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愛は不思議なもの

时间: 2022-09-06    进入日语论坛
核心提示:愛は不思議なもの小川未明 生活(せいかつ)に差別(さべつ)のあるのは、ひとり、幾万(いくまん)の人間(にんげん)の住(す)んでいる
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愛は不思議なもの

小川未明

 


 生活(せいかつ)差別(さべつ)のあるのは、ひとり、幾万(いくまん)人間(にんげん)()んでいる都会(とかい)ばかりでありません。田舎(いなか)においても(おな)じであります。その(むら)は、平和(へいわ)(むら)でありましたけれど、そこに()んでいる人々(ひとびと)は、みんな幸福(こうふく)()(うえ)というわけではありませんでした。
 おしずは、(ちい)さい時分(じぶん)に、父母(ちちはは)()(わか)れて、叔母(おば)(うち)(そだ)てられた孤児(みなしご)でありました。そして、十七、八のころ、(むら)のある(うち)奉公(ほうこう)したのであります。その(うち)(ひと)たちは、(なさ)けある人々(ひとびと)でした。
「おしずは、両親(ふたおや)も、兄妹(きょうだい)もないのだから、かわいがってやらなければならぬ。」といって、そこの(ひと)たちは、いたわってくれました。
 彼女(かのじょ)は、四つになる(ぼっ)ちゃんの()りをしたり、(うち)仕事(しごと)をてつだったりして、毎日(まいにち)つつましやかに(はたら)いていました。
 (むら)は、小高(こだか)いところにありました。(はる)から、(なつ)にかけて、養蚕(ようさん)(いそが)しく、(あき)に、また、果物(くだもの)(うつく)しく(たんぼ)(みの)りました。(おお)きな(いけ)があって、(いけ)のまわりは、しらかばの(はやし)でありました。(あたた)かになるころから、(さむ)くなるころまで、いろいろの小鳥(ことり)が、(はやし)にきて、いい(こえ)でさえずっていました。また、(いけ)からは、ふもとの村々(むらむら)()へかける(みず)(なが)れていました。
 薬売(くすりう)りや、そのほかの行商人(ぎょうしょうにん)が、たまたまこの(むら)にやってきますと、
「いい(むら)だな。」といって、ほめました。
 そのはずであります。うっそうと、青葉(あおば)のしげった(あいだ)から、白壁(しらかべ)(くら)()えたり、(たの)しそうに少女(しょうじょ)たちの(うた)うくわつみ(うた)()こえたりして、だれでも平和(へいわ)(むら)だと(おも)ったからであります。
 ことに、収穫(しゅうかく)のすむ(あき)になると、(そら)(いろ)()えて、木々(きぎ)()(いろ)づき、(とお)くのながめもはっきりとして、ひとしおでありました。ちょうど、そのころ、お(まつ)りがあります。一(ねん)に、一()()たれた(やす)()ですから、(むすめ)たちは、着飾(きかざ)って、きゃっきゃっといって、(とも)だちの(うち)などを(ある)きまわりました。おしずも、いちばんいい着物(きもの)被換(きか)えて、お小使(こづか)(せん)をもらって、(ぼっ)ちゃんをつれて、(そと)()ました。けれど、彼女(かのじょ)ばかりは、こんなときに、かえって、なんとなくさびしそうでありました。もし、彼女(かのじょ)にも、(おや)があったら、ほかの(むすめ)たちのように、はしゃいで(あそ)ぶことができたでしょう。
 ほんとうをいえば、おしずには、お(まつ)りなどのない、平常(いつも)のほうがよかったのでした。
「おしずさん、活動(かつどう)()にいった?」
 ある()のこと、(とも)だちが、(そと)(ぼっ)ちゃんと()っている、彼女(かのじょ)にたずねました。
「いいえ。」と、おしずは、(あたま)()りました。
日曜(にちよう)は、昼間(ひるま)もあるし、それに、こんどは、おもしろいという(はなし)だから、いってみない?」
 (とも)だちは、無邪気(むじゃき)に、こういいましたが、彼女(かのじょ)は、自由(じゆう)でない、自分(じぶん)(からだ)(かんが)えずにいられませんでした。
