旅に出れば、なにかしら心に残る発見がある。異国の旅ならば、なおさらだろう。
三泊四日の韓《かん》国《こく》旅行。ソウル、慶《キヨン》州《ジユ》、釜《プ》山《サン》とめぐり歩いて、私には慶州が一番印象深かった。
慶州は町全体が歴史博物館と言われる古都である。もともと史蹟に富んだ美しい町だが、そのうえ訪ねた日は空に雲ひとつない、みごとな快晴。観光客も少なく、仏国寺境内の散策は浅い春の気配の中で、すこぶる快適であった。
このあたりは韓国の新婚旅行の名所にもなっているのだろう。それらしい二人連れが目立った。新郎は上下そろいのダーク・スーツ。新婦は民族衣《い》裳《しよう》のチマ・チョゴリをまとって弾んでいる。原色の衣裳が周囲の風景とよくマッチしている。
「日本で見るよりきれいだな」
「まったく」
実のところ私は民族衣裳としてのチマ・チョゴリにあまり高い評価を置いていなかった。これほど美しいものとは思っていなかった。
美しいことは美しいけれど、原色をせいぜい二色くらい組み合わせただけ、少し単調である。われら大和《やまと》民族の和服が持つ、込み入ったデザインのほうが断然すぐれていると考えていたのである。
だが、韓国の粗い風土の中で眺めると、チマ・チョゴリもわるいものではない。
——騎馬民族だからなあ——
などと、見当ちがいかもしれない感想を抱いた。
つまり男が粗い草原を馬に乗って帰って来る。それを迎える女は、遠くからひとめでわかる色あいの衣裳を着ているほうがふさわしい。こまかい模様が織り込んであっても、見えやしないではないか。一方、われらが和服のデザインは、四畳半風の文化にこそふさわしいものだろう。
もちろんチマ・チョゴリにも複雑な模様を染め込んだり、織り込んだりしたものもあるけれど、新婚旅行の女性たちは単純明快な色を合わせて花のように咲き、蝶のように舞っていた。それが本当に美しかった。
チマ・チョゴリは、韓国式の晩《ばん》餐《さん》の席にもすわっていた。妓《キー》生《セン》である。この職種についてはかんばしくない噂《うわさ》もあるけれど、本来は由緒ある酒席のホステス兼エンターテイナー。サービスを受ける側も一定の作法を守らなければいけない。
「自分で箸《はし》をとって食べてはいけません」
と教えてくれた。
「あ、そうなんですか」
マン・ツー・マン方式で、隣にすわったチマ・チョゴリが食べさせてくれるのである。
しかし、率直に申しあげれば、これはなんともまだるっこしいものですね。
私はあらためて、ものをおいしく食べるという方法の中に、手の作業が深く関与していることを覚《さと》らされた。
ハングル語が話せないから、おいしそうな皿を選んで、
「あれを」
と、指をさす。
隣のチマ・チョゴリが銀の箸でつまみ、にこやかに微《ほほ》笑《え》んで私の口に運んでくれるのだが、その量とかタイミングとかが、かならずしもこちらの思惑と合致しない。
——もう少し大きく。もうちょっと醤《しよう》油《ゆ》をつけてほしかった——
そう思っても、希望通りにはいかない。
想像以上に辛いものを口の中に押し込められたりする。
やっぱり自分で箸を持ち、自分のリズムで食べるほうがおいしい。私は日本酒だって人から盃《さかずき》に注いでもらって飲むのがあまり好きではない。自分で注ぎ、自分のペースで飲みたいほうである。
妓生の食卓サービスは、看護人に食べさせてもらう病人食みたいで、せっかくのご馳《ち》走《そう》を心ゆくまで賞味したという気分にはなりにくい。
さらに、この食卓作法では、熱いものをフウフウと吹きながら食べることはむつかしく、少々ぬるめのものを口に運ばれ、この点でも不満が残った。
韓国の女性はなかなか美しい。
女性の顔にはタヌキ顔とキツネ顔とがあって、日本女性はタヌキ顔、韓国女性はキツネ顔、もちろん例外はたくさんあるけれど、大別すればそうなる。私は端整なタヌキ顔にひとかたならぬ愛着を持つ者ではあるけれど、美形ということならキツネ顔のほうが一般に整っているだろう。
韓国テレビの女性キャスターは例外なく美人である。今、韓国ではこのあたりに一番美しい女性が集まっているのではあるまいか。
町を歩いていても、なかなかの美女がいる。
肌の白さ……。表皮が薄いような独特な白さである。おしなべて歯並びのいいのは、
「キムチのせいですよ」
と教えられたが、キムチを食べると、なぜ歯並びがよくなるのか、通訳の答は要領をえず、栄養学的医学的説明は聞けなかった。
それから脚もすっきりと伸びている。膝《ひざ》頭《がしら》が小さいから形がいい。
いいところばかりを挙げたが、立居振舞いは大和撫《なで》子《しこ》に比べると、ちょっと荒っぽいようですね。やはり騎馬民族のせいなのかな。
口論も多い。
言葉がわからないから、なにを言い争っているのかわからないけれど、おそらく日常のちょっとしたトラブルだろう。一方がまくしたてると、もう一方も負けずにまくしたてる。聞いていて恐れ入ってしまう。キツネ顔の吊《つ》り目がさらに鋭くなり、柔和なタヌキ顔がなつかしくなった。
女性のことばかりでは申し訳ない。
ソウルはたしかに現代都市として生まれ変っていた。この国はこれからもどんどん発展して行くだろう。
ただ一つ気がかりと言えば、どこへ行っても三星グループ、現代グループなどなど一握りの財閥が支配している。見るもの、聞くもの、手にするもの、すべてに財閥の経済支配が及んでいる。
独裁や独占は、なべて能率のよいものではあるけれど……そして、おそらく韓国の驚異的な発展はその能率と関係があったと思うけれど、この先、どこかで一般大衆が、
——結局、俺たちは財閥のために働いているようなものなんだよなあ——
などと思ったりしないものだろうか。それが発展の障害とならないものだろうか。短い旅の終りにふと考えた。