徳治がかえってきた。
鉄三がハエ博士なら、徳治はさしずめ鳩ぐるいというところだろうか。
さいしょにしゃべったのが鳩のことだった。
「キンタロウはどうしている」
キンタロウというのは徳治がいちばんかわいがっていた鳩の名まえである。
「あいつにこまってるねん」
徳治がるすをしていたあいだ。ずっと鳩の世話をしていた四郎がこたえた。
「ほかの鳩をいじめまわすんや。ゴンタなんか、えさも水もよう飲みよらへん」
ゴンタは徳治の飼っている十四、五羽の鳩のうち、いちばんの年寄りだ。
みんなで鳩を見にいった。徳治の家の物干しに鳩小屋がある。
徳治が製鋼所の屋根から落ちて大けがをしたとき、鳩小屋はこわされる運命にあった。それをきいた徳治は病院で、あばれくるった。こわしてみろ、こわしやがったら死んでやるわいと、そばにあった果物ナイフをふりまわした。根まけした徳治の両親があきらめて、四郎に鳩の世話をたのんだというわけである。
徳治はなつかしそうに眼を細めて鳩を見た。
「タロもおるやん。チョンコもおるやん。おいこらドンベイ、こっち向け。ご主人さまがかえってきたんやでえ」
そのうち一羽の鳩がグルルロロロとなきだした。それにつられて、ほかの鳩たちもいっせいになきはじめた。
「おぼえとるやん。おれがかえってきたことをよろこんどる」
徳治は顔をまっ赤にして、うれしそうにさけんだ。
「鳩でもわかるんやなあ」——感心したように功がいった。
「どれがキンタロウやねん」
四郎が指さした鳩はなるほど不敵なつらがまえであった。ほかの鳩のようにきょろきょろしないで、ひとつのところをじっと見ている。
四郎が水とえさを入れてやった。鳩たちはいっせいにえさをついばみはじめた。
「見とけよ」
四郎がささやいた。
キンタロウは二度三度、目玉を動かした。それから、ぱっととび立って、まるで重いものが落ちてくるような横着なとび方をして、えさ場にきた。すぐ、となりの鳩を一突きつついた。つつかれた鳩はちょっととびのいて、つづけてえさをとろうとした。そこでキンタロウの攻撃がはじまった。上にかぶさるようにして、その鳩の首すじをつつきまわす。逃げる鳩をおって、いっそうはげしくくちばしをたたきつける。
「にくたらしいやつやなあ」
いかにもよわいものいじめという感じに、たまりかねて純がいった。
「あれがゴンタか」
「うん。やられている方がゴンタ」
四郎が竹の棒をさしこんで、キンタロウをこづきまわした。
「ゴンタがよわってしまうやん」
徳治は心配そうにいった。
巣の方においやられたゴンタは、丸くふくれて羽毛の色つやがさえなかった。ゴンタは、キンタロウのすきを見て、ふたたびえさ場にやってきた。ひと口ふた口えさをついばんだと思ったら、もうキンタロウの攻撃をうけていた。
「えげつな」
功は顔をしかめた。
「徳ックン、こんな鳩、おい出してしまえ」と、純はいった。
「おい出すか」と四郎もいった。
「おい出せ、おい出せ。徳ックン」
芳吉も武男もそういうので、なんだか徳治は後へさがれないような気分になった。
徳治はしょうちした。
四郎はキンタロウをらんぼうにひっかきまわして、それから追放した。キンタロウは空高く飛んだ。
「あのあんぽんたん、よろこんどる」
四郎はいまいましそうにいった。
鳩舎の中で一羽の鳩がゴロゴロないた。
「キンタロウのよめはんや」
四郎がそういって、みんなちょっと後味の悪い気分になった。
キンタロウは、処理所のいちばん高い屋根の上にとまった。
「あいつ、きょろきょろしてるで」
「びっくりしてるんやろな」
キンタロウはそこから動かなかった。じきどこかにとんでいくだろうと思っていた子どもたちは、あてがはずれておたがいに顔を見合わせた。
「なんや廊下に立たされてるみたいや」
「おまえ、よう立たされるから、身につまされるんやろ」
と功にいわれて、武男はちょっとふくれっ面になった。
「ほうっとけ、ほうっとけ」
