ある朝、突然目を醒《さ》ました。時刻は四時過ぎ。心配事が心に昇って来て、とても眠れそうもなかった。
「ぐずぐず悩んだって仕方ない。行動あるのみ」
私は布団をけって起きた。
今から二十年以上も昔、まだ大学生の頃《ころ》の出来事である。
なにを悩んでいたかと言えば、まず、
「定期券の期限が切れる」
ということだった。
当時、私は浦和の兄の家に住んでいて、大学も東京都内、友だちも東京都内、つまり、なにをするにも電車に乗らなければ埒《らち》があかない。いちいちキップを買っていたんじゃ高価すぎるし、キセルもできない(国鉄さん、ゴメンナサイ。当時はやっていたのです)。定期券がなくなったとたん、私は陸の孤島に置かれるも同然の立場にあった。
定期券が切れたら新しいのを買えばいいじゃないか、と思われるだろうが、ことはそれほど簡単ではない。定期券を買うためには大学の事務局へ行って通学証明書をもらわなければいけない。通学証明書をもらうためには学生証を提示しなければいけない。
しかし、私は授業料を一年分ほど滞納していたので、学生証は一年前のもの。これでは通学証明書を交付してもらえない。
こういう事態もあるべしと予測して、五か月前に目いっぱい長期の六か月定期券を買っておいたのだが、その定期券の期限が近づき、しかし授業料のほうはいぜんとして五か月前と同じ支払い状態だったのである。
父は、私に充分すねを齧《かじ》らせてくれないうちに他界していて、授業料は自分で捻出《ねんしゆつ》するよりほかになかった。
「アルバイトをしよう」
しかし、アルバイトの口があるかどうか?
その頃、靖国神社のすぐ近くに学徒援護会という機関があって、そこへ行けばアルバイトを斡旋《あつせん》してくれるという話を聞いていた。よいアルバイト先を見つけるためには、朝早く行って並ばなければいけないのだという。
四時に目を醒《さ》ました私は五時に起床してそのまま援護会へ向かった。それでも浦和から駈けつけたのでは、あまり早いほうではなかった。
「本が好きだから、本に関係ある仕事を」
と、私は出版社の編集事務のような仕事を想定して言ったのだが、
「じゃあ、これがいいでしょう」
事務所の人が勧めてくれたのは書店の売り子だった。背に腹は替えられない。それに、本を売る仕事も存外おもしろいかもしれない。
かくて私は神田の、お茶の水駅から明治大学の前を過ぎ、ななめに古書店街のほうへ降りて行く道の途中にある文苑堂という書店で、売り子を務めることとなった。
結論を言えば、あの仕事はそれなりに役に立った、と思う。現在の私は、本を作る側の一角を自分の生業としているわけだが、自分の書いた本がどのように売られていくのか、そのプロセスをつぶさに体験したのはけっして無駄ではなかった。
それはともかく、私はこの書店に二か月ほど勤務して、なにほどかの金子を得た。昼めしにはたぬきうどんより高価なものは食べず一生懸命に貯えた金だった。
滞納した授業料を全額まかなうには足りなかったが、半期分でも納めれば通学証明書はもらえるルールだった。
汗の結晶をポケットに収めて大学の事務局へ赴くと、先客が一人いた。
「授業料を滞納しちまって、通学証明書がもらえないんですけど、困っちゃうからなんとかできないんですか」
彼は二か月前の私と同じ状態で、それで事務員に相談しているのだった。
「学部の主任教授のところへ行って、勉学を続ける意志のあることを証明していただければ、通学証明書は交付します」
その学生がどうしたかは知らない。
私はその話を立ち聞きしたとたんきびすを返した。
——そんな手があったのか。それじゃあ、この金を支払うのは、ちょっと待て——
おおいに苦労して貯めた金であるにもかかわらず——いや、おおいに苦労して貯めた金であればこそ、おいそれと授業料になんか使ってなるものか。
クラブ活動などもやっていたので主任教授とは親しかった。早速、教授の部屋をノックして、急に懐ぐあいが豊かになった。
「よし、飲みに行こう」
仲間たちを誘って、たちまち浪費したような気がする。
それから数か月後、私はまたしても愕然《がくぜん》として夜中に目を醒まし、学徒援護会へ走らなければいけなかった。
私の中には、ひどく心配症のところと、奇妙に楽天的なところが共存しているようだ。その傾向は今でも少しも変わっていない。