或秋の
僕等は
「そっちから上って下さい。――やあ、君も来ていたのか?」
O君は僕がK君と一しょに遊びに来たものと思ったらしかった。
「僕等は蜃気楼を見に出て来たんだよ。君も一しょに行かないか?」
「蜃気楼か? ――」
O君は急に笑い出した。
「どうもこの頃は蜃気楼ばやりだな。」
五分ばかりたった後、僕等はもうO君と一しょに砂の深い
「まだ僕は健全じゃないね。ああ云う車の痕を見てさえ、妙に参ってしまうんだから。」
O君は
そのうちに僕等は松の間を、――
「新時代ですね?」
K君の言葉は唐突だった。のみならず微笑を含んでいた。新時代? ――しかも僕は
「幸福らしいね。」
「君なんぞは
O君はK君をからかったりした。
蜃気楼の見える場所は彼等から一町ほど隔っていた。僕等はいずれも
「あれを
K君は
「これでもきょうは上等の部だな。」
僕等はO君の言葉と一しょに砂の上から立ち上った。するといつか僕等の前には僕等の残して来た「新時代」が二人、こちらへ向いて歩いていた。
僕はちょっとびっくりし、僕等の後ろをふり返った。しかし彼等は
「この方が
僕等の前にいる「新時代」は
「僕は何だか気味が悪かった。」
「僕もいつの間に来たのかと思いましたよ。」
僕等はこんなことを話しながら、今度は
「何だい、それは? Sr. H. Tsuji……Unua……Aprilo……Jaro……1906……」
「何かしら? dua……Majesta……ですか? 1926 としてありますね。」
「これは、ほれ、水葬した
O君はこう云う推測を下した。
「だって死骸を水葬する時には帆布か何かに包むだけだろう?」
「だからそれへこの札をつけてさ。――ほれ、ここに
僕等はもうその時には別荘らしい
「縁起でもないものを拾ったな。」
「何、僕はマスコットにするよ。……しかし 1906 から 1926 とすると、
「男ですかしら? 女ですかしら?」
「さあね。……しかし
僕はK君に返事をしながら、船の中に死んで行った混血児の青年を想像した。彼は僕の想像によれば、日本人の母のある
「蜃気楼か。」
O君はまっ
「ちょっと紅茶でも飲んで
僕等はいつか家の多い本通りの角に
「K君はどうするの?」
「僕はどうでも、………」
そこへ真白い犬が一匹、向うからぼんやり尾を垂れて来た。
二
K君の東京へ帰った
その晩は星も見えなかった。僕等は余り話もせずに人げのない砂浜を歩いて行った。砂浜には引地川の川口のあたりに
僕等は
そのうちにいつかO君は浪打ち際にしゃがんだまま、一本のマッチをともしていた。
「何をしているの?」
「何ってことはないけれど、………ちょっとこう火をつけただけでも、いろんなものが見えるでしょう?」
O君は肩越しに僕等を見上げ、半ばは妻に話しかけたりした。成程一本のマッチの火は
「やあ、気味が悪いなあ。土左衛門の足かと思った。」
それは半ば砂に
「昼間ほどの獲物はなかった
「獲物? ああ、あの札か? あんなものはざらにありはしない。」
僕等は絶え間ない浪の音を
「ここいらにもいろんなものがあるんだろうなあ。」
「もう一度マッチをつけて見ようか?」
「好いよ。………おや、鈴の
僕はちょっと耳を澄ました。それはこの頃の僕に多い錯覚かと思った為だった。が、実際鈴の音はどこかにしているのに違いなかった。僕はもう一度O君にも聞えるかどうか尋ねようとした。すると二三歩遅れていた妻は笑い声に僕等へ話しかけた。
「あたしの
しかし妻は振り返らずとも、
「あたしは今夜は子供になって木履をはいて歩いているんです。」
「奥さんの
O君もこう言って笑い出した。そのうちに妻は僕等に追いつき、三人一列になって歩いて行った。僕等は妻の
僕はO君にゆうべの夢を話した。それは或文化住宅の前にトラック自動車の運転手と話をしている夢だった。僕はその夢の中にも確かにこの運転手には会ったことがあると思っていた。が、どこで会ったものかは目の
「それがふと思い出して見ると、三四年前にたった一度談話筆記に来た婦人記者なんだがね。」
「じゃ女の運転手だったの?」
「いや、勿論男なんだよ。顔だけは
「そうだろうなあ。顔でも印象の強いやつは、………」
「けれども僕はその人の顔に興味も何もなかったんだがね。それだけに
「つまりマッチへ火をつけて見ると、いろんなものが見えるようなものだな。」
僕はこんなことを話しながら、偶然僕等の顔だけははっきり見えるのを発見した。しかし星明りさえ見えないことは前と少しも変らなかった。僕は又何か無気味になり、何度も空を仰いで見たりした。すると妻も気づいたと見え、まだ何とも言わないうちに僕の疑問に返事をした。
「砂のせいですね。そうでしょう?」
妻は
「そうらしいね。」
「砂と云うやつは
「いいえ、この間一度、――何だか青いものが見えたばかりですけれども。………」
「それだけですよ。きょう僕たちの見たのも。」
僕等は
「何だろう、あのネクタイ・ピンは?」
僕は小声にこう言った後、
「じゃおやすみなさい。」
「おやすみなさいまし。」
僕等は気軽にO君に別れ、松風の音の中を歩いて行った。その又松風の音の中には虫の声もかすかにまじっていた。
「おじいさんの金婚式はいつになるんでしょう?」
「おじいさん」と云うのは父のことだった。
「いつになるかな。………東京からバタはとどいているね?」
「バタはまだ。とどいているのはソウセェジだけ。」
そのうちに僕等は門の前へ――半開きになった門の前へ来ていた。
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