それより問題は、英語などでは兄弟をbrotherとsister、つまり男女の性によって分けているのに、日本語では兄と弟、姉と妹のように年の上下で言い分ける。( A )英語では、年の上下を言い表すためには、elderとか、youngerとか、そのほか、当人の年の状況を表す修飾語をわざわざつけなければならない。( B )ということは、( ① )は男か女かが問題で、年の上下などは二の次と考えているのだろう。( C )だから自分をもし兄弟の枠のなかにはめ込むとしたら、神から授かった「性」によって、生まれた時からbrotherかsisterかは決まっている。( D )これは実に客観的なものの見方といってよいのではないか。
日本語のほうはどうだろう。年の上下関係など相対的なものだから、相手次第で兄弟のどちらにも転ぶ。三浪に対しては兄や姉であっても、太郎からすれば弟や妹であろう。それどころか、自分を基準によって兄弟を二手にわけることさえである。あの比喩的な使い方、
「失礼だけれど、おいくつですか」
「二十五です」
「じゃ君は僕より三つ弟だね。」
英語では逆立ちしてもこのような言い方はできない。「君は僕よりもbrotherだ」「彼女は僕よりもsisterだ」など、考えただけでも滑稽ではないか。
自分を基準にすえて兄弟を上下に篩い分ける日本人の視点は、まことに自己中心的と言っていい。そして、このような人間の関係として兄弟をとらえ、上下化に位置づける。まさにタテ社会そのものである。
1、「ことさら腹を立てるには及ばない」とあるが、なぜ腹を立てるには及ばないか。
①現在、兄弟姉妹を一括して「兄弟」と呼ぶから。
②「兄弟」と男の方で呼ぶのは姉も妹も含まれるから。
③もともと兄弟は男女の性をもとにした呼び方なのだから。
④もともと兄弟は年の上下をもとにした呼び方なのだから。
2、「物事のとらえ方の違いである」という文があるが、文章の(А)~(Ⅾ)のどこかに入るのが適当か。
①A
②B
③C
④D
3、( ① )に入る言葉として最も適当なものは何か。
①日本語
②英語
③兄弟
④姉妹
4、この文章の内容と一致しているものはどれか。
①英語などでは兄と弟のように年の上下で言い分けるのに、日本語では兄弟を男女の性によって分けている。
②日本語ではいつも「僕は君より三つ兄だ」などのように兄弟を二手に分けている。
③自分を基準にすえて兄弟を上下に篩い分けることは日本人の自己中心という視点からである。
④姉も妹も含まれるのに「兄弟」で呼ぶのは男女差別も甚だしい表現である。