眉子叔母さんは、俺にジャスト・リメンバーと言った。しかし、俺は過去のエピソード記憶を取り戻すことはなかった。
ドクターは、俺を診察しながら、過去を選択しろと言った。AでもBでもCでも、自分の好きな過去を選べばいいと。
いま、彼によって説明された俺の過去は、MSUの信者だったという過去は、「事実」なのだろうか。それとも、あとから選択可能な、XやYやZの過去なのか。判断する根拠は、俺にはない。
しかし、単純にまいったよな、最悪。俺が、あのMSUを信じてたっていうのか。Kたちの、ピンクのひらひらの、UFOの、MSU。
ステージで跳ね回っている、We Are The MSU のひとりだったっていうんだぜ。
ドクターは言う。
日本にたびたびやってくる実の母親のKに、俺は洗脳(ドクターは、「マインドコントロール」とは言わなかった。その違いは、あるのか?)されかかっていたのだという。ドクターはMSUに走る俺を引き止めようと必死だった。(北島三郎を無理に聞かせてまで、と言った)
「慧は、おまえが天才だとかなんだとか吹き込んだ。それを、おまえは信じかかってたんだ。ただのスポーツ好きの少年だったのに。
「おまえが変な店でバイトを始めたのも、慧のさしがねだったんだろう? あのころ慧は、女性解放を唱え出していた。日本の性風俗の労働者の実態を調べようとしていたみたいだったからな。ゆくゆくは、おまえに店で働く女の子たちを、MSUに誘わせるつもりもあったんだろう。
「そうだ、MSUだ。MYSTERY AND SCIENCE OF THE UNIVERSE、だと? だいたい、この、MYSTERY AND SCIENCEってとこの、ANDだけで、十分、いかがわしくないか?
「MYSTERYとSCIENCEをANDでつないじゃうセンスだ。まあ、そんなことはいい。
「私にとって、おまえの記憶喪失は、言ってみれば僥倖《ぎようこう》だった。おまえの義理の両親の死という悲劇の中での、神の(神がいるなら)大いなる配慮だ。
「だから、おまえが昔の記憶を取り戻し、再びMSUに帰依《きえ》するのだけは阻止したかった。ああ、おまえのマンションを整理したのは私だ。事故のどさくさまぎれに、MSUの痕跡《こんせき》のありそうなものは、全部、捨てた。
「クローン? それは、慧がつくろうとした、まあ、『神話』のようなもんだろう。MSUの戦略なのか、本気で信じていたのか、わからん。そんなことは、慧の考えることは、だれにもわからんようになってしまった。
「実際、慧がそう思いたがった、私のクローンと考えたがった理由は、推測できんわけでもない。
「いいや、体外受精も嘘だ。なんだって? 私の性的能力に問題があったから、体外受精をしたって? それは慧が言っているのだな? 性懲りもなく。昔のままじゃないか。クソッ!
「おまえは、ふつうに生まれた。何百万年も前から、人類が繰り返しやっている、ごくふつうの性行為の結果だ。ただし、本当のところ、おまえの父親はわからん。
「あのころの慧は(いまでもそうかもしれんが)、だれとでも寝た。開き直った慧は、それを私の性的能力の乏しさのせいにしたんだ。クソッ!
「実際、私の子の確率は、かなり低いな。第二内科の教授の子かもしれんし、大学の門のとこにいたガードマンの可能性もある。家に帰ってみたら、クロネコヤマトの宅急便と寝てたこともあった。
「離婚の調停の場では、ずっと私の子だって主張してたから、それで私のクローンだなどと思い込む発想になったんだろうか。
「ああ、もちろん、眉子の父親だってわからん。この話も、わざわざ眉子にはしてないが……、いや、ABOの血液型はクリアーしている。古典的な知識にとどまっているな、おまえは。そんなもんは、あてにならんのだ。それこそDNA鑑定をせんとな。
「うん? そんなことを聞くのか。いや、それは……、最初のうちは、照れくさいが……その……、愛しあっていたんだろうな。深く、とまでは言わんが。
「しかし、ともあれ、人間だ。仲違いすることもある。
「理由? 理由なんて、いろいろあるんだろうが……」
そこで、ドクターは、口をもごもごさせた。
俺の「伝記的事実」が、いま、この場で明かされているのだ。ドクターとKとの結婚生活。そして、離婚。俺は養子に出され、その後、実母と接触し、MSUに感化される。
ドクターの言っていることは、本当なのだろうか?
どうしたら、確認がとれる?
この話をしたら、眉子叔母さんは、なんと言うのだろう。ソファにすわった叔母さんの目が、大きく開かれる。
俺たちは、叔母さんと俺は、母親を共有している兄と妹になる。父親が同じなら、ふつうの兄妹だ。違っている可能性も十分にあるようだ。
どちらであれ、そういった場合、俺が父のクローンで、叔母さんも父の子だと思ってたときと比べて、遺伝子的には近いのか? それとも遠くなるのか?
生物学なんて無意味だ。
「理由は様々だが……」
俺は、現実にひきもどされた。ドクターと向かい合っている現在の場所に。
「理由だよ、慧と私がうまくいかなくなった理由。根本的原因はともかくとして、きっかけは、森進一だ。離婚に踏み切ったきっかけは」
ドクターは、まだ、ふたりの離婚の理由を考えていたのだ。
でも、モリシンイチ?