勿論予はこの遺書を
本多子爵閣下、並に夫人、
予は予が
閣下、並に夫人、予は過去に於て殺人罪を犯したると共に、将来に於ても亦同一罪悪を犯さんとしたる
予はこれ以上予の健全を
予は少時より予が従妹たる今の本多子爵夫人(三人称を以て、呼ぶ事を許せ)往年の
是に於て予は予の失恋の
予が愛の
予はこの信念に動かされし結果、遂に明治十一年八月三日両国橋畔の大煙火に際し、知人の紹介を機会として、折から
予はこの遺書を
爾来予は心を潜めて、満村恭平の行状に注目し、その果して予が一夕の観察に
然れども若し是に止らんか、予は恐らく予が殺人の計画を実行するに、
今や予が殺人の計画は、一転して殺人の実行に移らんとす。予は幾度か周密なる思慮に思慮を重ねたるの後、
予は
然れどもこは真に、数ヶ月の間なりき。この幸福なる数ヶ月の経過すると共に、予は漸次予が生涯中最も憎む可き誘惑と闘ふ可き運命に接近しぬ。その
「十月×日、明子、子なきの故を以て満村家を去る由、予は近日本多子爵と共に、六年ぶりにて彼女と会見す可し。帰朝以来、
「十月×日、予は今日本多子爵を訪れ、始めて共に明子の家に
「十一月×日、予は本多子爵と共に、明子を
「十二月×日、子爵は明子と結婚する意志あるものの如し。斯くして予が明子の夫を殺害したる目的は、始めて完成の域に達するを得ん。されど――されど、予は予が
「三月×日、子爵と明子との結婚式は、今年年末を期して、挙行せらるべしと云ふ。予はその一日も
「六月十二日、予は独り新富座に
「七月×日、予は子爵と明子と共に、今夕馬車を駆つて、隅田川の
「八月×日、予は子爵と明子と共に、予が家に晩餐を共にしたり。しかも予は終始、予がポケツトの底なるかの丸薬を忘るる事能はず。予の心は、殆予自身にとりても、不可解なる怪物を蔵するに似たり。
「十一月×日、子爵は遂に明子と結婚式を挙げたり。予は予自身に対して、名状し難き
「十二月×日、予は子爵の
「十二月×日、予は昨夜子爵を殺害せる悪夢に
「二月×日、嗚呼予は今にして始めて知る、予が子爵を殺害せざらんが為には、予自身を殺害せざる可らざるを。されど明子は
子爵閣下、並に夫人、こは予が日記の大略なり。大略なりと
本多子爵閣下、並に夫人、予は
(大正七年六月)
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