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赤いろうそくと人魚

时间: 2022-09-13    进入日语论坛
核心提示:赤いろうそくと人魚小川未明一 人魚(にんぎょ)は、南(みなみ)の方(ほう)の海(うみ)にばかり棲(す)んでいるのではありません。北
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赤いろうそくと人魚

小川未明

 


 人魚(にんぎょ)は、(みなみ)(ほう)(うみ)にばかり()んでいるのではありません。(きた)(うみ)にも()んでいたのであります。
 北方(ほっぽう)(うみ)(いろ)は、(あお)うございました。あるとき、(いわ)(うえ)に、(おんな)人魚(にんぎょ)があがって、あたりの景色(けしき)をながめながら(やす)んでいました。
 雲間(くもま)からもれた(つき)(ひかり)がさびしく、(なみ)(うえ)()らしていました。どちらを()ても(かぎ)りない、ものすごい(なみ)が、うねうねと(うご)いているのであります。
 なんという、さびしい景色(けしき)だろうと、人魚(にんぎょ)(おも)いました。自分(じぶん)たちは、人間(にんげん)とあまり姿(すがた)()わっていない。(さかな)や、また底深(そこぶか)(うみ)(なか)()んでいる、()(あら)い、いろいろな獣物(けもの)などとくらべたら、どれほど人間(にんげん)のほうに、(こころ)姿(すがた)()ているかしれない。それだのに、自分(じぶん)たちは、やはり(さかな)や、獣物(けもの)などといっしょに、(つめ)たい、(くら)い、()滅入(めい)りそうな(うみ)(なか)()らさなければならないというのは、どうしたことだろうと(おも)いました。
 (なが)年月(としつき)(あいだ)(はなし)をする相手(あいて)もなく、いつも(あか)るい(うみ)(おもて)をあこがれて、()らしてきたことを(おも)いますと、人魚(にんぎょ)はたまらなかったのであります。そして、(つき)(あか)るく()らす(ばん)に、(うみ)(おもて)()かんで、(いわ)(うえ)(やす)んで、いろいろな空想(くうそう)にふけるのが(つね)でありました。
人間(にんげん)()んでいる(まち)は、(うつく)しいということだ。人間(にんげん)は、(さかな)よりも、また獣物(けもの)よりも、人情(にんじょう)があってやさしいと()いている。(わたし)たちは、(さかな)獣物(けもの)(なか)()んでいるが、もっと人間(にんげん)のほうに(ちか)いのだから、人間(にんげん)(なか)(はい)って()らされないことはないだろう。」と、人魚(にんぎょ)(かんが)えました。
 その人魚(にんぎょ)(おんな)でありました。そして妊娠(みもち)でありました。……(わたし)たちは、もう(なが)(あいだ)、このさびしい、(はなし)をするものもない、(きた)(あお)(うみ)(なか)()らしてきたのだから、もはや、(あか)るい、にぎやかな(くに)(のぞ)まないけれど、これから()まれる子供(こども)に、せめても、こんな(かな)しい、(たよ)りない(おも)いをさせたくないものだ。……
 子供(こども)から(わか)れて、(ひと)り、さびしく(うみ)(なか)()らすということは、このうえもない(かな)しいことだけれど、子供(こども)がどこにいても、しあわせに()らしてくれたなら、(わたし)(よろこ)びは、それにましたことはない。
 人間(にんげん)は、この世界(せかい)(うち)で、いちばんやさしいものだと()いている。そして、かわいそうなものや、(たよ)りないものは、けっしていじめたり、(くる)しめたりすることはないと()いている。いったん()づけたなら、けっして、それを()てないとも()いている。(さいわ)い、(わたし)たちは、みんなよく(かお)人間(にんげん)()ているばかりでなく、(どう)から(うえ)人間(にんげん)そのままなのであるから――(さかな)獣物(けもの)世界(せかい)でさえ、()らされるところを(おも)えば――人間(にんげん)世界(せかい)()らされないことはない。一()人間(にんげん)()()()げて(そだ)ててくれたら、きっと無慈悲(むじひ)()てることもあるまいと(おも)われる。……
