五年ほど前のことである。
シンガポールからの帰り道、航空機のエンジンに不調が生じ、香港の空港に不時着陸した。
どこが故障したのか整備がうまくいかず、空港ロビイで五時間あまり待たされたあげく、
「今日は出発できません」
ほかの便もなく、成田行きの乗客は、そのまま空港に隣接したホテルに泊められることとなった。
軽い夕食をすませたのち、
──せっかく来たのだから──
地図も持たずにホテル付近の町を歩きまわった。薄汚れた繁華街が続いている。一見して観光客が来るところではない。一歩暗い路地へ入り込むと、
──ちょっとやばいかな──
怪しい気配を感じないでもなかった。
悪名の高い九龍城地区は、半分ほど破壊されていた。中国本土への復帰を前にして、香港ではさまざまなリストラが推し進められているらしい。いかがわしい組織は追いつめられ、生き残りを計って一か八《ばち》かの反抗を企てる。部分的には、ひどく治安のわるいところがあると聞かされた。つい先日も刃傷沙汰《にんじようざた》があったとか。いきなり爆発音が聞こえ、運がわるければ一般市民が流れ弾に当たったりすることもある。
「気をつけてくださいね」
パーサーが注意を垂れていた。それを聞きながらも、私は、
──映画じゃあるまいし……そんなこと、滅多に起こるはずがない──
と、たかをくくっていたのである。
私は香港を知らない。
はじめて歩く町である。だから、自分がいま歩いているところが、危ない地域なのかどうか、それもわからなかった。表通りは狭い間口の商店が軒をつらねているが、もう夜の九時を過ぎていたから、大半がシャッターをおろしている。飼い鳥を売る店があった。九官鳥が知らない言葉を叫んでいる。夜目にも白い鸚鵡《おうむ》がせわしなく毛づくろいをしている。
その隣にも鳥を売る店があって、
──鳥を飼う人が多いのかな──
と思ったが、五、六歩進んでから、
──待てよ、今のは、食用の鳥ではなかったろうか──
と、気がついた。
もしそうならば、珍妙な風景である。
飼い鳥を売る店と、食用の鳥を売る店とが並んで建っていてよいものか。べつに法律違反ではあるまいが、釈然としない。香港にも動物愛護を訴える人がいるだろう。熱狂的な保護団体だってありそうだ。
──異を唱える人はいないのかな──
道を戻って、二軒の様子をカメラにでも収めようかと思ったが、
──まあ、いいか──
確かめずに散策の足を伸ばした。
映画館があった。スチールは格闘技のシーンばかりである。女優はなかなか美しい。
駅の切符売り場のような窓口が並んでいて、なにかと思えば、ロッタリイを扱うところとわかった。はずれくじが散って風に舞っている。スピードくじのようなものらしい。
一枚を拾って、くじの仕組みを考えながら歩くと、駄菓子屋が暗い光の下に中国菓子を並べている。ここもシャッターが降りているから、細かいところまでは見えない。
角を曲がって暗い道へ入った。
ホテルを出たときには香港の中心街まで行ってみるつもりだった。はじめて来た町だが、どっちへ行けばよいか、そのくらいの見当はつくだろう。中心街には高いビルもあるだろうから、少し歩けばそれが見えてくるだろう。
だが、いっこうにそれらしいものが認められない。あとで知ったことだが、香港は思いのほか広い。空港と中心街は四キロほど離れている。道も屈曲している。そぞろ歩きで到達できる距離ではなかった。
私はどこをどう歩いたのか、わからない。ただ、はじめての町にしては、違和感がない。雑然たる気配、薄汚れた様子……。むしろなつかしい。理由はすぐに気づいた。
幼い頃の私は、横浜の中華街の近くに住んでいた。五十年以上も昔のこと……。つまり、太平洋戦争の前である。横浜はすっかり変ってしまい、今では自分の住んでいたところもつきとめられないけれど、とにかく近くに中国人の居留地があった。幅広い道を隔てたむこうがそうだった。支那《シナ》町と呼んでいたと思う。もう少しひどい呼び方もあったが……まあ、言わずにおこう。
「行っちゃ駄目よ」
