夢寐(むび)にも忘れなかつた其人の前に、丑松は今偶然にも腰掛けたのである。壮年の発達に驚いたやうな目付をして、可懐(なつか)しさうに是方(こちら)を眺めたは、蓮太郎。敬慕の表情を満面に輝かし乍ら、帰省の由緒(いはれ)を物語るのは、丑松。実に是邂逅(めぐりあひ)の唐突で、意外で、しかも偽りも飾りも無い心の底の外面(そと)に流露(あらは)れた光景(ありさま)は、男性(をとこ)と男性との間に稀(たま)に見られる美しさであつた。
蓮太郎の右側に腰掛けて居た、背の高い、すこし顔色の蒼い女は、丁度読みさしの新聞を休(や)めて、丑松の方を眺めた。玻璃越(ガラスご)しに山々の風景を望んで居た一人の肥大な老紳士、是も窓のところに倚凭(よりかゝ)つて、振返つて二人の様子を見比べた。
新聞で蓮太郎のことを読んで見舞状まで書いた丑松は、この先輩の案外元気のよいのを眼前(めのまへ)に見て、喜びもすれば不思議にも思つた。かねて心配したり想像したりした程に身体(からだ)の衰弱(おとろへ)が目につくでも無い。強い意志を刻んだやうな其大な額――いよ/\高く隆起(とびだ)した其頬の骨――殊に其眼は一種の神経質な光を帯びて、悲壮な精神(こゝろ)の内部(なか)を明白(あり/\)と映して見せた。時として顔の色沢(いろつや)なぞを好く見せるのは彼(あ)の病気の習ひ、あるひは其故(そのせゐ)かとも思はれるが、まあ想像したと見たとは大違ひで、血を吐く程の苦痛(くるしみ)をする重い病人のやうには受取れなかつた。早速丑松は其事を言出して、『実は新聞で見ました』から、『東京の御宅へ宛てゝ手紙を上げました』まで、真実を顔に表して話した。
『へえ、新聞に其様(そん)なことが出て居ましたか。』と蓮太郎は微笑(ほゝゑ)んで、『聞違へでせう――不良(わる)かつたといふのを、今不良(わる)いといふ風に、聞違へて書いたんでせう。よく新聞には左様(さう)いふ間違ひが出て来ますよ。まあ御覧の通り、斯うして旅行が出来る位ですから安心して下さい。誰がまた其様(そん)な大袈裟(おほげさ)なことを書いたか――はゝゝゝゝ。』
聞いて見ると、蓮太郎は赤倉の温泉へ身体を養ひに行つて、今其帰途(かへりみち)であるとのこと。其時同伴(つれ)の人々をも丑松に紹介した。右側に居る、何となく人格の奥床(おくゆか)しい女は、先輩の細君であつた。肥大な老紳士は、かねて噂(うはさ)に聞いた信州の政客(せいかく)、この冬打つて出ようとして居る代議士の候補者の一人、雄弁と侠気(をとこぎ)とで人に知られた弁護士であつた。
『あゝ、瀬川君と仰(おつしや)るんですか。』と弁護士は愛嬌(あいけう)のある微笑(ほゝゑみ)を満面に湛へ乍ら、快活な、磊落(らいらく)な調子で言つた。『私は市村です――只今長野に居ります――何卒(どうか)まあ以後御心易く。』
『市村君と僕とは、』蓮太郎は丑松の顔を眺めて、『偶然なことから斯様(こんな)に御懇意にするやうになつて、今では非常な御世話に成つて居ります。僕の著述のことでは、殊にこの市村君が心配して居て下さるんです。』
『いや。』と弁護士は肥大な身体を動(ゆす)つた。『我輩こそ反(かへ)つて種々(いろ/\)御世話に成つて居るので――まあ、年だけは猪子君の方がずつと若い、はゝゝゝゝ、しかし其他のことにかけては、我輩の先輩です。』斯う言つて、何か思出したやうに嘆息して、『近頃の人物を数へると、いづれも年少気鋭の士ですね。我輩なぞは斯の年齢(とし)に成つても、未だ碌々(ろく/\)として居るやうな訳で、考へて見れば実に御恥しい。』
斯(か)ういふ言葉の中には、真に自身の老大を悲むといふ情(こゝろ)が表れて、創意のあるものを忌(い)むやうな悪い癖は少許(すこし)も見えなかつた。そも/\は佐渡の生れ、斯の山国に落着いたは今から十年程前にあたる。善にも強ければ悪にも強いと言つたやうな猛烈な気象から、種々(さま/″\)な人の世の艱難、長い政治上の経験、権勢の争奪、党派の栄枯の夢、または国事犯としての牢獄の痛苦、其他多くの訴訟人と罪人との弁護、およそありとあらゆる社会の酸いと甘いとを嘗(な)め尽して、今は弱いもの貧しいものゝ味方になるやうな、涙脆い人と成つたのである。天の配剤ほど不思議なものは無い――この政客が晩年に成つて、学もあり才もある穢多を友人に持たうとは。