 人魚(にんぎよ)は、そう(おも)ったのでありました。
 せめて、自分(じぶん)子供(こども)だけは、にぎやかな、(あか)るい、(うつく)しい(まち)(そだ)てて(おお)きくしたいという(なさ)けから、(おんな)人魚(にんぎょ)は、子供(こども)(りく)(うえ)()()とそうとしたのであります。そうすれば、自分(じぶん)は、ふたたび()()(かお)()ることはできぬかもしれないが、子供(こども)人間(にんげん)仲間入(なかまい)りをして、幸福(こうふく)生活(せいかつ)をすることができるであろうと(おも)ったのです。
 はるか、かなたには、海岸(かいがん)小高(こだか)(やま)にある、神社(じんじゃ)燈火(あかり)がちらちらと波間(なみま)()えていました。ある()(おんな)人魚(にんぎょ)は、子供(こども)()()とすために、(つめ)たい、(くら)(なみ)(あいだ)(およ)いで、(りく)(ほう)()かって(ちか)づいてきました。


 海岸(かいがん)に、(ちい)さな(まち)がありました。(まち)には、いろいろな(みせ)がありましたが、お(みや)のある(やま)(した)に、(まず)しげなろうそくをあきなっている(みせ)がありました。
 その(いえ)には、(とし)よりの夫婦(ふうふ)()んでいました。おじいさんがろうそくを(つく)って、おばあさんが(みせ)()っていたのであります。この(まち)(ひと)や、また付近(ふきん)漁師(りょうし)がお(みや)へおまいりをするときに、この(みせ)()()って、ろうそくを()って(やま)(のぼ)りました。
 (やま)(うえ)には、(まつ)()()えていました。その(なか)にお(みや)がありました。(うみ)(ほう)から()いてくる(かぜ)が、(まつ)のこずえに()たって、(ひる)も、(よる)も、ゴーゴーと()っています。そして、毎晩(まいばん)のように、そのお(みや)にあがったろうそくの火影(ほかげ)が、ちらちらと()らめいているのが、(とお)(うみ)(うえ)から(のぞ)まれたのであります。
 ある()のことでありました。おばあさんは、おじいさんに()かって、
(わたし)たちが、こうして()らしているのも、みんな(かみ)さまのお(かげ)だ。この(やま)にお(みや)がなかったら、ろうそくは()れない。(わたし)どもは、ありがたいと(おも)わなければなりません。そう(おも)ったついでに、(わたし)は、これからお(やま)(のぼ)っておまいりをしてきましょう。」といいました。
「ほんとうに、おまえのいうとおりだ。(わたし)毎日(まいにち)(かみ)さまをありがたいと(こころ)ではお(れい)(もう)さない()はないが、つい用事(ようじ)にかまけて、たびたびお(やま)へおまいりにゆきもしない。いいところへ()がつきなされた。(わたし)(ぶん)もよくお(れい)(もう)してきておくれ。」と、おじいさんは(こた)えました。
 おばあさんは、とぼとぼと(いえ)()かけました。(つき)のいい(ばん)で、昼間(ひるま)のように(そと)(あか)るかったのであります。お(みや)へおまいりをして、おばあさんは(やま)()りてきますと、石段(いしだん)(した)に、(あか)(ぼう)()いていました。
「かわいそうに、()()だが、だれがこんなところに()てたのだろう。それにしても不思議(ふしぎ)なことは、おまいりの(かえ)りに、(わたし)()()まるというのは、なにかの(えん)だろう。このままに見捨(みす)てていっては、(かみ)さまの(ばち)()たる。きっと(かみ)さまが、(わたし)たち夫婦(ふうふ)子供(こども)のないのを()って、お(さず)けになったのだから、(かえ)っておじいさんと相談(そうだん)をして(そだ)てましょう。」と、おばあさんは(こころ)(うち)でいって、(あか)(ぼう)()()げながら、
