「ねえ、今晩のおかずなんにする? なにか食べたいものある?」
たとえば日曜日の昼下がり。亭主はテレビの前にゴロリと寝転がり、高校野球の中継なんかを眺めている。奥さまのほうはと言えば、テーブルの脇《わき》に置いてある新聞をパラパラとめくり、折り込み広告にサッと目を通し、しかるのち頬杖《ほおづえ》など突きながら尋ねる。
亭主は手枕《てまくら》の後頭部で奥さまの声を聞き、いくぶん面倒くさそうな様子で、
「なんでもいいよ」
と、答える。
すると、奥さまは眉《まゆ》をひそめ、
「なんかとくに食べたいものないの?」
と、畳みかける。
そこで亭主はちょっと思案をめぐらし、
「焼き魚なんかいいんじゃないか。あっさりしてて」
と、返事をする。
「焼き魚? 大変なのよ、ガスで焼くのは。このあいだガス台を掃除したばっかりなのよ。また汚れちゃうの、いやだわ」
なるほど、焼き魚というものは、昔なつかしい七厘《しちりん》で焼いてこそ初めてさまになるもので、ガス台で焼くと、焼きあがりもあまりおいしくないし、そのうえガス台に油を垂らしたり、やたら煙をあげて近代的なキッチンを煤《すす》っぽくしたり、奥さまがたに評判のよろしい料理ではない。
「じゃあ、カレーライス」
「カレーなんて外でもよく食べるでしょ」
「まあ、そうだな。よし、なす焼きなんかどうだ」
「ダメよ。今日は日曜日だから、いつも売りに来る八百屋さんが来ないのよ。スーパーで買ったなすじゃ味がわるくて。なす焼きはやっぱりなすそのものの味がよくなくちゃ、おいしくないわ」
「フーン。それじゃ思い切って刺し身でも食べるか」
「そんな高いもの言わないでよ。第一、今日は河岸が休みでしょ。どうせ古い魚だから、おいしくないわ。せっかく刺し身を食べるんなら、もっとべつな日がいいわよ」
「じゃあ、お茶漬け」
「あー、いやだ、いやだ。こっちは年中あまりご飯でお茶漬けばっかり食べてんのよ」
「…………」
つまるところ、なにを提案しても反対されてしまい、そんなことならば、最初から意見なんか聞かなければいいのに……と、思ってしまう。
だが、奥さまのほうばかり責めるわけにはいかない。
お話変わって、今度は月曜日の朝の風景。亭主がいつもの起床時間より少し遅れて起きて来て、
「どうも頭痛がする。風邪かな」
首すじをトントン叩《たた》きながら言う。奥さまは、目玉焼きなど作りながら、
「最近の風邪はなおりにくいのよ。休んだらいいじゃない」
亭主は厳しい表情を作って、
「休んだらいいって、そう気安く言うなよ。会社ってものはな、そうそう簡単に休めるものじゃないぜ」
「そう? じゃあ急いだほうがいいわよ。もう八時過ぎてるじゃない。はい、目玉焼。バターはそこにあるでしょ。ワイシャツは椅子《いす》の上に出しておいたわよ」
「そうせかせるなよ。こんな体調のとき会社へ行ったって、ろくな仕事ができやしない」
と、言ってグズグズしている。
奥さまは横目でそれを見て、
「あら、休むの?」
「いや、大事な会議がある」
「じゃ、急がなくちゃ」
「人が頭痛なのに、無理やり会社へ出そうとするのか。働く機械じゃないんだぞ」
「なら、休めばいいじゃない」
「いーや、休めない」
これまた、そんなことならグチャグチャ奥さまになど相談しないで、自分でチャンと決断すればよろしいのだが……なぜか�ああでもない、こうでもない�と言ってすねてみたくなる。
子どもたちも両親のこうした会話を日ごろからよく聞いているから、おのずと心構えができている。
若い男がガール・フレンドに尋ねた。
「キミのご両親、ボクたちの仲を許してくれるかなあ」
恋愛がある程度の段階まで進めば、これはどうしても気がかりな問題だ。
マドモアゼルが答えて、
「すんなりとはいかないわね」
「どうして。お父さんが反対なの? それとも、お母さんかな」
「どちらとも言えないわね」
「へえー?」
「だって、父がいいって言えば、母が駄目だって言うし、母が賛成すれば、父が反対しそうだし……。わが家は昔からそういう仕組みになっているのよ」
しかし、まあ、夫婦の会話なんてもの、おたがいに相手に逆らいながら、自問自答しているところもあるらしい。ちがいますか、おたくは?