さいしょの当番は勇二と照江だった。朝、みな子は席をかわった。勇二と照江にはさまれるようにしてすわった。
淳一がバイバイと手をふると、みな子は同じように笑って手をふっていたのに、一時間めの授業がはじまると、じき席をたって淳一のところにきた。
「みなこちゃん、あんた、もうぼくのところへきたらいかんのやで」
淳一はみな子の手を引いて、勇二のところへつれていった。
「ちゃんと、みなこちゃんをみたらなあかんで」
と勇二にいっている。
小谷先生はにこにこして、だまってそれを見ていた。いちど子どもにまかしたら、できるだけ口を出すまいと心に決めているふうだった。
一時間めのとちゅう、淳一のところへいくのをあきらめたみな子は、ふらっと外へ出た。それっとばかり勇二と照江はみな子について出る。勉強の好きでない勇二は、どうやらその機会をまっていたようなふしがある。
小谷先生はくすっと笑った。
「みなこちゃん、チョウチョウや」
勇二はがぜんはりきって、チョウチョウのとんでいるまねをする。みな子はケラケラ笑ってチョウチョウになった。
三匹のチョウチョウは運動場に出た。みな子チョウはかける。勇二チョウと照江チョウはおいかけるのにけんめいで、鼻の頭に汗をかいている。
「なにしとるんや、あいつら」
体育をしていた六年生はけげんな表情で、みな子たちを見ている。
ぞんぶんに広い場所をかけまわった三人は、スベリ台で遊ぶことにした。みな子は高いところにあがるのが好きだ。
みな子は手足がじょうぶでない。高いところにのぼったら、かならずいっしょにあがってどこかをつかまえておくように、小谷先生からくれぐれも注意されている。勇二も照江もいっしょにスベリ台にのぼった。
このごろの小学校では、スベリ台なんて遊具にはあまり人気がない。一年生が、はじめにちょっと使うだけで、後は赤くさびつかせたままほうってある。
そんなところを、みな子はいっきにすべる。あわてて勇二も照江もすべった。
「おしりまっかかや」
照江はなさけなさそうな顔をしていった。
「ほんまや」と勇二がいう。
みな子は笑う。また、のぼる。おいかけるふたり。みな子はすべる。ふたりもすべる。
「みなこちゃん、おしりまっかかになるで。すべりだいやめて、てつぼうしよう、ね、みなこちゃん」
照江はいっしょうけんめいみな子にいいきかせている。
「みなこちゃんはかしこいね。おりこうさんでしょ。あっちへいきましょ」
みな子の頭をなでて、照江はごまかすのにいっしょうけんめいだ。
「なんで、おなじことばかりするんやろ」
勇二もおうじょうしている。
ぱっと照江の手をふりはらって、みな子は走る。また、スベリ台にのぼった。
「パンツやぶれるやん」照江は泣きそうな声を出した。
二時間めがおわるころ、勇二は、泣いている照江と、笑っているみな子をひきずって教室にかえってきた。
三人のお尻をみて、子どもたちは笑いころげた。ぱっくり大きな穴があいている。もちろんパンツはどろどろだ。
みなこ当番の一日めはたいへんだった。役目をおえたふたりは、みんなから拍手を受けた。みな子をむかえにきたおばあさんに礼をいわれて、ふたりは顔をくしゃくしゃにさせた。
勇二も照江も、今夜はぐっすりねむることだろう。
当番がまわってこなくても、この仕事のたいへんさは、子どもたちによくわかっているようだった。
当番の二、三日前になると、すでに当番のおわった者のところへいって、いろいろみな子のことをたずねている。淳一はさしずめみな子の専門家だ。だれがききにきても、淳一はていねいに教えてやっている。
小谷先生は当番のはじまった日から学級通信の発行をはじめた。みなこ当番のようすを中心に、その日のクラスのできごとを家庭に知らせるのだった。小谷先生は通信のはじめに、このあいだの淳一のことばを大きな字で印刷した。
ぼく
みなこちゃんがノートやぶったけど
おこらんかってん
本をやぶってもおこらんかってん
ふでばこやけしゴムとられたけど
おこらんかってん
おこらんと
でんしゃごっこしてあそんだってん
おこらんかったら
みなこちゃんがすきになったで
みなこちゃんがすきになったら
めいわくかけられても
かわいいだけ
*
五日めにちょっとした事件があった。
清と道子が当番のときで、二時間めにみな子の後をおって運動場に出た。しばらくいっしょに遊んでいたが、オシッコジャアーがはじまって、清と道子はいそいでみな子を便所につれていこうとした。
走りかけたが、みな子はその場でもらしてしまった。
「やったでえ」と清はのんびりといった。
