(二)
かくあるを見つつこぎ行くまにまに、山も海も皆暮れ、夜ふけて、西東(にしひむがし)も見えずして、天気(てけ)のこと、楫(かぢ)取りの心に任せつ。をのこも慣らはぬは、いとも心細し。まして、女は船底に頭(かしら)をつきあてて、音(ね)をのみぞ泣く。かく思へば、船子(ふなこ)・楫取りは、舟唄歌ひて、なにとも思へらず。その歌ふ唄は、
春の野にてぞ音(ね)をば泣く。わがすすきに手切る切る摘んだる菜を、
親やまぼるらむ、姑(しうとめ)や食ふらむ。帰らや。
よむべのうなゐもがな、銭こはむ。そらごとをして、おぎのりわざして、
銭も持て来ず、おのれだに来ず。
これならず多かれども、書かず。これらを人の笑ふを聞きて、海は荒るれども、心は少しなぎぬ。かく行き暮らして、泊(とまり)に至りて、翁人(おきなびと)ひとり、たうめひとり、あるが中にここち悪(あ)しみして、物もものしたばで、ひそまりぬ。
(現代語訳)
このような景色を見ながら漕いで行くうちに、山も海もすっかり暮れ、夜も更けて、西も東も分からなくなり、天候のことは船頭任せにした。男でも、夜の船旅に慣れない者は、とても心細い。まして、女は船底に頭を押し当てて、声をあげて泣くばかりだ。このように思っているのに、船乗りや船頭は舟唄を歌い、何とも思っていない。その歌う舟唄は、
<春の野原で声をあげて泣くよ。私がすすきで手を切りながら摘んだ菜っ葉を、舅や姑が今ごろむさぼり食べているのだろう。もう帰ろう。夕べの娘を見つけたい。銭を取ってやる。うそをついて掛買いをして、銭も持って来ず、姿も見せない。>
これだけでなく他にも多かったが、書かない。これらの唄を人々が笑うのを聞き、海は荒れているものの、心は少し和らいだ。こうして一日中船を漕ぎ進めて港に着いたが、老翁ひとりと老女ひとりが、みんなの中で気持ちが悪くなって、食事もなさらず寝込んでしまった。