中も見たはずの、お坊さんに、申しわけないと思った。トットが、ママに、このことを白状したのは、何年も経《た》ってからのことだった。
トットが、「今日は特別!」というとき失敗するのは、初めてのデイトの時も、そうだった。有楽町の駅の改札口《かいさつぐち》で待ち合せることになったんだけど、改札口を間違えて、二時間もドキドキしながら待っていて、結局、うまく逢えないで、その人とは、ダメになってしまった。改札口のそばの、靴《くつ》みがきの小母《おば》さんも、一緒《いつしよ》になって、待ってくれたんだけど……。
そういえば、人間として、最も重大な、この世に生まれてくる瞬間《しゆんかん》からして、トットは、不運だった。なにしろ、
「いよいよ生まれます」
と、お産婆《さんば》さんが宣言してから、たっぷり、丸一日、ふんぎりがつかない、というか、思いきりが悪いというか、出かかっては、やめる、という事をくり返し、結局、生まれたときは、もう、ほとんど死んでいた。
お産婆さんが、逆さまにして、振《ふ》りまわしたら、「ケッ!」といって、やっと息をした。
「だから、あなたを、口から先に生まれた、という人がいるけど、それは、本当じゃないのよ。ふつうなら�オギャー!! �というところ、あなたは�ケッ!�と、いったんだから……」
と、ママがいった。そして、ママが何より驚《おどろ》いたのは、あまり長いこと、せまいところに居たせいか、顔が物凄《ものすご》く長くなっちゃって、紫色《むらさきいろ》で、まるで、七福神の寿老人《じゆろうじん》みたいだった、と、いうことだった。
「よく、こんなに、ちゃんと丸顔になったものだと思うくらいよ」と、ママは、トットに、時々いった。そんなわけで、ふつうの人なら、「ここ一番!」というとき、トットの身に、不運が起るのは、不注意は勿論《もちろん》だけど、生まれつきなのかも、知れなかった。
たのしみにしていた卒業式に、何故《なぜ》、トットが遅刻したか、というと、その朝、家のそばの、乗る駅のプラットホームに、いつものように、階段ではなく、線路のわきの柵《さく》をくぐり、枕木《まくらぎ》をこえて、線路からホームに、よじのぼろう、と思ったのが、間違いだった。いつもうまくいくのに、この日は、タイトスカートなんか、はいたせいか、何度、とびついても、よじのぼれず、モタモタしてるうちに電車が来るのが見えた。仕方がないから、一台やり過そうと、柵の外に出るために走ったら、ハイヒールの片方が、枕木にひっかかって、ぬげた。そのまま、柵の外に出て、電車が行ったので、近づいて見ると、ハイヒールのかかと[#「かかと」に傍点]が、とれていた。なんとか、それで歩いてみようと、片っぽだけ背のびしてみたけど、やはりダメなので、はだしで家まで取りに帰った。靴といっても、そう何足もあるわけじゃないので、気に入らなかったけど、とにかく、今日の洋服に合うのを選び、今度は、ちゃんと階段をのぼって、やっとホームまでたどりついたら、さあ、今度は、なかなか電車が来ない。時間は、どんどん迫《せま》ってくる。乗り換《か》えの大井町の駅でも、降りた新橋の駅でも、走れるだけ走って、やっと、卒業式の会場にたどりついたとき、もう、吉川先生の訓辞が始まっていた、という、いきさつだった。そーっと入っていったトットを見ると、吉川先生は、訓辞をとめて、いった。
「なんだい君は! 今日みたいな日に遅刻するなんて!」
トットは、ハァハァしながら、
「申しわけありません。プラットホームに、とびついたんですけど、靴がぬげて、かかと[#「かかと」に傍点]が……」
と、いいかけた。吉川先生は、いつもの冗談《じようだん》をいう感じとは、全く別の、こわい顔で、
「君、心がけが悪いよ。これが放送だったら�遅《おく》れて、すいません�といって、すむかい?」
といった。
トットは、(本当にそうです)と思いながらも、この一年間、一度も遅刻した事のなかった自分を考えると、あわれに思えて、悲しかった。(こんなはずじゃ、なかった!)と自分の呑気《のんき》さにも腹が立った。涙《なみだ》が頬《ほお》を伝わって、ポタポタ落ちた。同期生のみんなも、「気の毒!」と思ってるに違いないけど、どうしようもなかった。訓辞のあと、庶務《しよむ》の人が、事務的なことの説明をすると、吉川先生が、テレビ・ラジオの現場のプロデューサーや演出家《デイレクター》の部屋を廻《まわ》って、トット達を紹介《しようかい》する、ということになった。吉川先生が、芸能とか演芸とか音楽とか書いてある部屋に入って、
「紹介します。この子たちが、今度の五期生です。養成が終って、いよいよ、よろしくお願いする、ということに、なったわけだ」
といい、五期生のみんなが、
「よろしく、おねがいします!!」
と、おじぎをする、卒業式で最も大切な、おひろめ、というか、初めての顔見世が、はじまったのだった。ディレクターやプロデューサーの机の間を通って、五期生のみんなは、出来るだけ、自分を魅力《みりよく》的に見せるようにした。部屋にいた、みんなは、拍手《はくしゆ》をしたり、立ち上って、興味深そうに、一人々々の顔や、姿を、じーっと見た。中には、ちょっと話しかける人もいた。ところが、トットといえば、みんなのあとから、泣きながら、ついていったのだった。吉川先生に叱《しか》られたショックと自己嫌悪《じこけんお》と、(今日に限って!)という口惜《くや》しさで、どうしても涙が止まらなかった。だから、みんなが、
「よろしく、おねがいします!」
といってる時も、一緒に、おじぎをして、口の中で、モゾモゾ言ったけど、涙と鼻を、すすりあげるだけで、声にはならなかった。一人だけ泣いてるので、不思議そうに、
「どうしたの?」
と聞く人もいた。すると、トットは、目も鼻も真赤《まつか》になっていたけど、せめて上手に説明しようとした。でも、
「あの、遅刻したんで、吉川先生に叱られて……靴がぬげたもので……」くらいまでいうと、もう、あとは、また悲しくなって、しゃくり上げるのだった。本当だったら、誰よりも、元気に、ニコニコして、
「こんにちは!」
と、いいたかったのに……。こんな風に、一階から五階と、ゾロゾロ、夕方近くまで、ご挨拶《あいさつ》は続いた。とうとう吉川先生が、
「おい、もう泣くなよ」
と、トットのそばに来て、いって下さったけど、トットの涙は、とまらなかった。
そんなわけで、晴れの顔見世の日、トットがお見せしたのは、涙でグチョグチョのハンカチと、お聞かせしたのは、ズルズルという、鼻をすする音だった。
十七人の仲間の一番最後から、トボトボついていくという、トットが思ってもいなかったデビューだったけど、とにかく、これで、トットは、社会人になったのだった。