ローマを立ち、南部のレッジョカラブリア空港に着いた機内で、前にいた20代後半の女性が、「カメラを無くした」と左後方の知人に慌てて訴えた。彼女は右隣の母親らしき女性と何か話し、次に左隣の辺40代のフィリピン女性の声が聞こえてきた。「私、眠ってましたから......」
何だろうと思っていたら、通路を挟んで座っていた50代の男性が立ち、きつい口調でこう言った。「なぜ、人のバッグを断りもなしに開けてるんですか。警察でも裁判官でもそんなことはできないよ」カメラを無くした女性は、フィリピン女性に盗まれたと勘違いし、彼女のバッグを探ったのだ。「彼女に断りました」「断っても人の持ち物を検査などするもんじゃない」
人だかりができ、みなで辺りを捜したが、結局カメラは見つからなかった。
女性には「相手が外国人だから」という偏見、傲慢さがあったのかもしれない。差別は常にあり、悪人は常にいる。だが大事なのは、良識を語り、社会的弱者の側に立つ人がいることだ。早く降りようとすり抜けていく人もいない。みな目撃者としてその場を離れなかった。騒ぎが大きくなるわけでもない。誰かが怒鳴るわけでもない。
「痴漢」と中学生が声を上げても見て見ぬふりをする。その痴漢を捕まえても誰も協力しない。我先にと、ベビーカーを跨いで降りていくサラリーマン。東京の私鉄でそんな場面に出くわしたことがある。それと比べればイタリアは、ごく当たり前のことが起こる、筋の通る社会と言える。
(藤原章生「ごく普通の国」2009年10月25日付け毎日新聞「発信箱」による)
1、「普通の国」とあるが、ここで筆者の言う普通の国とはどんな国か。
①警察官も裁判官も、人のバッグを断りもなしに開けられない国。
②差別があり、悪人がいる国。
③被害者が痴漢を捕まえても誰も力を貸さない国。
④誤った行動に対しては誤っていると指摘し、弱いものの味方になる人がいる国。
2、「彼女に断りました」とあるが、誰が誰に断ったのか。
①カメラを無くした20代後半の女性が、彼女の知人に。
②カメラを無くした20代後半の女性が、40代のフィリピン女性に。
③40代のフィリピン女性が、カメラを無くした20代後半の女性に。
④カメラを無くした20代後半の女性が、母親のような人に。
3、「女性」は誰を指しているか。
①カメラを無くした女性。
②フィリピン女性。
③カメラを無くした女性の知り合いの女性。
④カメラを無くした女性の母親。