「それで……」
「ああ、ちょっと待ってください」
と、金田一耕助は言葉をつづけようとする松代を、すばやくさえぎると、
「松代君はなにか稚児が淵か天狗の鼻に、心をひかれることでもあるんですか」
「はあ、あの……」
「いやね、夢中遊行時の行動といえども、かならずしも当人にとっちゃでたらめの行動
じゃないと思うんですよ。君はいま潜在意識という言葉をつかったが、夢中遊行時の行動
にも、潜在意識下の願望があらわれると思うんだが、君はなにか稚児が淵に……?」
「はあ、あの、そうおっしゃれば……」
と、松代は貞二君の視線を避けるように瞼まぶたをふせると、
「あたし、このあいだから死にたい、死にたいと思いつづけていましたから……ひょっと
すると、稚児が淵をその死場所ときめていたのでは……」
ふっさりと伏せた長い睫まつ毛げのさきにたまった涙の玉が、ほろりと膝ひざのうえに
こぼれおちる。お柳さまが貞二君のほうをふりかえると、貞二君はただ黙って暗い顔をそ
むけた。
「なるほど、それじゃ、君は夢中遊行を起して、稚児が淵へ身投げにいったということに
なるんですね」
「はあ……あの……そうかもしれません」
松代の伏せた睫毛から、またホロリと涙の玉が膝にこぼれた。
「それから……?」
「はあ……それで気がついてみると天狗の鼻のうえに立っておりますでしょう。わたしも
うびっくりしてしまいました。いいえ、びっくりしたと申しますのは、天狗の鼻に立って
いたということより、またじぶんが夢遊病を起したということに気がついたからでござい
ますわね」
「ああ、なるほど、そりゃそうでしょうねえ」
「それで、あたしすっかり怖くなってあわててひきかえそうとしますと、そのとき、ふと
眼についたのが稚児の淵のそばに浮いている白いものでございます。おや、なんだろうと
覗のぞいてみて、それが由紀ちゃんだとわかったときのわたしの驚き!……どうぞお察し
くださいまし」
松代は両手で眼頭をおさえると、呼吸をのんで嗚お咽えつした。
金田一耕助と磯川警部、お柳さまと貞二君の四人はしいんと黙りこんだまま、松代のつ
ぎの言葉を待っている。
松代はまもなく顔をあげると、うつろの眼であらぬかたを視つめながら、けだるそうな
声で言葉をつづけた。
「あたしじぶんの部屋へかえってから考えました。はい、考えて考えて考えぬいたのでご
ざいます。由紀ちゃんは自殺などするひとじゃありません。と、いって眼病が悪化してか
ら、部屋のなかへ閉じこもったきりでしたから、夜更けて泳ぎにいこうなどとは思われま
せん。と、すると、あたしが殺したのではあるまいか。どういう方法で殺したのかわかり
ませんが、夢遊病の発作を起しているあいだに、あたしが殺したのではないかと……それ
で……」
「ああ、ちょっと待ってください」
と、金田一耕助はさえぎると、
「しかし、それはまた考えかたが、あまり飛躍しすぎやあしませんか。ごじぶんの夢中遊
行時に、たまたま由紀ちゃんが死んだからって、それをじぶんの責任のように思いこむと
いうのは……?」
「いいえ、それにはわけがあるのでございます」
「そのわけというのを聞かせていただけますか」
「はあ……」
と、松代はあいかわらず、放心したような眼を窓外にむけたまま、
「あたしはまえにもおなじような状態で、由紀ちゃんを殺したことがあるんです。いえい
え、由紀ちゃんはああして生きてかえってきましたけれど、譲治さんはそれきり死んでし
まったのです。あたしが……」
と、松代はちょっと嗚咽して、
「あたしが譲治さんを殺したのです。嫉しつ妬とのあまり譲治さんを殺してしまったので
す」
涙こそおとさなかったが、松代の顔にはいたましい悲哀のいろが、救いがたい絶望とと
もにえぐりつけられている。