東京での仕事を終え、渡嘉敷島へ戻った。
東京は気温三・三度というのに、こちらは十九度もある。日が差すとさらに気温は上がって、暑いくらいだ。
渡嘉敷港に降り立つと、自然に顔がほころんでくる。
わたしは確かに南島から活力をもらっているなと思う。
自転車をひいて、マコトさんが迎えてくれた。がんの為、顔の半分をとってしまう大手術を受けたのだが、今はもう、マグロ漁に出るまでに回復している。
隻眼の漁師である。
「くれぐれ無理はせんといてよ」
とわたしはいった。
性格のおだやかな、そして気のいいマコトさんのどこに、その不屈の精神がひそんでいたのだろう。
海に戻ったマコトさんは晴々とした顔をしていた。
クノ君夫妻の畑はどうなっているのかしら。
わたしは足を運んだ。
裕一さん、千晴さんの姿が畑にある。
「ずいぶん畑、きれいになったね」
「うん。まあまあだよ」
この前、島を出るとき畑は冠水して、無残な姿をさらしていたのである。
今は、カボチャ、インゲン、ホウレンソウ、ネギ、ニンジン、トウモロコシ等々、たくさんの野菜が元気よく日を浴びていた。
「水はけが悪いのと、風の強さで、どうしてもいくらか被害は出るんだね」
クノ君は、キュウリの葉の黄色い部分を指さしていった。
「有機農法もたいへんなんだ」
とわたしはいった。
もう刈り取るばかりの小麦が、しっかりした実をつけていた。
クノ君夫妻の農業も、はや二年にもなろうとしている。
二十代の若者が東京からやってきて島に住み、押し寄せる苦労にくじけることなく、こうして野良で働いている姿を見ると、感動するのである。
こういう若者もいるということが、このくにの希望のように感じられるのだ。
さて、半年の約束ではじめたこの連載エッセイも、ようやく最終回を迎えた。
半年が、もう半年、そして、もう半年と続けることができたのは、すべて読者の方々の後押しのおかげである。
たくさんのお手紙をいただいた。もちろん、お叱りもあったけれど、大部分は励ましの文面でたいへん、うれしかった。
甥《おい》の交通事故という私事を書いたのに、お見舞いのお便りまでいただいた。さいわい、甥は命をとりとめ、今、順調に回復の途にある。ありがとうございました。
この連載をはじめたとき、神戸の少年事件がおこり、版権引き揚げ問題で、わたしはつらい時間をおくっていた。
この欄から、みなさんに話しかけられることが、わたしにとって、どれほどの励みになったことか。深くお礼を申します。