田中の停車場(ステーション)へ着いた頃は日暮に近かつた。根津村へ行かうとするものは、こゝで下りて、一里あまり小県(ちひさがた)の傾斜を上らなければならない。
丑松が汽車から下りた時、高柳も矢張同じやうに下りた。流石(さすが)代議士の候補者と名乗る丈あつて、風采(おしだし)は堂々とした立派なもの。権勢と奢侈とで饑(う)ゑたやうな其姿の中には、何処(どこ)となく斯(か)う沈んだところもあつて、時々盗むやうに是方(こちら)を振返つて見た。成るべく丑松を避けるといふ風で、顔を合すまいと勉めて居ることは、いよ/\其素振(そぶり)で読めた。『何処へ行(いく)のだらう、彼男は。』と見ると、高柳は素早く埒(らち)を通り抜けて、引隠れる場処を欲しいと言つたやうな具合に、旅人の群に交つたのである。深く外套に身を包んで、人目を忍んで居るさへあるに、出迎への人々に取囲(とりま)かれて、自分と同じ方角を指して出掛けるとは。
北国街道を左へ折れて、桑畠(くはばたけ)の中の細道へ出ると、最早(もう)高柳の一行は見えなかつた。石垣で積上げた田圃と田圃との間の坂路を上るにつれて、烏帽子(ゑぼし)山脈の大傾斜が眼前(めのまへ)に展けて来る。広野、湯の丸、籠の塔、または三峯(さんぽう)、浅間の山々、其他ところ/″\に散布する村落、松林――一つとして回想(おもひで)の種と成らないものはない。千曲川(ちくまがは)は遠く谷底を流れて、日をうけておもしろく光るのであつた。
其日は灰紫色の雲が西の空に群(むらが)つて、飛騨(ひだ)の山脈を望むことは出来なかつた。あの千古人跡の到らないところ、もし夕雲の隔(へだ)てさへ無くば、定めし最早(もう)皚々(がい/\)とした白雪が夕日を帯びて、天地の壮観は心を驚かすばかりであらうと想像せられる。山を愛するのは丑松の性分で、斯うして斯の大傾斜大谿谷の光景(ありさま)を眺めたり、又は斯の山間に住む信州人の素朴な風俗と生活とを考へたりして、岩石の多い凸凹(でこぼこ)した道を踏んで行つた時は、若々しい総身の血潮が胸を衝(つ)いて湧上るやうに感じた。今は飯山の空も遠く隔つた。どんなに丑松は山の吐く空気を呼吸して、暫時(しばらく)自分を忘れるといふ其楽しい心地に帰つたであらう。
山上の日没も美しく丑松の眼に映つた。次第に薄れて行く夕暮の反射を受けて、山々の色も幾度(いくたび)か変つたのである。赤は紫に。紫は灰色に。終(しまひ)には野も岡も暮れ、影は暗く谷から谷へ拡つて、最後の日の光は山の巓(いたゞき)にばかり輝くやうになつた。丁度天空の一角にあたつて、黄ばんで燃える灰色の雲のやうなは、浅間の煙の靡(なび)いたのであらう。
斯(か)ういふ楽しい心地(こゝろもち)は、とは言へ、長く続かなかつた。荒谷(あらや)のはづれ迄行けば、向ふの山腹に連なる一村の眺望、暮色に包まれた白壁土壁のさま、其山家風の屋根と屋根との間に黒ずんで見えるのは柿の梢(こずゑ)か――あゝ根津だ。帰つて行く農夫の歌を聞いてすら、丑松はもう胸を騒がせるのであつた。小諸の向町から是処(こゝ)へ来て隠れた父の生涯(しやうがい)、それを考へると、黄昏(たそがれ)の景気を眺める気も何も無くなつて了(しま)ふ。切なさは可懐(なつか)しさに交つて、足もおのづから慄(ふる)へて来た。あゝ、自然の胸懐(ふところ)も一時(ひととき)の慰藉(なぐさめ)に過ぎなかつた。根津に近(ちかづ)けば近くほど、自分が穢多である、調里(新平民の異名)である、と其心地(こゝろもち)が次第に深く襲(おそ)ひ迫つて来たので。
暗くなつて第二の故郷へ入つた。もと/\父が家族を引連れて、この片田舎に移つたのは、牧場へ通ふ便利を考へたばかりで無く、僅少(わづか)ばかりの土地を極く安く借受けるやうな都合もあつたからで。現に叔父が耕して居るのは其畠である。流石(さすが)に用心深い父は人目につかない村はづれを択(えら)んだので、根津の西町から八町程離れて、とある小高い丘の裾(すそ)のところに住んだ。
長野県小県郡根津村大字姫子沢――丑松が第二の故郷とは、其五十戸ばかりの小部落を言ふのである。