みんなむりにキンタロウのことをわすれようとした。徳治の家で、しょうぎの歩回しをして遊んだ。もうし合わせたように、だれもキンタロウのことを口にしなかった。そのくせ、ちらちら窓の方に眼をやっている。
「ちょっとションベンしてくるワ」
四郎がいうと、みんなうたがわしそうな眼つきをした。
「ションベンやでえ」
口をとがらして四郎がいう。
四郎がかえってきて、ふたたび歩回しがはじまったが、だれも身を入れてやっていない。
「おれもションベンいってくるワ」
こんどは功がいった。
「おれもいくワ」
功と純はならんで小便をした。よこ眼で屋根の上を見ている。
「おまえ、ションベンあんまり出てへんやないか」
功にいわれて純はこまったような顔をした。ふたりはならんでかえってきた。どちらも監視しあっている。
三度目の小便のとき、徳治はたまりかねていった。
「ずるいぞ、おまえら」
それがきっかけで、みんな、わあと、先をあらそって外へ走り出た。
キンタロウはまだ屋根の上にいた。じっと風に吹かれていた。子どもたちにはキンタロウが別の鳩かと思うほどさびしそうに見えた。四郎が石をおもいっきりけった。
よく日、みんな早おきだった。
ねむい眼をこすって屋根の上を見た。キンタロウはまだそこにいた。
子どもたちは安心をして朝ごはんをたべ、そして学校にいった。
その日、学校で落ちついて勉強をした者はひとりもいなかった。四郎は二度、廊下に立たされていたし、功は先生の質問にとんちんかんな答をして、みんなに笑われた。純は計算のテストがふだんより悪かったし、武男は給食のミルクかんをひっくりかえして大目玉をくった。
学校がおわると、みんないちもくさんにとんでかえった。
悪い予感があたらないように子どもたちは祈った。処理所にかえるといそいで屋根の上を見た。
キンタロウはそこにいなかった。子どもたちはがっかりした。キンタロウをおい出せということばをとり消しても、もう間にあわなくなってしまったのだから。
三時ごろ、全員そろった。このままでは徳治に悪いとみんな思っている。鳩のいそうな場所を徳治にきいた。キンタロウの特徴もしっかり頭に入れた。手分けしてさがしにいくことになった。みつかれば徳治にれんらくするつもりなのだ。まだ、からだが十分でない徳治は残って本部づけというところだ。
四時ごろ、汗とほこりでまっ黒になった顔が、つぎつぎかえってきた。つかれたようすから、なにもいわなくても、だめだったことがわかる。
みんな、その場にへたりこんでしまった。あらい息をして眼だけ光らせている。
「もう一カ所、鳩のあつまっているところがあった」
徳治がいったので、みんなあわててとびおきた。
「近すぎてわすれとった。運河沿いで海に出ると、かどのところに製粉所があったやろ。あそこは小麦を入れるサイロがあって、鳩がようあつまってくるんや。キンタロウは腹をへらしているはずや。ひょっとしたら、そこへいっとるかもわからへん」
なるほどと子どもたちは思った。そこへ行くとすぐにでもキンタロウに会えるような気がした。子どもたちはかけ出した。
運河に出るには、いちど処理所の門を出て、ぐるっとまわってこなくてはならなかった。しかし、気のはやる子どもたちは下水を通って、ネズミの親分をつかまえたあのトンネルをくぐって、あっさり近道をした。
土管を出ると、車《しや》輛《りよう》工場のへいによじのぼった。そこをこえてしまうと検疫所の広っぱに出るので、後はらくだ。
子どもたちはやっと歩きはじめた。
「キンタロウのやつ、おれたちのこと、おこってるやろか」
「すねて家出したんやな」
「自殺するかわからへんで」
「アホ、鳩は自殺なんかするかい」
「犬はするで。おれ見たんや。犬とりに引きずられて箱に入れられるとき舌をかみ切りよった」
「へえ」
子どもたちは、がやがやさわぎながら海辺に出た。
海は広い原野のようだった。おりからの夕日が、さざなみに朱の色をつけて、それは、よく実った稲穂が風にゆれているようである。たえずざわめいて、子どもたちになにごとか話しかけるようであった。
