これには2つの理由がある。まず第一に、しぐさは人間の意思伝達の取るに足りない、劣った形式であると完全に誤解されてきたことである。言葉のやり取りは人類にとって最高の栄誉であるために、他の意思伝達の形式はすべて、どういうわけか劣った、原始的なものとみなされているのだ。しかし、社会における人と人との交わりは、言葉を話す人間の身体の動作、姿勢、身振り、表情に大きく依存している。
気分の変化や気持ちの状態を伝えることに関しては、しぐさが伝える情報の方が言葉が伝える情報よりも重要であると主張する人さえいるだろう。言葉は、事実や観念を表すのには適している。しかし、しぐさがなかったら、人間の社会生活は冷たい、感情のこもらないものになるだろう。
言葉でないしぐさですべてを表すには無理があるだろうけど、ときにはそれだけでも充分な意思伝達はできるのではなかろうか。
1、次のうち、本文の内容と合わないものはどれか
①しぐさは、人間の意思伝達の取るに足りない、劣った形式である。
②言葉以外の意思伝達の形式は、原始的なものとみなされている。
③しぐさの専門家は実に珍しいが、絶滅しかけている種とは言えない。
④しぐさがなければ、社会生活が冷たい、感情のこもらないものになってしまう。
2、次のうち、筆者の考えに最も近いものはどれか。
①しぐさは、他の意思伝達の形式よりも劣っている。
②しぐさは重要なものであるのに、著しく過小評価されている。
③しぐさは人類にとって最高の栄誉である。
④しぐさが伝える情報は、言葉が伝える情報よりも重要である。
3、「しぐさの専門家は実に珍しい」とあるが、それはなぜか。
①言葉のやりとり以外のすべての意思伝達の形式は原始的なものとみなされているから。
②事実や観念を表すのにもっとも適しているのは言葉だから。
③しぐさが伝える情報の方が言葉の伝える情報よりも重要であるから。
④しぐさは、意思伝達の方法としては原始的なものであるため。