猶(なほ)深く聞いて見ると、これから市村弁護士は上田を始めとして、小諸、岩村田、臼田なぞの地方を遊説する為、政見発表の途(みち)に上るのであるとのこと。親しく佐久小県地方の有権者を訪問して草鞋穿(わらぢばき)主義で選挙を争ふ意気込であるとのこと。蓮太郎はまた、この友人の応援の為、一つには自分の研究の為、しばらく可懐(なつか)しい信州に踏止まりたいといふ考へで、今宵は上田に一泊、いづれ二三日の内には弁護士と同道して、丑松の故郷といふ根津村へも出掛けて行つて見たいとのことであつた。この『根津村へも』が丑松の心を悦ばせたのである。
『そんなら、瀬川さんは今飯山に御奉職(おいで)ですな。』と弁護士は丑松に尋ねて見た。
『飯山――彼処からは候補者が出ませう? 御存じですか、あの高柳利三郎といふ男を。』
蛇(じや)の道は蛇(へび)だ。弁護士は直に其を言つた。丑松は豊野の停車場(ステーション)で落合つたことから、今この同じ列車に乗込んで居るといふことを話した。何か思当ることが有るかして、弁護士は不思議さうに首を傾(かし)げ乍(なが)ら、『何処へ行くのだらう』を幾度となく繰返した。
『しかし、是だから汽車の旅は面白い。同じ列車の内に乗合せて居ても、それで互ひに知らずに居るのですからなあ。』
斯う言つて弁護士は笑つた。
病のある身ほど、人の情の真(まこと)と偽(いつはり)とを烈しく感ずるものは無い。心にも無いことを言つて慰めて呉れる健康(たつしや)な幸福者(しあはせもの)の多い中に、斯ういふ人々ばかりで取囲(とりま)かれる蓮太郎の嬉(うれ)しさ。殊に丑松の同情(おもひやり)は言葉の節々にも表れて、それがまた蓮太郎の身に取つては、奈何(どんな)にか胸に徹(こた)へるといふ様子であつた。其時細君は籠の中に入れてある柿を取出した。それは汽車の窓から買取つたもので、其色の赤々としてさも甘さうに熟したやつを、択(よ)つて丑松にも薦(すゝ)め、弁護士にも薦めた。蓮太郎も一つ受取つて、秋の果実(このみ)のにほひを嗅(か)いで見乍(みなが)ら、さて種々(さま/″\)な赤倉温泉の物語をした。越後の海岸まで旅したことを話した。蓮太郎は又、東京の市場で売られる果実(くだもの)なぞに比較して、この信濃路の柿の新しいこと、甘いことを賞めちぎつて話した。
駅々で車の停る毎に、農夫の乗客が幾群か入込んだ。今は室の内も放肆(ほしいまゝ)な笑声と無遠慮な雑談とで満さるゝやうに成つた。それに、東海道沿岸などの鉄道とは違ひ、この荒寥(くわうれう)とした信濃路のは、汽車までも旧式で、粗造で、山家風だ。其列車が山へ上るにつれて、窓の玻璃(ガラス)に響いて烈しく動揺する。終(しまひ)には談話(はなし)も能(よ)く聞取れないことがある。油のやうに飯山あたりの岸を浸す千曲川の水も、見れば大な谿流の勢に変つて、白波を揚げて谷底を下るのであつた。濃く青く清々とした山気は窓から流込んで、次第に高原へ近(ちかづ)いたことを感ぜさせる。
軈(やが)て、汽車は上田へ着いた。旅人は多くこの停車場(ステーション)で下りた。蓮太郎も、妻君も、弁護士も。『瀬川君、いづれそれでは根津で御目に懸ります――失敬。』斯(か)う言つて、再会を約して行く先輩の後姿を、丑松は可懐(なつか)しさうに見送つた。
急に室の内は寂しくなつたので、丑松は冷い鉄の柱に靠(もた)れ乍ら、眼を瞑(つむ)つて斯(こ)の意外な邂逅(めぐりあひ)を思ひ浮べて見た。慾を言へば、何となく丑松は物足りなかつた。彼程(あれほど)打解けて呉れて、彼程隔ての無い言葉を掛けられても、まだ丑松は何処かに冷淡(よそ/\)しい他人行儀なところがあると考へて、奈何(どう)して是程の敬慕の情が彼の先輩の心に通じないのであらう、と斯う悲しくも情なくも思つたのである。嫉(ねた)むでは無いが、彼(か)の老紳士の親しくするのが羨ましくも思はれた。
其時になつて丑松も明(あきらか)に自分の位置を認めることが出来た。敬慕も、同情も、すべて彼の先輩に対して起る心の中のやるせなさは――自分も亦た同じやうに、『穢多である』といふ切ない事実から湧上るので。其秘密を蔵(かく)して居る以上は、仮令(たとひ)口の酸くなるほど他の事を話したところで、自分の真情が先輩の胸に徹(こた)へる時は無いのである。無理もない。あゝ、あゝ、其を告白(うちあ)けて了つたなら、奈何(どんな)に是胸の重荷が軽くなるであらう。奈何に先輩は驚いて、自分の手を執つて、『君も左様(さう)か』と喜んで呉れるであらう。奈何に二人の心と心とがハタと顔を合せて、互ひに同じ運命を憐むといふ其深い交際(まじはり)に入るであらう。
左様(さう)だ――せめて彼の先輩だけには話さう。斯う考へて、丑松は楽しい再会の日を想像して見た。