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野火26

时间: 2017-02-27    进入日语论坛
核心提示:二六 出現 その道が白く明けて行くのを、私は丘の頂の叢から眺めた。道の向う、林の前の原に、日本兵の屍体が点々と横わってい
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 二六 出現
 
 その道が白く明けて行くのを、私は丘の頂の叢から眺めた。道の向う、林の前の原に、日本兵の屍体が点々と横わっているのが見えた。その数は、昨夜戦車に照された時見た数より、遥かに少ないと思われた。
(俺みたいに逃げて来た奴も、いるのかな)
 雨はあがっていた。遠く海の上らしい空に、鼠色の雲が厚く重なった上から、髪束のように高い積雲が立ち、紅く染っていた。
 歓喜峰も染っていた。人面に似た岩の突出部は赤く照し出され、蔭は紫に沈んで、まだ白い黎明の光にひたされている、丘と野の上に際立っていた。
(あそこへ行くのは駄目らしい)
 そう思うと、今あの山の麓で目を醒ましているに違いない兵士の姿が、たとえ日本の兵隊の惨めな起床の行事の裡であろうとも、故郷の庭で遊ぶ古い友を偲ぶような、懐しさで思いやられた。
(しかしあそこへ行くのはもう駄目らしい)
 それから弾が来た。迫撃砲の乾いた発射音が前方の林で起り、私のいる丘は一面に射たれた。私は急いで反対の斜面を下り、弾の来る方向に背を向けて、一つの窪地に身を潜めた。弾着はだんだん延びて、私の周囲も喧しい炸裂音で埋った。土煙はさらに下の草原を渡り、向い側の丘を匍い上った。木の枝が飛ぶのが見えた。
 恐らく昨夜の銃声に驚いたのであろう、あたりに日本兵の姿はなかった。その空虚な緑の丘と原が、ひたすら射たれた。
 弾は一通り私の視野を埋め尽すと、さらに遠く脊梁山脈の中までも拡がって行った。
 一時間もたったかと思われた後、遂に砲声が熄んだ。すると飛行機が一機、低く丘の頂をかすめて現われ、斜面の林に機銃掃射を加えて去った。爆音は遠ざかり、空で鋭い旋回音を聞かせると、また空気を破る音を立てて丘に現われ、射って舞い上った。そうして様々の角度から、反復して射って廻った。
 その飛行機も遂に去った。私は再び丘の稜線を越し、広い湿原と三叉路を見渡すところへ出た。
 国道にはもう米軍のトラックが往来し始めていた。左の方、開いた湿原の向うの林に、トラックが姿を現わす前から、射撃の音が聞えて来た。兵士達はひたすら射ち続け、「うえい」と喚声を挙げながら、私のいる丘の林を盲滅法に射って、通り過ぎた。
 やがて一台の赤十字のマークを附けた車が道に止り、五人の衛生兵が下りた。無造作に林の前に散らばった日本兵の屍体を点検して廻った。二人が車へ帰り、後部の開き戸から、乱暴に担架を引きずり出すのが見えた。重ねたまま、倒れた日本兵の間へ持って行くと、馴れた動作で地上に並べた。そして何か叫声をあげながら、そのそれぞれに一つずつ、屍体を載せて車まで運んだ。
 内部へ収容するまで、一つの担架が暫く道の上に放置された。その上に横わった屍体の頭部に、米兵が何か挿すのが見えた。ライターが光った。すると意外にもその屍体が軽く頭をもたげた。細い煙がゆるやかに日光の中に立ち上った。煙草であった。その屍体は生きていた。
 やがて担架の全部を収め終ると、扉が閉められ、米兵も乗って、車は走り去った。
 私は息を詰め、この情景を見続けた。あの同胞は生きていた。負傷しただけで、生きていた。そして今後も米軍の病院で生き続けるであろう。それから祖国の土に松葉杖を突いて、いつまでも、多分死ぬまで生き続けるであろう。
 私が昨夜擦り傷一つ受けず、逃げて帰ったのが、幸運であったかどうか、疑問であった。
 その日一日、私は道に再び赤十字のマークをつけた車が来るのを見張っていた。トラックは絶えず通り、相変らず威嚇射撃を続けて行った。しかし私の待つその車は二度と来なかった。
 この時私が降服をするつもりであったかどうかはいい難い。私はただ何となくその赤十字の車を、待っていただけである。米兵が負傷した日本兵を救うという事実も、現に私が負傷していない以上、私と何の関係もなかった。
 ただこの時私が降服の用意をし始めていたということは出来よう。これが一旦パロンポンからの生還の希望を持ち、それが阻まれたという状態の、自然の帰結であった。私は再び銃を失い、降服するなら殺すぞと脅かした伍長は、もういなかった。