「おお、かわいそうに、かわいそうに。」といって、(うち)()いて(かえ)りました。
 おじいさんは、おばあさんの(かえ)るのを()っていますと、おばあさんが、(あか)(ぼう)()いて(かえ)ってきました。そして、一()始終(しじゅう)をおばあさんは、おじいさんに(はな)しますと、
「それは、まさしく(かみ)さまのお(さず)()だから、大事(だいじ)にして(そだ)てなければ(ばち)()たる。」と、おじいさんも(もう)しました。
 二人(ふたり)は、その(あか)(ぼう)(そだ)てることにしました。その()(おんな)()であったのです。そして(どう)から(した)のほうは、人間(にんげん)姿(すがた)でなく、(さかな)(かたち)をしていましたので、おじいさんも、おばあさんも、(はなし)()いている人魚(にんぎょ)にちがいないと(おも)いました。
「これは、人間(にんげん)()じゃあないが……。」と、おじいさんは、(あか)(ぼう)()(あたま)(かたむ)けました。
(わたし)も、そう(おも)います。しかし人間(にんげん)()でなくても、なんと、やさしい、かわいらしい(かお)(おんな)()でありませんか。」と、おばあさんはいいました。
「いいとも、なんでもかまわない。(かみ)さまのお(さず)けなさった子供(こども)だから、大事(だいじ)にして(そだ)てよう。きっと(おお)きくなったら、りこうな、いい()になるにちがいない。」と、おじいさんも(もう)しました。
 その()から、二人(ふたり)は、その(おんな)()大事(だいじ)(そだ)てました。(おお)きくなるにつれて、黒目勝(くろめが)ちで、(うつく)しい頭髪(かみのけ)の、(はだ)(いろ)のうす(くれない)をした、おとなしいりこうな()となりました。


 (むすめ)は、(おお)きくなりましたけれど、姿(すがた)()わっているので、()ずかしがって(かお)(そと)()しませんでした。けれど、一目(ひとめ)その(むすめ)()(ひと)は、みんなびっくりするような(うつく)しい器量(きりょう)でありましたから、(なか)にはどうかしてそ(むすめ)()たいと(おも)って、ろうそくを()いにきたものもありました。
 おじいさんや、おばあさんは、
「うちの(むすめ)は、内気(うちき)()ずかしがりやだから、(ひと)さまの(まえ)には()ないのです。」といっていました。
 (おく)()でおじいさんは、せっせとろうそくを(つく)っていました。(むすめ)は、自分(じぶん)(おも)いつきで、きれいな()()いたら、みんなが(よろこ)んで、ろうそくを()うだろうと(おも)いましたから、そのことをおじいさんに(はな)しますと、そんならおまえの()きな()を、ためしにかいてみるがいいと(こた)えました。
 (むすめ)は、(あか)()()で、(しろ)いろうそくに、(さかな)や、(かい)や、または海草(かいそう)のようなものを、()まれつきで、だれにも(なら)ったのではないが上手(じょうず)(えが)きました。おじいさんは、それを()るとびっくりいたしました。だれでも、その()()ると、ろうそくがほしくなるように、その()には、不思議(ふしぎ)(ちから)と、(うつく)しさとがこもっていたのであります。
「うまいはずだ。人間(にんげん)ではない、人魚(にんぎょ)()いたのだもの。」と、おじいさんは感嘆(かんたん)して、おばあさんと(はな)()いました。
()()いたろうそくをおくれ。」といって、(あさ)から(ばん)まで、子供(こども)や、大人(おとな)がこの店頭(みせさき)()いにきました。はたして、()()いたろうそくは、みんなに()けたのであります。