と母に釘《くぎ》をさされていたが、少し年上の子どもたちは、ときどき遊びに行っていた。駈《か》け足で行って帰って来る。
私は五歳。いたって臆病者のほうだったから、道路越しにこわごわ様子を窺《うかが》っていたのだが、それでも町の様子は見当がつく。それに……一度だけだが一人で中まで入ったことがある。香港の町並みはどこかあのときの気配に似ている。
一人で支那《シナ》町へ行った日のことはよく覚えている。
母は重い病気にかかって二階の奥の部屋に臥《ふ》せっていた。よくよくの用事がなければ、子どもが行くことは許されなかった。
私の母は蒲柳《ほりゆう》の質で、病気はめずらしいことではなかった。しばらく二階の部屋で臥せっていたあとで、突然、階段を降りて来て、
「お利口にしてましたか。お菓子をあげましょうね」
特別にやさしくしてくれることがよくあった。久しぶりに元気になった母の顔を見るのがうれしくて……そのうえ普段とはちがったお菓子をもらえる喜びも手伝って、このひとときは、大袈裟《おおげさ》ながら至福の瞬間であった。
だから、あの日も、
──今にお母さんが階段を降りてくる──
そんなことをぼんやりと考えていただろう。
姐《ねえ》やは看病に忙しく、かまってくれない。私は家の中で遊んでいたが、それにも飽きてしまい、一人で家の外に出た。
遊び仲間の姿は見えない。馬が荷車と一緒に路地を塞《ふさ》いでいたのを奇妙なほどよくおぼえている。亜麻色の尻尾《しつぽ》を振って蠅《はえ》をおっていた。その亜麻色の毛を一本か二本ほしいと思った。用途があったわけではない。宝物にでもするつもりだったろう。
──引っぱれば抜ける──
だが、馬は黙って抜かせてくれるだろうか。
──蹴《け》とばされるかもしれないぞ──
下駄屋のおじさんは、兵隊に行ったとき、馬に蹴られて、それで鼻が曲がってしまったんだとか。そんなことになったら、大変だ。二、三歩、馬に近づいてみたが、それ以上の勇気は湧《わ》いて来ない。
あきらめて横手の路地へ入った。
それからどうして支那《シナ》町へ行く気になったのか、心の推移は思い出せない。
──行ってみよう──
意を決してアスファルトの道を越えた。
中国人そのものは見慣れていた。支那《シナ》町は案に相違して、のんびりとくつろいでいた。老人が日なたぼっこをしている。女が窓から長い竿《さお》を突き出して洗濯物を干している。上半身|裸《はだか》の男が大きな包丁で骨つきの肉を切り裂いている。
横眼で見ながら駈け足で通り抜けた。
途中まで行って踵《きびす》を返した。
帰りも駈け足だった。
「おい、坊主」
声をかけられ、全速力で逃げた。振り返ると、大きな男が笑っている。逃げる必要はなかったのかもしれない。
アスファルトの道を越えて、ほっとため息をつく。
──やったぜ──
それだけで満足だった。
アスファルトの道から、ほんの少し入ったところに駄菓子屋があった。いつも頭に手拭《てぬぐ》いをかぶった婆《ばあ》ちゃんが店番をしている。
駄菓子屋には子どもの喜びそうな品がたくさん置いてある。ここもまた、
「行っちゃ駄目よ」
と言われていたのだが、行かずにはいられない。お小遣いの使い途は、ほとんどが駄菓子屋に向けられていた。
売っていたのは、お菓子ばかりではない。
千枚はがし。これは花形に切った雲母の小片だった。針先を使って何枚にもはがす。千枚は嘘《うそ》だが、五枚くらいはすぐにはげる。
「敏ちゃんは八枚もはいだとォ」
「ホント?」
私は不器用なほうだったろう。
写し絵には、漫画の主人公たちがたくさん描いてある。それを切り抜き、絵のあるほうを水で濡らし、ほかの紙の上に置いて裏面を指先でゴシゴシこすりながら圧迫する。漫画の主人公が白い紙のほうへ写る、という遊びだった。
日光写真は、種紙が高いので、あまり買わない。すぐに黒くなってしまうのも残念だった。
