二十年以上も昔——と言うのは、閑暇がありあまるほどあった頃、猫におあずけを教えようと努力したことがあった。
飼い猫の目の前に魚を置き、
「おあずけ」
と言って命令を下し、じっと睨《にら》んでいる。
猫のほうも、命令の語気から判断して�これは食べてはいけないものなんだな�と、すぐに察したらしい。目を細くして、あらぬ方向など見ていた。
ところが、こっちがちょっと席を立てば、たちまち魚をくわえて逃げて行ってしまう。何度教え込んでも無駄だった。
同じ頃、家に犬も飼っていた。こちらのほうは、肉を目の前に置き、
「おあずけ」
と、命令を下したものの、途中で電話がかかって来てそのまま忘れてしまった。一、二時間ほどたって戻ってみると、犬はまだ肉を目の前にして顎《あご》の下によだれの海を作ったままじっとすわっている。
「ごめん、ごめん」
犬に謝って、もう一きれ新しい肉を追加してやった。
猫ならばとてもこうはいかない。こっちが目を離したとたん肉をくわえ込み、満腹したところで日なたぼっこでもしているだろう。犬と猫とは根本的に性質がちがうものらしい。
犬好きの人は、
「だから犬はいい。忠実で、正直だ」
と、言う。
しかし、考えようによっては、犬の性質には�主人にはどうあっても従う�といったふうな奴隷根性が見られなくもない。前近代的である。
猫のほうは�現在の力関係としては人間に劣るから一応服従しているけれど、いざとなれば反逆をする精神を持ちあわせている�のだから、こちらのほうが近代的�人�格のような気もする。
水商売の世界には、猫型、犬型という客の区分法がある、と聞いた。
�猫は家につき、犬は人につく�という習性があり、これは猫というものは一家が引っ越して行っても、もとの家になおも住みつく性質があるのに対して、犬のほうは主人一家のあとを追ってどこまでもついて行く、そのことを言っているのだろう。
バーやクラブの客の中にも、店のホステスがどう変わろうと、同じ店に通って来る人がいて、これが猫型。一方、犬型のほうは、ホステスがほかの店に移り、
「ねえ、アーさん、今日からお店が変わったの。来てね」
と、電話でもかかって来れば、もう前の店のほうはすっかりご無沙汰《ぶさた》となり、人について移って行ってしまう。これが、すなわち犬型の客である。
店の経営者にとっては、猫型の客のほうが望ましいのは当然だが、一方、ホステスにとっては、いつまでも自分のあとを追って来る犬型の客でなければ商売としての妙味が薄い。
飲み仲間を眺めていると、たしかに犬型と猫型の区別はあるようで、この分類法はおもしろいと思った。猫型の客は酒好きのタイプであり、犬型の客は女好きのタイプである。
こんな分類法をある酒場で話していたら、
「恋愛のやり方にも猫型と犬型とがあるんですね」
と、もう一つの区分法を教えられた。
「へーえ、それは知らない」
「ああ、そうですか。犬の恋愛ってのは、わりとやりかたがはででしょう」
「そうかな」
「そうですよ。昼日中、道のまん中で、二匹くっついたりして」
「なるほど。言われてみると、かなり大っぴらにやってるね」
「ね。ところが猫は夜陰に乗じてこっそりとやる」
「声はうるさいけど……」
「でも、猫の交尾の現場って、あまり見ないんじゃないですか」
「うん」
「人間の場合も二種類あるでしょ。だれかのこと好きになると、やたら大っぴらにして�オレ、もててんだ、もててんだ�と発表したがるタイプと……」
「それが犬型だね」
「そう。その反対に、こっそりとどこでだれとくっついているのかわからない。いつの間にか仲よくなっているってタイプがありますね。こっちが猫型」
「しかし、それは恋愛の種類にもよるんじゃないのかな。人前で大っぴらにやって許される場合もあるし、それから厭《いや》でも秘密にしなけりゃ駄目な場合と……」
「もちろん、そうですけど、それにしてもやっぱりタイプがありますね」
私自身はどちらかな? と考えた。
動物の好みについては、犬も猫もどちらもほどほどに好きである。酒場の客としては犬型の場合もあるし、猫型の場合もある。折衷方式だ。そして、恋愛のやりかたは……はて? 近頃しばらくやっていないんだなあ。