 すると、ここに不思議(ふしぎ)(はなし)がありました。この()()いたろうそくを(やま)(うえ)のお(みや)にあげて、その()えさしを()につけて、(うみ)()ると、どんな大暴風雨(だいぼうふうう)()でも、けっして、(ふね)転覆(てんぷく)したり、おぼれて()ぬような災難(さいなん)がないということが、いつからともなく、みんなの口々(くちぐち)に、うわさとなって(のぼ)りました。
(うみ)(かみ)さまを(まつ)ったお(みや)さまだもの、きれいなろうそくをあげれば、(かみ)さまもお(よろこ)びなさるのにきまっている。」と、その(まち)人々(ひとびと)はいいました。
 ろうそく()では、ろうそくが()れるので、おじいさんはいっしょうけんめいに(あさ)から(ばん)まで、ろうそくを(つく)りますと、そばで(むすめ)は、()(いた)くなるのも我慢(がまん)して、(あか)()()()()いたのであります。
「こんな、人間並(にんげんなみ)でない自分(じぶん)をも、よく(そだ)てて、かわいがってくだすったご(おん)(わす)れてはならない。」と、(むすめ)は、老夫婦(ろうふうふ)のやさしい(こころ)(かん)じて、(おお)きな(くろ)(ひとみ)をうるませたこともあります。
 この(はなし)(とお)くの(むら)まで(ひび)きました。遠方(えんぽう)船乗(ふなの)りや、また漁師(りょうし)は、(かみ)さまにあがった、()()いたろうそくの()えさしを()()れたいものだというので、わざわざ(とお)いところをやってきました。そして、ろうそくを()って(やま)(のぼ)り、お(みや)参詣(さんけい)して、ろうそくに()をつけてささげ、その()えて(みじか)くなるのを()って、またそれをいただいて(かえ)りました。だから、(よる)となく、(ひる)となく、(やま)(うえ)のお(みや)には、ろうそくの()()えたことはありません。(こと)に、(よる)(うつく)しく、燈火(ともしび)(ひかり)(うみ)(うえ)からも(のぞ)まれたのであります。
「ほんとうに、ありがたい(かみ)さまだ。」という評判(ひょうばん)は、世間(せけん)にたちました。それで、(きゅう)にこの(やま)名高(なだか)くなりました。
 (かみ)さまの評判(ひょうばん)は、このように(たか)くなりましたけれど、だれも、ろうそくに一(しん)をこめて()()いている(むすめ)のことを、(おも)うものはなかったのです。したがって、その(むすめ)をかわいそうに(おも)った(ひと)はなかったのであります。(むすめ)は、(つか)れて、おりおりは、(つき)のいい(よる)に、(まど)から(あたま)()して、(とお)い、(きた)(あお)い、(あお)い、(うみ)(こい)しがって、(なみだ)ぐんでながめていることもありました。


 あるとき、(みなみ)(ほう)(くに)から、香具師(やし)(はい)ってきました。なにか(きた)(くに)へいって、(めずら)しいものを(さが)して、それをば(みなみ)(くに)()っていって、(かね)をもうけようというのであります。
 香具師(やし)は、どこから()()んできたものか、または、いつ(むすめ)姿(すがた)()て、ほんとうの人間(にんげん)ではない、じつに()(めずら)しい人魚(にんぎょ)であることを見抜(みぬ)いたものか、ある()のこと、こっそりと年寄(としよ)夫婦(ふうふ)のところへやってきて、(むすめ)にはわからないように、大金(たいきん)()すから、その人魚(にんぎょ)()ってはくれないかと(もう)したのであります。
 年寄(としよ)夫婦(ふうふ)は、最初(さいしょ)のうちは、この(むすめ)は、(かみ)さまがお(さず)けになったのだから、どうして()ることができよう。そんなことをしたら、(ばち)()たるといって承知(しょうち)をしませんでした。香具師(やし)は一()、二()(ことわ)られてもこりずに、またやってきました。そして、(とし)より夫婦(ふうふ)()かって、
(むかし)から、人魚(にんぎょ)は、不吉(ふきつ)なものとしてある。いまのうちに、()もとから(はな)さないと、きっと(わる)いことがある。」と、まことしやかに(もう)したのであります。
