或いはこれもすべて私の幻想かも知れないが、私はすべて自分の感じたことを疑うことが出来ない。追想も一つの体験であって、私が生きていないと誰がいえる。私は誰も信じないが、私自身だけは信じているのである。
一つの幅の広い野火の映像は、その下部に焔の舌を見せて、盛んに立ち騰っていた。別の細い野火は上が折釘のように曲って、回転する磁石の針のように揺れていた。それは殆んど、意のままに変形し得るように思われた。
しかし奇妙なのは、その野火の映像に燃焼物の映像が伴っていることである。焔を含んだ煙の下か、折釘のような煙の下かはわからない。うず高く、蟻塚のように盛り上った籾殻であった。火は見えず、煙だけ湯気のように、立ち去り難く、その累積の頂上に纏りついていた。そして風に吹き散らされるのを惜しむかのように、相寄り束になって、中空目指して、目的あり気に立っていた。または草原が燃えた後であった。黒く崩れ伏した草の上、直立した焼け残りの草の根方を、低く煙が、水底に動く影のように、匍っていた。
野火の形は最初中隊を出た時見たものに似ていたが、その時はたしかにその下まで行きはしなかったから、燃焼物は私があの忘却の間に見たものに違いない。
私はさらに、その燃える籾殻や草が、それぞれ一つの煙に密着していると感じる。意識の空間に密着したそれ等の双いは、それぞれ時間の密着を示すべきである。
このことは私が一つの煙を見、次にその煙の下に行ったことを示している。煙を見れば、必ずそこへ行ったのだ。
しかし何のために?——思い出せない。私の記憶はまた白紙である。ただこの「行った」という仮定から、一つの姿が浮び上る。
再び銃を肩に、丘と野の間を歩く私の姿である。緑の軍衣は色褪せて薄茶色に変り、袖と肩は破れている。裸足だ。数歩先を歩いて行く痩せた頸の凹みは、たしかに私、田村一等兵である。
それでは今その私を見ている私は何だろう……やはり私である。一体私が二人いてはいけないなんて誰がきめた。
自然に音はなく、水底のように静かである。あれら丘も木も石も草も、すべてあの高い空間を沈んで来て、ここに、自然の底に落着いたらしい。神が空の高いところでそれを造り、ここまで沈めた。その巨大な体を縦に貫いて、ここまで降りるのを許したのである。
神が沈むために与えた時間を使い尽し、もうこれ以上沈むことが出来ない、不動の姿である。
私、不遜なる人間は暗い欲情に駆られ、この永遠を横切って歩いて行く。銃を肩に、まるで飢えてなぞいないかのように、取りつくろった足取である。何処へ行く。
野火へ向い、あの比島人がいるところへ行きつつある。すべてこの神に向い縦に並んだ地球の上を、横に匍って、神を苦しめている人間共を、懲しめに行くのだ。
しかしもし私が天使なら、何故私はこう悲しいのであろう。もはや地上の何者にも縛られないはずの私の中が、何故こう不安と恐怖に充たされているのであろう。何か間違いがなければよいが。
一つの丘から野火が上っていた。海草のように揺れながら、どこまでもどこまでも、無限に高く延びていた。
太陽は何処にいる。神のように、あの空の上、空間を充たした水のまた上にいるはずだ。
丘の頂上の草は、水の流れに押されて、靡いていた。そして火は頂上を取り巻く低く黒い林に向って、追われるように、逃げて行った。
いた。人間がいた。射った。当らない。彼は勾配を走り下り、最早私の弾の届かないところまで行くと、自信ありげに背をのばして、すたすたと一つの林に入ってしまった。
またいる。靡く草の上から上体が出た。一人、二人、三人。
彼等は近づいてくる。交互に、機械的に、立ったり伏せたりしながら、目鼻のない暗い顔が、靡く草の上を近づいて来る。いや、私はもうやり損ったりなぞはしない。
太陽は何処にいる。
火が来た。理由のない火が、私を取り巻く草を焼いて、早く進んで来る。首を挙げ、口を開いて迫って来る。煙の後に、相変らず人間共が笑っている。
何でもない。何でもない。
私が静かに銃をさし上げるのが見える。菊の紋章が十字で消された銃を下から支えるのは、美しい私の左手である。私の肉身の中で、私が一番自負している部分である。
この時、私は後頭部に打撃を感じた。痺れた感覚が、身体の末端まで染み通った。そうだった。忘れていた。私は彼等に後頭部を殴られるはずであった。それはきまっていた。この精神病院へ入った日以来、私の望んでいたのは死であった。到頭それが来た。
しかし何故私はまだいるのであろう。人間共はもう見えないが、声はがやがや聞えている。私には彼等が見えないが、彼等には私が見え、どうとも勝手に扱うことが出来る。手術台にのせて、整復でも何でもすることが出来るのだ。
人は死ねば意識がなくなると思っている。それは間違いだ。死んでもすべては無にはならない。それを彼等にいわねばならぬ。叫ぶ。
「生きてるぞ」
しかし声は私の耳にすら届かない。声はなくとも、死者は生きている。個人の死というものはない。死は普遍的な事件である。死んだ後も、我々はいつも目覚めていねばならぬ。日々に決断しなければならぬ。これを全人類に知らさねばならぬ、しかしもう遅い。
原に人間はなかったが、草は私が生きていた時見たと同じ永遠の姿で、私の周囲に靡いていた。暗い空に一際黒く、黒耀石のように、黒い太陽が輝いていた。しかしもう遅い。
草の中を人が近づいた。足で草を掃き、滑るように進んで来た。今や、私と同じ世界の住人となった、私が殺した人間、あの比島の女と、安田と、永松であった。
死者達は笑っていた。もしこれが天上の笑いというものであれば、それは怖しい笑いである。
この時、痛い歓喜が頭の天辺から入って来た。五寸釘のように、だんだん私の頭蓋を貫いて、脳底に達した。
思い出した。彼等が笑っているのは、私が彼等を食べなかったからである。殺しはしたけれど、食べなかった。殺したのは、戦争とか神とか偶然とか、私以外の力の結果であるが、たしかに私の意志では食べなかった。だから私はこうして彼等と共に、この死者の国で、黒い太陽を見ることが出来るのである。
しかし銃を持った堕天使であった前の世の私は、人間共を懲すつもりで、実は彼等を食べたかったのかも知れなかった。野火を見れば、必ずそこに人間を探しに行った私の秘密の願望は、そこにあったかも知れなかった。
もし私が私の傲慢によって、罪に堕ちようとした丁度その時、あの不明の襲撃者によって、私の後頭部が打たれたのであるならば——
もし神が私を愛したため、予めその打撃を用意し給うたならば——
もし打ったのが、あの夕陽の見える丘で、飢えた私に自分の肉を薦めた巨人であるならば——
もし、彼がキリストの変身であるならば——
もし彼が真に、私一人のために、この比島の山野まで遣わされたのであるならば——