 用意は赤十字の車を無駄に待った一日の焦躁一夜の熟考の後、決意に変った。希望は反芻するにつれて、大きくなった。
 問題は私の降服の意志をどうして「敵」に表示するかであった。私が思いついたのは、やはり白旗という古典的方法であった。
 この時私の持物で白いものといえば、褌一つであった。それも垢と泥によごれ、茶褐色になっていた。この標識が通用するであろうか。敵はそれを遠方から「白旗」と認めるであろうか。
 殊に私に障害と映ったのは、道まで一町の泥濘であった。米兵に曖昧な標識を持った敵兵として、私を射たせることなく、この距離を渡ることが出来るであろうか。
 私は湿原のもっと狭いところを探すことにした。南の方が広くなっているのはたしかだったので、私は夜明を待ち、稜線を北に進んだ。私の眼には、湿原はなかなか狭くならなかった。そして雨が降って来た。泥は一層深くなるのではないかと、私の希望は絶えず脅かされた。
 歩きながら、私はむしろ日本兵に遇うのを怖れた。彼等に遇えば、現在私の唯一の生きる道を選ぶことが出来なくなる。この時なら、私は私の遇う最初の日本兵を殺したかも知れない。
 幸い、私は誰にも遇わなかった。三叉路の部落を越し、向うの丘が近く道に迫ったところで、私は遂に適当と思われる地点を見つけた。道との距離は十間であった。そして、何となく泥が深くないように思われた。
 雨の中に日は暮れて来た。前方に樹を持った丘が迫り、中を白い道が走り、泥の湿原がある。その場所の風景を、私は芝居の書割のように、はっきり覚えている。それはもはや熱帯の山野でもなければ、戦場でもない、任意の場所であった。私にとってただ降服という確率の不明瞭な行為を行う場所であった。何だ、こんなことか、と私は思った。
 私はその任意の舞台へ登場の時を待つ、俳優のような気がした。そして私は再び誰かに見られていると思った。
 一台の小型自動車が来て、私の潜む叢の前で止った。故障らしく、降り立った一人は、後部に廻って車輪を調べ、他の一人は銃を構えて、四方へ眼を配っていた。
(駄目だ、こいつは射たれる)
 さらに大きな障害がそこにあった。
 笑って何か喚きながら、一人の比島の女が、車から出て来た。緑色の米軍の制服と脚絆をつけ、腰に弾帯を巻いて、軽く自働小銃を肩にかけた、勇ましい姿であった。彼女は白い歯を出し、警戒の米兵に身を寄せて、屈託なさそうに笑った。
 私はそのゲリラの女兵士が海岸の村で殺した女に、似ていると思った。そしてここへは出て行けないと思った。
 私は忘れていた。私は一人の無辜の人を殺した身体であった。同胞に会ったため、生還の希望を持ち、さらにその延長として、降服によって救命の手段を求めているが、そうだ、私はたとえ助かっても、私にはあの世界で生きることは、禁じられていたはずであった。
 任意の状況も行為も私には禁じられていた。私自身の任意の行為によって、一つの生命の生きる必然を奪った私にとって、今後私の生活はすべて必然の上に立たねばならないはずであった。そして私にとって、その必然とは死へ向っての生活でなければならなかった。
 私は既に標識として、茶褐色の褌を木の枝に結んだ「白旗」を用意していた。私はそれを地上においた。そして今すぐその死の必要を充たすため、私が殺した女によく似た女兵士の銃の前に、身を曝そうかどうかと思案していた。
 その時、十間ばかり離れた叢から、一つの声が起った。声は「こーさーん」といっていた。
 両手を高く挙げた一個の人影が躍り出た。そしてなおも「こーさーん」と叫び続けながら、道へ、自動車へ向って駈けた。
 私はその日本兵をまた伍長だと思った。彼は叫びながら駈け、泥に足を取られてのめった。
 銃声が起った。一発の上に、容赦なく五、六発重った。女兵士は自働小銃を腰にあてて、発射していた。米兵が慌ててその銃身を握るのが見られた。女はなおも白い歯をむき、銃を米兵と争って喚き続けた。
 日本兵は、泥の上に伏し、動かなかった。緑色の襦袢の背中に、あざのような赤い斑点が現われ、次第に拡がって行った。
 私は心臓に痛みを感じた。射たれたのは私だと思った。
 一昨夜から私が見られていたのは、あの比島の女だと思った。しかし私はまだ間違えていた。
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