(わたし)(ぼっ)ちゃんがあるから、どこへもいかれないの。」と、(ぼっ)ちゃんを見守(みまも)りながら、(こた)えました。
 ちょうど、このとき、トテトーといって、かなたの街道(かいどう)を、二()ばかり(へだ)たる(まち)(ほう)へゆく、馬車(ばしゃ)のらっぱの(おと)()こえました。(むすめ)たちはじっと、その(ほう)をながめたのです。(あき)()()けて、あかあかとして、(まつ)並木(なみき)()えたのでありました。
 こんなふうに、おしずは、けっして、ほかの子供(こども)のように、幸福(こうふく)であったということはできません。しかし、主人(しゅじん)が、(おも)いやりが(ふか)かったから、(まず)しい(うち)子供(こども)らよりは、ときには、しあわせのこともありました。それよりも、彼女(かのじょ)幸福(こうふく)は、ほんとうに(ぼっ)ちゃんをかわいがっていたことです。
(ぼっ)ちゃん、あれ、なんの(おと)でしょう?」
 こういって、自分(じぶん)真剣(しんけん)になって、(みみ)をかたむけながら、(とお)くの(おと)()いたりしました。
(ぼっ)ちゃん、また、あんな(くも)()ましたよ。」といって、二人(ふたり)で、(そら)をながめたりしました。
「さあ、(ぼっ)ちゃん、(わたし)に、おんぶしましょう。ねえやは、(ぼっ)ちゃんをおんぶして、どっかへいって、しまいましょうか。」
 彼女(かのじょ)は、じょうだんをいって、(ぼっ)ちゃんに、ほおずりをしました。
 (ひと)()ていようと、()ていなかろうと、おしずは、よく(ぼっ)ちゃんのめんどうをみて、(こころ)から、かわいがっていました。
(ゆき)や、こんこん、あられや、こんこん。」
 子供(こども)たちが、(さむ)(かぜ)()(なか)口々(くちぐち)に、こんなことをいって、かけまわりました。いつしか、国境(こっきょう)(たか)山々(やまやま)のとがった(いただき)は、(ぎん)(かんむり)をかぶったように(ゆき)がきました。もう、この(むら)(いけ)(みず)(こお)るのも間近(まぢか)のことです。
 ちらちらと(ゆき)()っては()え、()えてはまた()るというようなことが(かさ)なりました。その(あと)(さむ)(さむ)い、たたけば、空気(くうき)()りそうな(ふゆ)となりました。
 ある(あさ)のことです。(ちい)さな子供(こども)たちは、一、二(ちょう)(はな)れた、(いけ)(みず)(こお)ったといって、その(ほう)へ、足音(あしおと)をたててかけてゆきました。
「もう、きつねが(わた)ったよ。」
「きつねが(わた)ったから、()ったっていいだろう。」
 子供(こども)たちは、小石(こいし)(ひろ)って、(いけ)(おもて)()げてみました。なまり(いろ)にすこしのすきまもなく、()りつめた(こおり)は、金属(きんぞく)のような(おと)をたてて、(いし)は、どこまでも、どこまでもうなりながら、ころがってゆきました。
 子供(こども)たちは、また、どこからか(たけ)ざおを()ってきて、コツ、コツと(こおり)(おもて)をつつきました。(こおり)は、(かた)くて、いくら()いても、()いても、(あと)すらつきませんでした。もう、その(うえ)()ってもだいじょうぶだろうと、一人(ひとり)()り、二人(ふたり)()りしました。そして、そこにいた四、五(にん)子供(こども)は、みんな()って、これから、毎日(まいにち)、こうして、(あそ)ばれると(おも)うと、(あたら)しい世界(せかい)征服(せいふく)したように、(よろこ)びの(こえ)をあげました。
 おしずは、さっきまで、(うち)(まえ)に、子供(こども)たちと(あそ)んでいた(ぼっ)ちゃんが()えなくなったので、どこへいったのだろうと(さが)しました。そして、みんな(いけ)(ほう)へいったと()くと、あわててその(ほう)へやってきました。
 子供(こども)たちの(あそ)んでいる(こえ)が、かすかに、あちらでしていました。彼女(かのじょ)は、びっくりして、
「もう、(こおり)すべりをしているのでないかしらん? (ぼっ)ちゃんもいっしょに?」と(おも)うと、(むね)がどきどきとしました。