「せんせいにパンツもらってきて」
勝気な道子は自分で始末するつもりらしい。清が報告にきたので、小谷先生はいそいで現場にいった。
「あらあら」
小谷先生はみな子のぬれたパンツをぬがそうとした。
「せんせい、わたしらみなこちゃんのとうばんやから、わたしらでする」
道子はぴーんとした声でいった。小谷先生は、はっとして、思わず、
「ごめん、道子ちゃん」といった。
「それじゃお願いするわね。先生、教室にかえるわ」
「いって」
まだ道子はつんつんしている。
その後、事件がおこった。
パンツをぬがされたみな子は、気持がよくなったのか、すぐ、そばにあった飼育池にはいっていこうとした。藻が繁殖していて、一帯がぬらぬらしていた。
片足がはいるやいなやみな子はひっくりかえって、あっというまに、頭から水の中に落ちた。それを見て、道子はずかずかと池にはいっていった。みな子を助けようとして手をさし出した。みな子の手が道子の手にふれた。そのしゅんかん、道子も水の中へたおれた。
それからふたりはおぼれたトンボになった。清がわあわあさわいだ。体育をしていた佐山先生があわててかけつけて、ふたりを助けた。佐山先生もいちど池でしりもちをついたくらいだから、よほどよくすべる池だったのだろう。
小谷先生は大目玉をくった。とくに教頭先生からは、つよく叱られた。小谷先生はひたすらあやまるだけで、一言もべんかいをしなかった。へたにべんかいをして、当番の禁止をもうしわたされたらこまるからだ。
みなこ当番をはじめようとしたとき、こういうことがあるだろうということを、小谷先生はあらかじめかくごしていた。
小谷先生は学校のすみずみまで歩いて、この場所ではこういう事故がおこりそうだと、いちいちてんけんしていた。屋上とか、ゴミを焼く炉の上とか、重大なきけんがおこりそうなところは、みな子をつれていかないこと、みな子が行きかけたら力ずくでもとめることなどを、子どもたちに話してあった。
話すだけでなしに、じっさいに子どもたちをつれて歩いて、一つ一つ、ここではこうするああすると教えてあった。
それでも小さな事故はおこるだろう。しかし、それを恐れていたらなにもできないと小谷先生は思った。子どもはケガをさせないようにして、もりをしているだけでいいと公言してはばからない教師がいたが、小谷先生はそんな人を軽べつしている。
それにしてもだいぶ叱られちゃったナと思いながら、小谷先生は校長室を出た。どうしたの、と折橋先生にいわれて、ぽろっと涙がこぼれた。
足立先生がポーンと肩をたたいた。
くよくよするなと小谷先生は自分にいいきかせた。あしたの当番は鉄三ちゃんだ、鉄三ちゃんうまくやるかなァと小谷先生は思った。鉄三と組になった女の子はやよいといって、めだたない子だった。道子のように気性のつよい子と組んでくれていたら、安心してみていられるのだが、鉄三とやよいでは、ちょっと心細い。
鉄三ちゃんがんばってね、と小谷先生は祈るような気持だった。
つぎの日、鉄三はふだんとかわらない顔をして学校にきた。やよいは朝から心配そうなようすだ。
一時間め、みな子は数え棒やおはじきを出して、わりあいおとなしく遊んでいた。
鉄三は知らん顔をしている。小谷先生は心配だ。鉄三の顔を見ていると、人のことなど知らんといっているような気がしてしまうのだ。
二時間め、みな子は外へ行きたそうなそぶりをみせた。すると、鉄三の方が先に立った。鉄三は歩きはじめた。みな子はばたばたと後をつけた。やよいもあわてて走った。
小谷先生は窓からちらちら鉄三たちを見ていた。
鉄三は先に歩く、みな子とやよいが後をつけている。こんなかっこうは、きょうがはじめてだ。いつもみな子の後を、当番の者がおいかけているのだ。これはおもしろいぞと小谷先生は思った。
鉄三たちは校門のそばの桜の木のところまできた。上を向いて桜の葉を見ている。三人とも口をあんぐりあけて上を向いているが、みな子とやよいは、鉄三のまねをしているだけである。
しばらくして、鉄三は桜の木をゆすった。ばらばらっとなにか落ちてきた。鉄三はそれをていねいに拾いあつめた。
みな子とやよいがのぞきこんでいる。四センチくらいの毛虫なのだ。やよいは気味わるそうだが、みな子はそれを手でつついてキャッキャッとよろこんでいる。
毛虫をもって砂場まできた。穴をほって、ひとまず毛虫をそこに入れた。鉄三は砂地を平らにならした。その上に毛虫をぱらぱらとゴマでもふるようにおいた。そしていそいで三センチくらいの厚さに砂をかけた。
