日语童话故事 日语笑话 日语文章阅读 日语新闻 300篇精选中日文对照阅读 日语励志名言 日本作家简介 三行情书 緋色の研究(血字的研究) 四つの署名(四签名) バスカービル家の犬(巴斯克威尔的猎犬) 恐怖の谷(恐怖谷) シャーロック・ホームズの冒険(冒险史) シャーロック・ホームズの回想(回忆录) ホームズの生還 シャーロック・ホームズ(归来记) 鴨川食堂(鸭川食堂) ABC殺人事件(ABC谋杀案) 三体 失われた世界(失落的世界) 日语精彩阅读 日文函电实例 精彩日文晨读 日语阅读短文 日本名家名篇 日剧台词脚本 《论语》中日对照详解 中日对照阅读 日文古典名著 名作のあらすじ 商务日语写作模版 日本民间故事 日语误用例解 日语文章书写要点 日本中小学生作文集 中国百科(日语版) 面接官によく聞かれる33の質問 日语随笔 天声人语 宮沢賢治童話集 日语随笔集 日本語常用文例 日语泛读资料 美しい言葉 日本の昔話 日语作文范文 从日本中小学课本学日文 世界童话寓言日文版 一个日本人的趣味旅行 《孟子》中日对照 魯迅作品集(日本語) 世界の昔話 初级作文 生活场境日语 時候の挨拶 グリム童話 成語故事 日语现代诗 お手紙文例集 川柳 小川未明童話集 ハリー・ポッター 新古今和歌集 ラヴレター 情书 風が強く吹いている强风吹拂
返回首页
当前位置: 首页 »日语阅读 » 日本名家名篇 » 阿刀田高 » 正文

まじめ半分14

时间: 2018-03-31    进入日语论坛
核心提示:私の�踏み台理論� むかし、ある国で王様の華麗なパレードが町をねり歩くことになった。王様の姿などめったに拝めるものではな
(单词翻译:双击或拖选)
 私の�踏み台理論�
 
 
 むかし、ある国で王様の華麗なパレードが町をねり歩くことになった。王様の姿などめったに拝めるものではない。
 町の人はこぞってこれを見ようとしたが、見物人が多過ぎてなかなか眺めることができない。
「どうしよう?」
「なんとかならないものか」
 とりわけ背の低い人は、背の高い人をうらやんだ。
 そんな様子を察知して、頭のいい家具屋が踏み台を売り出した。踏み台は飛ぶように売れた。だが……。
 みんな同じ高さの踏み台にのれば、踏み台がなかったときと少しも変わりがない。背の低い人は相変わらず眺められない。儲《もう》けたのは、家具屋ばかりだった。
 これは私自身が作った寓話《ぐうわ》である。
 自分が作ったものについてあれこれ解説するのは、いささか面映ゆいが、だれもほかの人が言ってくれないので、まず�隗《かい》より始めよ�自分で少し説明を加えさせていただく。
 今述べた話はただの一口話だが、世間には存外似たようなケースが転がっているのではあるまいか。
 たとえば、私の家の窓から外を眺めると、たくさんのネオン・サインがきらめいている。どれもこれも広告宣伝のために夜を徹して輝いているわけだが、果たしてあれは期待通りの効果があるものだろうか。
 たしかに一番初めにネオン・サインをつけたときは、おおいに注目を集めただろう。一番初めに踏み台にのった人がよく見えたのと同様である。
 だが、われもわれもとネオン・サインの広告を出したら、もうさほど効果もあるまい。さりとて自分の会社だけやらなかったら取り残されてしまう。ネオンを掲げてようやく人並みのレベル、掲げなければ落ちこぼれ。儲かるのはネオン・サイン業者ばかりである。
 この例がお気に召さないようなら、近頃の塾ブームはどうだろうか。これこそ、わが�踏み台理論�にピッタリだ。
 地方の実情はよくわからないけれど、東京あたりの小、中学生は、まずたいてい塾に通っている。
 ある都心部の小学校で調査したところ、四年生で六八%、五年生で七三%、六年生でじつに八八%、の学童が塾に通っているそうな。
 そこで考えてみよう。
 自分の家の子どもだけが塾に通っているのならば、いくらか他の人より成績がよろしくなるかもしれないが、みんながみんな塾へ行くようになったら、どうなるか。
 できる子どもはやはりますますできるようになるし、中くらいは中くらいなりに、かんばしくない子はかんばしくないように、いぜんとして同じような分布図を構成するばかりだ。
「塾にもいろいろあるから」とか「塾へ行って伸びる子もいるし、伸びない子もいるし」という主張も当然ありうるだろうけれど、巨視的に見れば、上は上へ、中は中へ、下は下へと移行するにちがいない。
 そこで、塾で習う勉強が子どもの能力開発にとっておおいに役立つものであるならば、なにはともあれ、日本の子どもたちの学力水準が全体的に高まることになり、まことにおめでたいのだが、果たしてそうなのか。
 教育には、知育、徳育、体育の三つの柱があるはずだ。その中の知育だけに重点を置いて、無闇《むやみ》やたらに引き伸ばす。受験のためにのみ必要で、ほとんどほかの目的には役立たず、時には害にさえなりかねないものを詰め込んで、たとえペーパー・テストだけの力があがったところで、学童たちの学力が向上したことにはならないだろう。
 さりとてみんなが塾にせっせと通っているとき、わが子だけ行かせないでいると、大幅に遅れをとってしまう。よほど優秀な子どもでもない限り落ちこぼれてしまう。
 かくて、その結果、受験産業にたずさわる人たちだけが——私は特別にこの職業に敵愾心《てきがいしん》を燃やしているわけではないけれど——なんとなく儲かるような仕掛けになっている。
 これこそ、わが親愛なる�踏み台理論�のもっともふさわしい例のような気がしてならない。
 あるお母さんがしみじみと嘆いていた。
「そりゃ塾なんかやりたくないわ。自由に遊ばせてやりたいし、スポーツなんかもさせたいわ。でも、クラスの中のたいていの人が行っているんだから、うちの子だけやらないわけにいかないのよ。学力にグーンと差がついちゃうから。それで塾にやればいいのかっていうと、みなさん行っているものだから、ヤッパリうちの子はドン尻《じり》のほうにしかなれないのね。ほんと、困っちゃう」
 こういう悩みを抱いている親はずいぶんと多いはずです。ちがいますか。
轻松学日语,快乐背单词(免费在线日语单词学习)---点击进入
顶一下
(0)
0%
踩一下
(0)
0%