 (とし)より夫婦(ふうふ)は、ついに香具師(やし)のいうことを(しん)じてしまいました。それに大金(たいきん)になりますので、つい(かね)(こころ)(うば)われて、(むすめ)香具師(やし)()ることに約束(やくそく)をきめてしまったのであります。
 香具師(やし)は、たいそう(よろこ)んで(かえ)りました。いずれそのうちに、(むすめ)()()りにくるといいました。
 この(はなし)(むすめ)()ったときは、どんなに(おどろ)いたでありましょう。内気(うちき)な、やさしい(むすめ)は、この(いえ)から(はな)れて、(いく)()(とお)い、()らない、(あつ)(みなみ)(くに)へゆくことをおそれました。そして、()いて、(とし)より夫婦(ふうふ)(ねが)ったのであります。
「わたしは、どんなにでも(はたら)きますから、どうぞ()らない(みなみ)(くに)()られてゆくことは、(ゆる)してくださいまし。」といいました。
 しかし、もはや、(おに)のような心持(こころも)ちになってしまった年寄(としよ)夫婦(ふうふ)は、なんといっても、(むすめ)のいうことを()()れませんでした。
 (むすめ)は、へやのうちに()じこもって、いっしんにろうそくの()()いていました。しかし、年寄(としよ)夫婦(ふうふ)はそれを()ても、いじらしいとも、(あわ)れとも、(おも)わなかったのであります。
 (つき)(あか)るい(ばん)のことであります。(むすめ)は、(ひと)(なみ)(おと)()きながら、()()(すえ)(おも)うて(かな)しんでいました。(なみ)(おと)()いていると、なんとなく、(とお)くの(ほう)で、自分(じぶん)()んでいるものがあるような()がしましたので、(まど)から、(そと)をのぞいてみました。けれど、ただ(あお)い、(あお)(うみ)(うえ)(つき)(ひかり)が、はてしなく、()らしているばかりでありました。
 (むすめ)は、また、すわって、ろうそくに()()いていました。すると、このとき、(おもて)(ほう)(さわ)がしかったのです。いつかの香具師(やし)が、いよいよこの()(むすめ)()れにきたのです。(おお)きな、鉄格子(てつごうし)のはまった、四(かく)(はこ)(くるま)()せてきました。その(はこ)(なか)には、かつて、とらや、ししや、ひょうなどを()れたことがあるのです。
 このやさしい人魚(にんぎょ)も、やはり(うみ)(なか)獣物(けもの)だというので、とらや、ししと(おな)じように()(あつか)おうとしたのであります。ほどなく、この(はこ)(むすめ)()たら、どんなにたまげたでありましょう。
 (むすめ)は、それとも()らずに、(した)()いて、()()いていました。そこへ、おじいさんと、おばあさんとが(はい)ってきて、
「さあ、おまえはゆくのだ。」といって、()れだそうとしました。
 (むすめ)は、()()っていたろうそくに、せきたてられるので()()くことができずに、それをみんな(あか)()ってしまいました。
 (むすめ)は、(あか)いろうそくを、自分(じぶん)(かな)しい(おも)()記念(きねん)に、二、三(ぼん)(のこ)していったのであります。


 ほんとうに(おだ)やかな(ばん)のことです。おじいさんとおばあさんは、()()めて、()てしまいました。
 真夜中(まよなか)ごろでありました。トン、トン、と、だれか()をたたくものがありました。年寄(としよ)りのものですから(みみ)さとく、その(おと)()きつけて、だれだろうと(おも)いました。
「どなた?」と、おばあさんはいいました。
 けれどもそれには(こた)えがなく、つづけて、トン、トン、と()をたたきました。
 おばあさんは()きてきて、()(ほそ)めにあけて(そと)をのぞきました。すると、一人(ひとり)(いろ)(しろ)(おんな)戸口(とぐち)()っていました。
 (おんな)はろうそくを()いにきたのです。おばあさんは、すこしでもお(かね)がもうかることなら、けっして、いやな(かお)つきをしませんでした。