小さい店なのに、本当にいろいろな品物が置いてあった。一番心を引かれたのは、くじのついているもの……。たとえば、相撲取りの写真。双葉山の全盛時代ではなかったろうか。化粧まわしをつけた力士のブロマイドが、新聞紙で作った小袋に入れてあって、写真の裏側に赤印がついていれば、大きな写真を無料でもらえる。でも、当たったことは一度もなかった。
そこへいくと、甘いのしいかはわりがいい。これも新聞紙の小袋に、名刺を半分に切ったほどの細長いのしいかが入っている。甘い蜜《みつ》の味がする。袋の中に小さな紙切れが入っていれば、当たりくじとなる。赤い紙が一等、青い紙が二等。一等ならいか一匹分の大きなのしいかがもらえる。二等は、その三分の一くらい。
一等はともかく、二等はときおり引き当てる。のしいかは子どもの頃の好物だった。
支那《シナ》町から戻って、駄菓子屋の店頭でのしいかの小袋を手に握ったとき、
「こんなところにいたの。早く」
姐やが青い顔で駈け込んで来た。息が荒い。あちこち駈けまわって私を捜していたのだろう。
手を引かれて家へ帰った。
母の枕《まくら》もとに父がいた。親戚《しんせき》の人もいる。知らない顔もあった。
「ご臨終です」
白衣の医師はそう呟《つぶや》いたのではなかったか。
気がつくと、私はのしいかの小袋をしっかりと握っている。そっと覗《のぞ》くと、細いのしいかと一緒に青い紙切れが入っていた。
──あとで賞品をもらいに行かなくちゃあ──
そう思いながら、みんなが泣いているので私も涙を流した。
母の死を悲しんだのは、それからもっとあとのことだったろう。母はいつもやさしかった。
「きれいな人だったわ」
と、そんな噂《うわさ》を、よく聞いたから、水準以上の器量よしだったのではあるまいか。ほとんど面《おも》ざしを思い出せないが、残された写真を見ると、母は若くて、美しい。
病気は肺結核だった。子どもがなかなかそばへ行けなかった事情も、この病気のせいだったろう。
──今だったら治ったろうに。俺《おれ》の一生も変っていたな──
そんなとりとめもない思案をめぐらしながら私は香港の夜を歩いた。
それから五年の歳月が流れ、
「ちょっと香港へ行って来てくれんかな」
私は社用を帯びてふたたび香港の土を踏むことになった。
|深※[#「土+川」]《しんせん》地区に下請けを依頼している工場があり、その技術のうちあわせに出席するのが渡航の目的だった。前任者が退職し、急に私が行くことになったのである。
香港の技術はわるくない。
むつかしい用向きではなかった。五日間の会議を終え、接待も受け、最後の夜が自由時間となった。
翌月の出発を考慮して私は深※[#「土+川」]を離れ、尖沙咀《チムサアチユイ》の港に近いホテルに宿をとった。香港の観光は三日目の午後にすましていた。本場の中華料理もたっぷりと味わった。広東料理と北京料理のちがいもおおむねわかった。だから……最後の夜はホテルのバーで一人水割りを飲んだ。そのうちに、
──行ってみるかな──
ふと、五年前に歩いた道を訪ねてみたくなった。夜の九時を過ぎていただろう。
運動のため休日に速歩をやっているから歩くのには慣れている。この前は地図もないままに歩きまわったが、今回はおおよその地理が頭に入っている。彌敦道《ネイザンドー》をまっすぐに行き、適当なところで右に曲がれば空港の周辺へたどりつくにちがいない。疲れたらタクシーを拾って帰ってくればよい。
ジャケットを部屋へ置き、軽装で町へ出た。
五年ほどのあいだに香港は少し変ったような気がする。いや、この前は空港付近の町を少し歩いただけだから、私自身、さほどの見聞を深めたわけではないけれど、ふたたび現地を踏んであれこれ聞いてみると、そんな話をよく耳にした。欧米化はますます進んでいるらしい。本土への帰属はいよいよ目前に迫っている。その先はどうなるかわからない。今のうちに既成事実を作っておこうということなのだろうか。町並みは……もちろん随所に中国的な気配が残っているが、大ざっぱに言えば、世界の大都市とさして変りがない。英字新聞の片すみで、暴力団同士の派手な抗争が報じられていたが、
──こんな町なら、まあ、心配あるまい──
