六日(むゆか)。澪標(みをつくし)のもとよりいでて、難波(なには)に着きて、河尻(かはじり)に入る。皆人々、媼(おむな)・翁(おきな)、額に手を当てて喜ぶこと二つなし。かの船酔(ふなゑ)ひの淡路の島の大御(おほいご)、都近くなりぬといふを喜びて、船底より頭(かしら)をもたげて、かくぞ言へる。
いつしかといぶせかりつる難波潟(なにはがた)葦(あし)こぎそけてみ船来にけり
いと思ひのほかなる人の言へれば、人々怪しがる。これが中に、ここち悩む船君、いたく愛(め)でて、「船酔ひしたうべりしみ顔には、似ずもあるかな」と言ひける。
七日。けふ、河尻(かはじり)に船入り立ちてこぎ上るに、川の水ひて、なやみわづらふ。船の上ることいとかたし。かかる間に、船君の病者(ばうざ)、もとよりこちごちしき人にて、かうやうのこと、さらに知らざりけり。かかれども、淡路(あはじ)専女(たうめ)の歌にめでて、都誇りにもやあらむ。からくして、あやしき歌ひねりいだせり。その歌は、
来(き)と来ては川上り路(じ)の水を浅み船もわが身もなづむけふかな
これは、病をすればよめるなるべし。一歌(ひとうた)にことのあかねば、いまひとつ、
とくと思ふ船なやますはわがために水の心の浅きなりけり
この歌は、都近くなりぬるよろこびにたへずして、言へるなるべし。淡路の御(ご)の歌に劣れり。「ねたき。言はざらましものを」と、悔しがるうちに、夜になりて寝にけり。
(現代語訳)
六日。澪標のところから出発して、難波に着いて、淀川の河口に入った。人々はみんな、老女や老人はとくに、額に手を当てて喜ぶことこの上ない。例の船酔いの淡路の島の大御は、都が近くなったと聞いて喜び、船底から頭をもたげて、このように言った。
<いつ帰り着けるのかと待ち焦がれて、心の晴れずにいた難波潟に、葦をこぎ分けてようやく船はやって来たことだ。>
とても意外な人が歌を詠んだので、みんな不思議がった。その人たちの中に、気分がおかしくなっていた船君(貫之のこと)はこの歌をたいそうほめて、「船酔いされていたお顔に似つかわしくないことだ」と言った。
七日。今日は、河口の中に船が入って漕いで上るが、川の水が減っていて、さんざん苦労する。船が川を上るのはとても難儀だ。船君である病人(貫之のこと)は、もともと無風流で、一向に我関せずの体であった。しかし、淡路の専女の歌に感心して、都が近くなって気持ちが高まったせいだろうか、ようやく、へんてこな歌をひねりだした。その歌は、
<どんどん進んできたが、さかのぼる川の水が浅いので、船も滞り、私の身も病んで動けない今日の日よ。>
これは病気ゆえの歌だったのだろう。一言では言いたいことが言い尽くせなかったので、もう一首、
<早く行こうと思っている船が滞るのは、私のためを思う水の心が浅いせいなのだ。>
この歌は、都が近づいた喜びに我慢しきれず、言ったものだろう。淡路の御の歌より劣っている。「悔しい。言わなければよかった」と悔しがっているうちに、夜になり、寝てしまった。
(注)澪標 ・・・ 船に水路を知らせる標識。
(注)淡路の島の大御 ・・・ 一月二十六日の「淡路の専女」と同一人物。