 おばあさんは、ろうそくの(はこ)()()して(おんな)()せました。そのとき、おばあさんはびっくりしました。(おんな)(なが)い、(くろ)頭髪(かみのけ)がびっしょりと(みず)にぬれて、(つき)(ひかり)(かがや)いていたからであります。(おんな)(はこ)(なか)から、()()なろうそくを()()げました。そして、じっとそれに見入(みい)っていましたが、やがて(かね)(はら)って、その(あか)いろうそくを()って(かえ)ってゆきました。
 おばあさんは、燈火(ともしび)のところで、よくその(かね)をしらべてみると、それはお(かね)ではなくて、(かい)がらでありました。おばあさんは、だまされたと(おも)って、(おこ)って、(うち)から()()してみましたが、もはや、その(おんな)(かげ)は、どちらにも()えなかったのであります。
 その()のことであります。(きゅう)(そら)模様(もよう)()わって、(ちか)ごろにない大暴風雨(おおあらし)となりました。ちょうど香具師(やし)が、(むすめ)をおりの(なか)()れて、(ふね)()せて、(みなみ)(ほう)(くに)へゆく途中(とちゅう)で、(おき)にあったころであります。
「この大暴風雨(おおあらし)では、とても、あの(ふね)(たす)かるまい。」と、おじいさんと、おばあさんは、ぶるぶると(ふる)えながら、(はなし)をしていました。
 ()()けると、(おき)()(くら)で、ものすごい景色(けしき)でありました。その()難船(なんせん)をした(ふね)は、(かぞ)えきれないほどであります。
 不思議(ふしぎ)なことには、その(のち)(あか)いろうそくが、(やま)のお(みや)(とも)った(ばん)は、いままで、どんなに天気(てんき)がよくても、たちまち(おお)あらしとなりました。それから、(あか)いろうそくは、不吉(ふきつ)ということになりました。ろうそく()(とし)より夫婦(ふうふ)は、(かみ)さまの(ばち)()たったのだといって、それぎり、ろうそく()をやめてしまいました。
 しかし、どこからともなく、だれが、お(みや)()げるものか、たびたび、(あか)いろうそくがともりました。(むかし)は、このお(みや)にあがった()()いたろうそくの()えさしさえ()っていれば、けっして、(うみ)(うえ)では災難(さいなん)にはかからなかったものが、今度(こんど)は、(あか)いろうそくを()ただけでも、そのものはきっと災難(さいなん)にかかって、(うみ)におぼれて()んだのであります。
 たちまち、このうわさが世間(せけん)(つた)わると、もはや、だれも、この(やま)(うえ)のお(みや)参詣(さんけい)するものがなくなりました。こうして、(むかし)、あらたかであった(かみ)さまは、いまは、(まち)鬼門(きもん)となってしまいました。そして、こんなお(みや)が、この(まち)になければいいものと、うらまぬものはなかったのであります。
 船乗(ふなの)りは、(おき)から、お(みや)のある(やま)をながめておそれました。(よる)になると、この(うみ)(うえ)は、なんとなくものすごうございました。はてしもなく、どちらを()まわしても、(たか)(なみ)がうねうねとうねっています。そして、(いわ)(くだ)けては、(しろ)いあわが()()がっています。(つき)が、雲間(くもま)からもれて(なみ)(おもて)()らしたときは、まことに気味悪(きみわる)うございました。
 ()(くら)な、(ほし)もみえない、(あめ)()(ばん)に、(なみ)(うえ)から、(あか)いろうそくの()が、(ただよ)って、だんだん(たか)(のぼ)って、いつしか(やま)(うえ)のお(みや)をさして、ちらちらと(うご)いてゆくのを()たものがあります。
 幾年(いくねん)もたたずして、そのふもとの(まち)はほろびて、()くなってしまいました。

 

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