三人はお尻を立ててのぞきこんでいる。三十秒ほどすると、あっちからもこっちからも、にょろにょろ毛虫は首を出した。なんとも奇妙なながめだ。
みな子は毛虫を見て笑い、鉄三の顔をのぞきこんで笑っている。よほど気に入ったのだろう。二、三回同じことをくりかえすと、こんどは、みな子が自分でやりはじめた。だれがやっても毛虫は顔を出す。みな子は前よりもいっそう大声で笑った。
みな子はすっかりごきげんだ。
窓から見ているだけでは気になるのか、ときどき小谷先生は鉄三たちのようすを見にきた。そして安心して教室へかえっていった。鉄三はみな子を遊んでやっているふうでもない、自分勝手に好きなことをやっているのだが、みな子はよろこんでいる。
小谷先生は感心した。いままでの当番はどっちかというと、みな子にふりまわされていたようなところがある。みな子がブランコをすればブランコ、タイヤとびをすればタイヤとび、もっとも、そうしなければ、みな子はそっぽを向いてしまうのだから、しかたないわけでもある。鉄三はちがう。鉄三はすこしもみな子のきげんをとらない。
三時間め、鉄三たちは小谷先生の眼のとどかないところにいってしまった。小谷先生は心配になってさがしにいった。
西校舎の裏側に三人はいた。みな子のかん高い笑い声がひびいていたので、みな子ちゃんごきげんなんだナと小谷先生は思った。
三人ともなにか作っていた。近くに寄ってよく見ると、奇妙な形の粘土細工のようなものがおいてあった。工事のときに使って、そのまま置きわすれていた赤土を、水でこねて作ったらしい。
鉄三のはまん中がかたつむりのからのようで、ちゃんとうずまきのすじがついている。それが中心で、そこから太い線香のような足が、十本ほど四方にのびている。細い木の枝をつまようじのように折って、その作品につきさしてあった。抽象彫刻のようなおもしろさがあった。
みな子はダンゴのようなたまを、無造作につみあげて、やっぱり木の枝をさしてある。かんたんなだけにかえって力づよいものを感じさせた。やよいはふたりを手伝ったらしく自分の作品はなかった。
「すごいものを作るわね。ピカソのおじさんが見たら、泣いてよろこぶわよ」
小谷先生は自分が学校の教師であることがはずかしかった。
四時間め、たいへんなことがおこった。
三人は粘土遊びをやめて、西校舎から運動場をよこ切って、自分たちの教室へかえるところだったようだ。運動場では、山内という学年主任の先生と太田先生のクラスが簡易サッカーをやっていた。どちらも五年生だった。子どものけったボールをみな子は笑いながらおいかけてラインの中にはいった。ピーと笛がなって、審判をしていた山内先生は、こらっとさけんだ。それでもまだ、みな子は笑ってボールをおっていたので、山内先生はみな子の首すじをつかんで、ラインの外へ引きずり出そうとした。
そのときだ。鉄三にとびかかられた山内先生は右の腕にするどい痛みを感じた。おうとさけんでふりはなそうとしたが、しがみついてはなれないので、鉄三の顔を二、三発なぐった。太田先生がとんできて、やっとの思いで鉄三を引きはなしたが、一部始終を見ていた太田先生は、鉄三を引きはなすとき、思わず、
「あんたが悪い」
といってしまったのだ。
「なに!」
と山内先生がかえして、それでもうれつな口論になった。太田先生は小谷先生と同じで、ことし教師になったばかりの若さだから、いちど火がついたら、なかなかおさまらない。子どもの前だったので、さすがに気がひけたか、ふたりは職員室までかえってきたが、そこからがすごいけんかになってしまった。
山内先生は眼が血走っているし、太田先生はまっ青な顔をしている。昼休みのベルがなって先生たちもたくさん職員室におりてきた。
「礼儀しらず、やめてしまえ!」と山内先生はどなった。
やめてしまえとはどういうことだ、やめてほしいのはあんたの方だ、戦場に子どもを送りこんでおいて、ぬけぬけと教師をしているなと太田先生はやりかえした。山内先生の世代は、それをいわれるといちばん気にする。山内先生は思わず太田先生の胸ぐらをつかんだ。
「とめてえ!」
女の先生はひめいをあげた。
「とめるなとめるな、こんなときに太田くんにいわせろいわせろ」
足立先生が太田先生の味方をしたので、こんどは教頭先生がどなりだした。足立先生もどなりかえした。
とうとう二組のけんかがはじまった。
事情をきいてとんできた小谷先生は、あまりのことに泣き出してしまったのだった。
「アダチィ、まけるな」
「オオタァ、やれ」
いつのまにか、功や純ら、処理所の子どもたちが窓から首をつき出して、足立先生たちを応援している。