私の心に油断があったのは本当だった。
治安はわるくなさそうだし、この前は暗い町を歩きながらなんの不祥事にも遭通しなかった。
夜になっても彌敦道《ネイザンドー》は人通りが絶えない。若い人が大声をあげて楽しそうに騒いでいる。大きなビルの壁にそって、竹竿を繋《つな》いだ高い足場が作られている。
──これがそうなのか──
一昨日聞いた話を思い出した。
高いビルの窓掃除や壁面の塗り替えは、みんなこの足場に昇って作業をするらしい。軽業《かるわざ》のような仕事である。いっぺん見てみたいと思ったが、さすがに夜はやらない。中国人らしい身軽な仕事ぶりにちがいあるまい。
公園があった。
ここでは夜も遅いのに何人かの男女が群がって太極拳《たいきよくけん》のようなものをやっている。これはどこへ行っても見られる香港の風景だった。二十分ほど歩いて大通りと交差する角を右へ曲がった。
道はまっすぐにはついていない。三叉路《さんさろ》の角に来て、
──こっちにしよう──
直感を頼りに左の道を選んだ。トンネルを抜けた。
飛行機が轟音《ごうおん》を響かせて降りて行く。方角はまちがっていないらしい。
続いてまた一機が降りて来た。
しかし、空港はもう少し先らしい。
──帰ろうか──
タクシーを捜したが、周囲は人通りもなく、走っているのは、客を乗せる車ではない。
──もう少し行ってみよう──
せっかくここまで来たのではないか。
さらに四、五分、道を進んで、シャッターをおろした商店街へ入ると、
──待てよ──
なにかしらちかしい気配を覚えた。
──ここは……。知ってるかもしれない──
遠い記憶をさぐった。
いや、記憶というほど鮮明なものではない。たとえて言えば、夢で見た風景……。かすかに感ずるものがある。
──この道じゃなかったかなあ──
進むにつれ、少しずつ確かさが胸に忍び込んでくる。確信へと近づく。
少し行って……ロッタリイの窓口があったはずだ。その隣が映画館で──
足を速めた。
五年前、空港ホテルから町へくり出したときには、ホテル周辺の記憶が一番鮮明に心に残った。当てもなく彷徨《ほうこう》するうちに、通った道筋も、町の風景も散漫な印象に変った。つまり記憶の同心円……。ホテル周辺がまん中にあり、遠ざかるにつれ記憶が薄くなる。
今、その道筋を逆にたどっている。薄い記憶のほうから濃い記憶のほうへと進んでいる。
──あった──
ロッタリイが。映画館も。もうまちがいない。記憶の糸を……その一端をしっかりと掴《つか》んだ。あとはそれをたどればよい。
つぎつぎに見おぼえのある風景が現われる。
──駄菓子屋があったはずだが──
いや、あれはロッタリイよりもホテルから遠い位置だった。そうだとすれば、今、通り過ぎた路地だったかもしれない。少し戻って捜してみたが見つからない。五年のあいだに店を閉めたのだろう。それがふさわしいような、ちっぽけな店だった。
──うん、ここで入れ墨の男が、飯を食っていたんだ──
網のシャッターを降ろしているが、薄汚い食堂がある。ごみ箱に残飯が盛り込まれ、野良猫が二匹、餌《えさ》をあさっている。
鳥屋があった。
二軒並んで……。
微笑が浮かぶ。あのとき瞥見《べつけん》した風景は、見まちがいではなかった。ここもシャッターが降りていたが、様子をうかがえば、なにを商う店か、見当がつく。一つは鳥肉を売る店である。看板を見ると鶏のほかに鳩《はと》や鶉《うずら》も扱っているらしい。中国人はなんでも食べる。さまざまな鳥を飼い、注文に応じて絞《し》めて売っているのだろう。
その隣は、愛玩《あいがん》用である。薄汚い店構えは隣と似たようなものだが、鳥籠《とりかご》が光っている。金や銀や白色の針金が新しい。鸚鵡が一番近いところで眠っている。いくらなんでもこれは食べるためではあるまい。
隣同士だが、壁一枚で鳥たちの運命はおおいに異なっている。
──しかし、鳩なんか飼う人もいるだろうなあ──
案外、店の裏では商品の交換がおこなわれていたりしていて……。