かれらはしばらくその風景に見とれていた。いつもきたない鈍《にび》色《いろ》の海なのに、きょうは神さまがいたずらをしているのだろうと、子どもたちは思った。
製粉所のサイロは、天に向かってにょっきり突っ立っていた。子どもたちはふたたび、へいをよじのぼって、製粉所の倉庫の方へ近づいていった。
「オッサンにみつからんようにしいや」
功はみんなに注意した。
鳩は倉庫の屋根うらに、群れていた。
「すごい」
芳吉はびっくりして、思わずさけんだ。
無数の鳩たちはグルッポーグルッポーとなきながら、ふいの侵入者をけいかいするようだ。
「なん匹くらいおるやろ」
「百匹くらいやろか」
「二百匹はおるで」
子どもたちはひそひそ話したが、この中から一羽のキンタロウをみつけだすのは、とうていむりなように思われた。
それでも子どもたちはねっしんに見ていった。
「こらっ!」
とつぜん大声でどなられて、子どもたちはとびあがった。おどろいた鳩がものすごい羽音を立ててとび立った。
鳩と子どもたちはひっしで逃げた。鳩はつかまっても学校に報告されないが、おれたちはそうはいかん、職員室でねちねちやられるのはたまらんわい。
とちゅうで芳吉がひっくりかえったが、はよおきろと功に尻をけられて、半泣きで走った。やっとの思いでへいをよじのぼって、おいかけてきた守衛のオッサンに悪たれをついた。
「デブ、くやしかったらここまでこい」
つかまった者はだれもいなかったが、とうとうキンタロウはみつからなかった。
子どもたちはがっかりしていた。
芳吉はひざから血を流している。
「泣くな、それくらいのことで!」
功はどなりつけた。こっちが泣きたいくらいだ。
埋立地までくると、子どもたちは海に向かって腰をおろした。うすら寒い風が吹いてくるような気がした。
「あれ、見い」
武男の指さす方を見ると、二百羽近い鳩の群れが急旋回して、西の空にとんでいくところだった。空は落日で血のように染まり、鳩はきれいなシルエットと化した。
ふうーと純が大きな息をした。
「あいつら、どこへでもいけてええなあ」と四郎はうらやましそうにいった。
「おれもどっかへいきたいワ」
功がめずらしく小さな声でいった。
この海の向うはどこやろか、ずっと向うか、ずうっとずうっと向うや、地中海や、ちがうわいインド洋じゃ、大西洋じゃ、うるさい、どこでもええわいと純はいって、それからやっぱり小さな声で、どこでもええから広いところへいきたいとつぶやいた。
「純は海が好きか」と、功はたずねた。
純はうなずいた。「白鯨」の話を思いうかべていた。モビー・ディックとよばれる狂暴な白鯨に片足を食いちぎられ、復讐をちかう捕鯨船の船長エイハブが、純の理想の人物だった。男らしいやつがおれは好きや、海は人間を男らしくさせるんやで、と純はいった。
みんなは遠い眼をして海の向うを見た。そして純がいったことばをみんな考えた。
太陽がまっさかさまに落ちてきて、子どもたちの顔を赤く照らした。
かえりがおそいので、徳治が心配をして見にきた。みんなは徳治の顔を見るのがつらい。
「あかんねん。徳ックンすまんなァ」と四郎がわびをいった。
「ええねん、おれ気にしてない」
徳治はみんなの気を引き立てるように、わざと元気な声でこたえた。
子どもたちはおそうしきのかえりといったあんばいで処理所へかえってきた。
むだなことだと思いながら、みんな屋根の上を見た。やっぱりキンタロウはいなかった。あいつ本気で家出をしてしもたんや、あほなやつや、おれたちの気持も知らんであほなやつや、あいつ、と子どもたちは思った。
「徳ックン、あれ見い!」
四郎がするどい声でいった。徳治の家の物干しに、ちょこんと黒い影がとまっていた。
「キンタロウや!」
わあっとみんなかけた。鳩をおどかしてはいけないので、徳治だけ、そっと物干しにあがった。徳治がトラップをあけてやると、キンタロウはすとんと身軽に小屋にとびこんだ。徳治は下でまっている四郎たちに大声でさけんだ。
「キンタロウがかえってきたでえ!」