 (いけ)()わたされるところまでくると、はたして、(しろ)(こおり)(はら)(うえ)に、子供(こども)たちが(くろ)くなって(あそ)んでいました。
(ぼっ)ちゃん! (ぼっ)ちゃん。」と、(さけ)びながら、彼女(かのじょ)は、きちがいのように、(はし)りました。なぜなら、「もう、(いけ)(わた)っても、だいじょうぶだ。」といううわさを、まだ、だれからも()かなかったからです。
 彼女(かのじょ)(さけ)(ごえ)は、(つめ)たい空気(くうき)(なか)へ、むなしく()えました。そして、ようやく、あちらのしらかばの(はやし)から(のぼ)りかけた、朝日(あさひ)(ひかり)が、(かがみ)のような(こおり)(おもて)をぽうっと()めたとき、(ちい)さな子供(こども)(かげ)が、(きし)(ちか)くから(はな)れて、もっと、もっと、あちらへ()んでゆくのを()ました。
(ぼっ)ちゃあん!」と、彼女(かのじょ)は、わめきながら、いつのまにか、自分(じぶん)も、(こおり)(うえ)()けていました。そして、だんだん、その(ちい)さな(くろ)(かげ)(ちか)づいた時分(じぶん)彼女(かのじょ)(からだ)(おも)みを(ささ)えるほど、まだ(あつ)くなっていなかったとみえて、ふいに、(こおり)()れて(ふか)水中(すいちゅう)()()んでしまいました。
 幾年(いくねん)かたって、(ぼっ)ちゃんであった()が、いつしか、少年(しょうねん)となりました。そして、両親(ふたおや)や、また、(むら)人々(ひとびと)から、自分(じぶん)()りであった、おしずの(はなし)()いて、いたく(こころ)(うご)かしました。
「ほんとうに、かわいそうだな。そんなにまでかわいがってくれたのかしらん。どんな(かお)をしていたろう……。」
 少年(しょうねん)は、空想(くうそう)しました。(ふゆ)(さむ)(ばん)に、(そら)にきらきら(かがや)(ほし)()ると、その(なか)に、おしずの霊魂(れいこん)(ほし)となってまじっていて、じっとこちらを()ているのでないかと(おも)いました。ほかの子供(こども)たちが、(こおり)すべりをおもしろがってしていますなかに、ひとりこの少年(しょうねん)のみは、(しず)みがちにすべっていました
「おしずの()ちたのは、この(へん)だったろうか?」
 (あわ)れな少女(しょうじょ)が、(ちい)さな自分(じぶん)(あと)()ってきて、(こおり)()れて()ちた()(さま)()(えが)いたのでした。また、(なつ)(あめ)()れた(あと)などに、この(いけ)のあたりを散歩(さんぽ)しますと、(みどり)()が、(くも)のようにしげって、(しず)かな(みず)(うえ)に、(かげ)(うつ)しています。少年(しょうねん)は、じっと、たたずんで(みず)(うえ)()つめていました。すると、このとき、どこからともなく、マンドリンの()がきこえてきたのでした。
「あ、マンドリンの()だ。どこからするのだろう?」
 よく、(たび)から、やってくる芸人(げいにん)が、月琴(げっきん)や、バイオリンや、(しゃく)八などを()らして、(むら)にはいってくることがありました。少年(しょうねん)は、やはりそんなものがきたのであろうと(おも)ましたが、べつに、あたりには、(ひと)(かげ)()えませんでした。マンドリンの()は、(ちか)く、また(とお)く、きこえたかと(おも)うと、しばらくして、(みず)(なか)(しず)んでいったように()こえなくなってしまいました。
 少年(しょうねん)は、(いえ)(かえ)ってから、今日(きょう)(いけ)のほとりでマンドリンの()()いたが、芸人(げいにん)でもきたのかしらんと(はな)しました。すると、お(かあ)さんが、(かお)(いろ)()えて、
「これからおまえは、(いけ)(ほとり)へ、一人(ひとり)でいってはいけません。」といわれました。
「なぜですか、お(かあ)さん?」
「おしずが、おまえを()ぶのです。」
 それは、(いえ)にあった、マンドリンを()らして、おしずがおまえのお()りをしたというのでありました。