ここまで来れば、もうホテルも近い。足を伸ばしてホテルの裏口から中へ入った。
──ここだ、ここだ──
フロント・ロビイの形に見おぼえがある。あのときは航空機の乗客がいっせいにチェック・インをしたものだから、このあたりでたっぷりと待たされた。私が腰をおろしたソファもそのままの位置にある。
それにしても人間の記憶はおもしろい。脳|味噌《みそ》の作用だけあって、やっぱり生きている。細胞のように記憶も生まれ変る。
香港の裏通りなど、あらかたは忘れていた。なんの記憶も残っていないと思っていた。空港ホテルのロビイなんか、日本で考えても思い出すことができなかったろう。ところが現場に立つと記憶から消えていたはずのものが甦《よみがえ》ってくる。
奇妙な連想だが、写真では、こうはいかない。もともと写っていないものを、どんなに拡大してみたところで見えてはこない。だが記憶のほうは、脳裏に写っていないはずのものが……正確に言えば、写ってすぐに消えたはずのものが、少しずつ再生する。一つを思い出すと、そのまた先が現われる。
ぼやけていたロビイの形をはっきりと確認すると、つぎには、
──左手にエレベータがあって、上に空港の見えるバーがあるんだ──
と、完全に忘れていたはずのバーの様子が、ぼんやりと見えてくる。
エレベータで昇った。
──そうか。チャイナ・ドレスを着たウェイトレスがいたんだ──
と、生き返ったばかりの記憶と現実が一致する。
バーのシンボル・マークは、ダ・ヴィンチの描いた飛行機の模型図で、
──コースターを持ち帰ったはずだが、どこへ置いたかなあ──
そっちのほうは忘れている。
同じコースターが使われていて、これも図柄に記憶がある。
マルガリータを飲んだ。
喉《のど》が渇いていたせいか。とてもうまい。飲み干して二はいめを頼んだ。酔いがまわる。東京で飲むものよりアルコールの濃度が濃いのではあるまいか。とてもここちよい。
──おもしろいなあ──
心に反芻《はんすう》したのは、つい今しがた、このホテルに向かう裏道で体験した微妙な感触だった。暗い道を歩きながら、私の思案は薄い記憶から濃い記憶へと逆行した。頭の中のイメージと、眼の前に連なる風景がうまく呼応して、なんだか生きてきた道を逆に戻っているような、そんな感触を味わった。
当然のことながら、時間は過去から現在へと流れている。人間は若い年齢から老いた年齢へと齢《とし》を重ねる。五十歳の次が五十一歳、五十一歳の次が五十二歳……五十三歳、五十四歳、五十五歳と、順次に年を取る。
しかし、あるとき、ふいに五十五、五十四、五十三、五十二……と逆行することはないのだろうか。逆行を体験することは、けっしてありえないのだろうか。いつしか若い時代へと帰っていくことはないのだろうか。さっきの体験は、わけもなくそんな感触に似ていた。
──馬鹿らしい──
三ばいめのマルガリータを飲んでバーを出た。カクテルは、同じものを三ばいも飲んだりするものではあるまい。
──まあ、いいか──
ホテルの前にはタクシーがたくさん停《と》まっている。尖沙咀《チムサアチユイ》に帰るのに不自由はなさそうだ。
もう少し散歩がしたくなった。
道を右手に採り、知らない一郭《いつかく》へと足を伸ばした。
崩れかかったビル。かなり広い面積が廃墟《はいきよ》と化している。飯場のようなバラックが片隅に建っていて、ヘルメットをつけた作業員が二、三人、灯《あかり》の下にたむろしている。電線を巻いている。太い電線……。導火線かもしれない。
道はさらに暗くなる。人通りも途絶えた。危険な地域なのかもしれない。
──帰ろう──
と思ったとき、ビルのあいだから、バタバタと人の足音が聞こえた。黒い影が跳び出し、少し遅れて、それを追う人影が二つ、三つ映った。
私も走った。
爆発音を聞いた。細い閃光《せんこう》を見た。
──いかん──
と思った。
胸が熱い。走ったせいで、どこかに潜んでいたマルガリータの酔いが胃の腑《ふ》を直撃したらしい。
一瞬の出来事だった。気がつくと……人影は消えている。足音も聞こえない。
