行き暮れた中世の旅人が、一つ道の行きどまりに門を見つける、叩いてみるが、答はなく、門は開かれない、旅人は力無く引き返す、丁度そのように、私はその米兵と比島の女兵士のいる道から引き返した。中隊を出て以来、幾度となく「引き返した」経験の、最早これが最後であると、私は感じた。
自然は、昨日からの砲撃によって、新しく破壊されていた。野は蟻地獄のような摺鉢状の穴で蔽われ、林の樹は幹が折れ、枝が飛んでいた。
到るところに屍体があった。生々しい血と臓腑が、雨あがりの陽光を受けて光った。ちぎれた腕や足が、人形の部分のように、草の中にころがっていた。生きて動くものは、蠅だけであった。
ここに私の最も思い出し難い時期が始まる。それからなお幾日か、私が独りで歩いた時間は、暦によって確認されるが、その間私が何をし、何を考えたかを思い出すのに、著しい困難を感じる。
無論我々は過去を尽く憶えているものではない。習慣の穴を別としても、重なる経験が似通っているため、後の経験が前のものを蔽い、奇妙な類似化が行われる。この種の累積だけが自我の想起可能の部分である。
この時期の私の経験を、私が秩序をもって想起することが出来ないのは、たしかにそれがその前、或いは後の、私の経験と少しも似ていないからである。
私が生きていたのはたしかであった。しかし私には生きているという意識がなかった。
私が殺した比島の女の亡霊のため、人間の世界に帰ることは、どんな幸運によっても不可能であることが明瞭となってしまった以上、私はただ死なないから生きているにすぎなかった。不安はなかった。死んだ女も憎んではいなかった。
飢えも、食物を得る困難も、問題ではなかった。人間は何でも食べられるものである。あらゆる草を、どんなに渋く固かろうと、虫の食った跡によって毒草でないと知られる限り、採って食べた。
雨が降り、木の下に寝る私の体の露出した部分は、水に流されて来た山蛭によって蔽われた。その私自身の血を吸った、頭の平たい、草色の可愛い奴を、私は食べてやった。
私はオルモック街道とほぼ直角に、東の方、脊梁山脈の方へ入って行った。急な丘が錯綜し、谷が迷路のように入り組んでいるのは、この地方が地質時代に沈下して海に溺れた後、再び隆起したことを示していた。
川と原と草と林の、単調な繰り返しの間に、自然は砲撃の跡を絶ち、血と臓腑を持った屍体はなくなった。すると再びあの私のよく知っている臭いが漂い始めた。道の上、林の縁に、私は自然に死んだ者達を見た。
或いは道にその歩行の方向と平行に伏し、或いは、恐らく水を飲むためであったろう、道に沿った溝まで匍い出して、水に頭を漬けて死んでいた。或者は木に背を凭せて息絶えていた。或いは死後に身体に働いた雨と風の偶然によって、右或いは左に、折れ曲って倒れていた。
或いは肉の落ちた、死の直前の形を保存し、或いはかつて私が海岸の村で見たように、腐敗してふくれ上り、或いはさらに進んで、組織は液体と気体となって去り、骨だけを残していた。
これらの変移する人体の一部を包んだ衣服が、その発明者より永続するのは、奇妙な印象を与えた。
私は或る干いた屍体についている靴を取って穿いた。臭気が手と足にしみた。
生きている人間にも会った。私同様、無帽無銃裸足で、飯盒だけぶらさげた姿であった。
「パロンポンはこっちですか」と彼は喘ぎながらいった。
「こっちには違いないが、米軍がいて通れやしねえぜ」
彼はへたへたとそこへ坐った。私は彼の身につけたもので、私の持ってないものは何もないのを、ゆっくり眼でたしかめてから、通り過ぎた。
野も丘も雨に煙っていた。風と音が来て、雨が幕を引くように、片側から風景を打ち消した。
夜、なおも雨が降り続ける時、私は濃い葉蔟の下を選んで横わった。既に蛍の死んだ暗い野に、遠く赤い火が見えた。何の灯であろう。雨の密度の変移に従って、暗く明るくまたたき、または深い水底に沈んだように、暈だけになった。
私はその火を怖れた。私もまた私の心に、火を持っていたからである。
或る夜、火は野に動いた。萍草や禾本科植物がはびこって、人の通るはずのない湿原を貫いて、提灯ほどの高さで、揺れながら近づいて来た。
私の方へ、どんどん迫って来るように思われた。私は身を固くした。すると火は突然横に逸れ、黒い丘の線をなぞって、少しあがってから消えた。
私は何も理解することが出来なかった。ただ怖れ、そして怒っていた。