物置(ものおき)()けてごらんなさい、マンドリンがあるから。その(ふる)いマンドリンを()らして、おまえが()くと、よく(うた)などを(うた)ってあやしたものだ……。」と、お(かあ)さんは、いわれました。
 少年(しょうねん)は、そんなこともあったのかと(おも)いました。
 それから、また幾年(いくねん)かたったのであります。少年(しょうねん)は、いつのまにか、りっぱな、青年(せいねん)彫刻家(ちょうこくか)となっていました。そしてもう田舎(いなか)にいず、都会(とかい)()生活(せいかつ)していました。
 十七、八の(うつく)しい(むすめ)さんたちを()ると、(かれ)は、おしずのことを(かんが)()さずにはいられませんでした。なぜなら、おしずはちょうどそのころに、()りをしていて、自分(じぶん)(すく)おうとして()んだからです。しかも、孤児(こじ)であった、彼女(かのじょ)は、けっして、幸福(こうふく)とはいえませんでした。それを(おも)うと、青年(せいねん)(うつく)しい(ひと)()ても(こころ)をひかれることがなかったのです。
「おしずの(かお)を一()(ゆめ)になりと()たいものだ。そうしたら、その(かお)製作(せいさく)するのに……。」と、(おも)っていました。
 (はなし)()いても、おしずは、そんなに(うつく)しい(おんな)ではなかったということです。けれど、(かれ)には、やさしい、(うつく)しい、そして、(なさ)(ぶか)い、(おんな)(おも)われました。()のどんな(うつく)しい(おんな)とも、それはくらべものにならないほど、理想(りそう)(かお)(おも)われました。(かれ)空想(くうそう)するような(かお)(さが)そうとしましたけれど、モデルになるような(おんな)はなかなか見当(みあ)たりませんでした。(かれ)は、せめても、おしずにお()りをされた、当時(とうじ)の四つばかりの自分(じぶん)(かお)写真(しゃしん)によって、(つく)ってみようと(おも)いたちました。それを(つく)ることは、彼女(かのじょ)への(こころ)づくしであるようにすら(かんが)えられたからです。
 (かれ)は、おしずの()んだ、(さむ)(ふゆ)のころから、その(かお)製作(せいさく)にかかりました。こんな(かお)をして自分(じぶん)は、(こおり)(うえ)(あそ)んでいたのだと、(おも)いたかったのでした。そして、この製作(せいさく)はようやく、(はる)になってからできあがりました。その仕事(しごと)()わった()のことです。(かれ)は、アトリエで、(つか)れてうとうとといすにもたれて(ねむ)っていました。(はる)(つき)がほんのりと(まど)のすりガラスを()らしていました。
 どこからともなく、マンドリンの()が、()こえたのです。(かれ)は、(おどろ)いて、()をさましました。すると、(くに)から()ってきて、アトリエの(かべ)にかけてあったマンドリンを()()って、十七、八のみすぼらしいふうをした田舎娘(いなかむすめ)が、それを()らしながら、自分(じぶん)製作(せいさく)した彫刻(ちょうこく)(まえ)()って、その(かお)()つめているのです。青年(せいねん)は、はっとしました。自分(じぶん)は、(ゆめ)()ているのでないかと、(おお)きく()をみはりました。(かみ)のこわれた、(みじか)着物(きもの)をきた田舎娘(いなかむすめ)は、まぼろしでも、(ゆめ)でもないように、はっきりと()っていたのです。
 (かれ)は、あまりのことに、いすから()きて、(こえ)をたてました。すると、たちまち、その姿(すがた)はどこへともなく()えてしまいました。
「やはり、(ゆめ)かしらん。いやこんなに、()()けているのだから、(ゆめ)じゃない。」
 (かれ)は、へやの(なか)()まわしますと、(ふる)い、(いと)()れた、マンドリンは、ほこりのかかったまま(かべ)にかかっていました。そして、(つき)(ひかり)は、おぼろに、(まど)(そと)()らしていました。(かれ)は、その(まど)()けました。(はる)()は、(しず)かに()けていました。どこからともなく、(はな)(かお)りがただよってきたのです。

 

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