──なにが起きたんだ──
だれかが逃げ、だれかが追い、ピストルを撃ったのではあるまいか。どうもそうらしい。
しかし、この静けさはなんだろう。戸惑《とまど》いながら暗い道を進んだ。
──なんだ、ここか──
私は……いま来た道を戻っている。廃墟の角に立っている。飯場の作業員はもういない。灯も消えている。
事件が起きたというのに……だれも気づかない。私の錯覚だったろうか。だが、すぐに思い直した。事件の現場というものは、こんなものなのかもしれない。急に始まり、すぐに終る……。
暴力団同士の抗争があったのかもしれない。逃げる男をピストルで撃ったのかもしれない。すぐ近くにいながら、私はただうろたえていた。劇的なところはなにも見なかった。一瞬のうちに終っていた。私は逃げた。あとは、前にも増して静かな、暗い道だった。
現場へ戻る気にはなれない。かかわりあいになるのは厭《いや》だ。明日は東京へ帰るのだから……。急ぎ足で廃墟の角を曲がった。
──なんだ、ここへ出るのか──
空港ホテルより先に、見知った路地へ出た。三十分ほど前に通ったばかりだから、記憶は鮮明である。
そのわりには意識がぼんやりしている。夜更けて霧が出て来たのかもしれない。古い日活の映画では、香港の抗争はきまって霧の中だった。
──ちがったかなあ──
日活ではなく、もっと古いフィルムかもしれない。
そんな連想に応《こた》えるように映画館があった。ロッタリイの窓口の前を通った。
──全財産を賭《か》けて宝くじを買った男がいたっけな──
思案はまたしても遠くへ飛ぶ。
昭和二十年代……。父が読んでくれた新聞の記事だった。私の記憶が正しければ、当時の宝くじは一枚五十円だった。一等賞金は百万円だった。その男は中小企業の社長で、資金ぐりに行き詰まり、可能な限りの金銭を集め、たしか十三万円を用意して、すべてを宝くじに注《つ》ぎ込んだ。百万円が当たれば、危機を回避できる計算だった。
結果は……残念ながら百万円は当たらず、当たりくじの総計は七万円を少し超える程度だったのではなかったか。
「そううまくはいかんさ」
父の自嘲《じちよう》気味の笑いが聞こえる。
父も、あの頃、会社の経営で苦労していた。その苦労のせいもあってか、それから間もなく脳卒中で死んだ。朝鮮動乱の前だった。
父はいつも自転車で駈けずり廻っていた。自転車操業という言葉を聞くたびに、肥《ふと》った図体で自転車を漕《こ》いでいた父の姿を思い出す。
──おやッ──
自転車が私の脇《わき》を走り抜けていく。
どことなくうしろ姿が父に似ている。父なのかもしれない。
アスファルトの道を越えた。
──なんだ、こんなところにあったのか──
駄菓子屋が店を開けている。ロッタリイのすぐ近くだと思っていたのに……。
しかし、中を見ると、様子が少しちがっている。前にここで見た店ではないらしい。もっと古い……。もしかしたら、この界隈《かいわい》は、日本人街なのかもしれない。
千枚はがし、写し絵、相撲取りの写真、なつかしいのしいかまで売っている。新聞紙の小袋に入れて、多分くじつきにちがいない。
──日本円を持って来なかったなあ──
奥には、手拭いをかぶった婆ちゃんがすわっていた。
「こんなところにいたの。早く」
姐やが私を呼びに来た。
細い路地に荷車をつけた馬がいる。脇道を通って家へ帰った。
「ただいま」
家の中はひっそりと静まりかえっていたが、すぐに階段のほうから足音が聞こえた。
「お利口にしてましたか。お菓子をあげましょうね」
聞き覚えのある声だ。ずっと忘れていた声だ。
──ああ、やっぱり──
母は若くて、とても美しい。
私は急いで駈け寄った。
──もうまちがいない──
香港の空港ホテルのバーで考えたことは本当だった。なにかの拍子で時間を逆にたどっていく道があるらしい。私は一気に幼い頃の道筋に戻ってしまったらしい。
母の胸が暖かい。
──これは……母の匂《にお》いだ──
きっと私の幼い日が、次から次へと戻ってくるにちがいない。