関西極道の赤穂の小政が支配する、収容所の新しい秩序は、黒パンの配給権の掌握と、親衛隊の配置で、安定した強力なものになっていった。
しかもこの態勢は、予定の時間内に、決められただけの仕事をなしとげようと、常時焦っている、蒙古共和国側の管理者の利害と全く一致していた。
仕事さえ順調にすすむなら、この際、無料で仕入れた労務者の消耗は問題にもならなかったし、日本人仲間の指導者が、元は将校でなく、陸軍刑務所に服役中だった囚人の一兵卒だということは、考えるにも値しない、些事《さじ》であった。
日本側指導者と管理国側軍人とは忽ち親密な関係を示しだした。蒙古共和国の監督官の信頼を完全に得た、と信じた赤穂の小政たちやくざの、絶え間なしの怒声や容赦なく振り回される棒の下で、全員がきびしい労働に従事する日々が続いた。
ぼくたちの作業は主に煉瓦《れんが》作りと、その運搬で、まだ水の凍らない比較的温かい時期に山から運んできた赤土を練り、型に入れてから陽《ひ》に干して乾かし、火で焼いておく。それを冬場は背中に担《かつ》いで建築現場まで運ぶのである。
そんな労働の間にぼくはよく考えた。
もしこの蒙古共和国が我々を永久に解放してくれなかったら、何世代か後には、今いるやくざの幹部のような人間が貴族になり、王様となって行くのではないか。つまり、世界の王侯貴族というものは、こうした状況の中から、自然に生れてきたものではないのだろうか。
日がたつとともに幹部集団と、一般労働をさせられている集団との間の体力が開いてきて、たくましくなる立場の者は筋骨もひきしまり、腰も腕もがっしり太くなっていったが、働いている側は、やせるだけやせ切って、骸骨が皮をかぶって、骨をきしませて歩いているような感じになって行く。だから一年もたつころは両者の力関係は、人間と飼犬ぐらいに開いてきていた。
そんなみじめな立場で、毎日腹をすかせながら、いつ帰れるか分らない異国でのきびしい労働に従事している人々の間に、いつのころか『アムラルト』という設備の存在が、甘い期待をもって語られるようになった。
ぼくらの収容所からはるか遠くに見える山脈《やまなみ》のふもとに、それはあると伝えられていた。
蒙古共和国が宗主国とする北の大国の言葉ではこの『アムラルト』とは『休養』という意味になるらしいが、実際には病院である。
もし幸いにそこに入ることができれば、当然日々の労働はなく、白い米の粥《かゆ》が支給され、砂糖もあるし、病気によっては牛乳も支給されるという。ただし全体で二万人いる俘虜《ふりよ》の集団の中でそこへ入れるのは、やっと二百人前後らしい。
死といつも隣接しているぼくらの体では、死の一歩手前で、そこへすべりこむのは、大変な難事であった。
単に病気になればいいというものではない。普通の病気では、病院に送られる前に、収容所で死んでしまう。入れるような病気にかかる技術が要る。
月に一度ぐらい、蒙古共和国側の軍医が巡回で身体検査にくると『体の悪い者は申しのべよ』との指示が出る。秋口までは戸外で、冬になると所内の廊下で、申し出た者は素っ裸で並べられる。もう誰も満足な下着はないので、やせた全身やちぢんだ性器をさらすのがみじめで、少しぐらいの病気や怪我は我慢してしまう。それに相当の病気でも滅多に合格しない。
この国では外に見えない病気は病気でないのである。
一番合格率のいいのは、皮膚病の疥癬《かいせん》で、これが全身の五分の四以上拡がっていれば、大体パスする。神経痛、その他の内臓の病気は外に見えないので、却《かえ》って仮病ときめつけられて、検査が終った後で、やくざの幹部から
「仮病を申し出るなんてふてえ|たま《ヽヽ》だぞい。たるんだ体に根性入れ替えてやる」
と、殴打され、減食の罰をいい渡される。
外傷なら絶対というので、度胸のあるのが片手を犠牲にすることを考えた。煉瓦工場まで行くと、土練り用の機械があり、ベルトが唸《うな》りをたてて回っていた。そこへ片手をつっこんだ。激しい悲鳴とともに片腕がねじ折れてとれた。すぐ病院へ運ばれた。
数日後ぼくは並んで煉瓦を担いでいる兵隊から、その勇ましい男の噂をきいた。
「片腕は切断したそうだがね、日本へ帰るまでずっと病院で寝たきりでいられるらしい。ここんところ奴は白い病衣着て、暖かい病室で、銀飯腹一杯喰ってるそうだ」
どうやら死との間の紙一重の薄い間隙《かんげき》を巧みにくぐり抜けられたらしい。あんまり羨ましそうな口調でいうので、ぼくはその兵隊にいってやった。
「じゃ、あんたも腕を切ったらどうだね」
「そりゃー腕一本ですむなら、おれもやりたかったさ。だがね、あれから二人、続けてやった奴が出た。そこでこの国の監督が気がついた。ほっといたら、かなりの人間が片腕になって、作業する者が激減してしまう。あわてて、モーターの回りに金網を張ってしまったんだ」
「それじゃーもうその手は駄目か」
「まあ、おれたちは、ある朝、自分が死んでることに気がつくまで一日だって、仕事は休めない運命だな」
話し終えると、地方《しやば》では小学校の先生をしていたという兵隊は、遠い山脈を見ながら、奇妙な抑揚のついた声でいった。
「山のあなたの空遠く、幸い住むと人のいう」
意外に実感が出ていて、ぼくもまた一瞬、遠くの白い雪をかぶった山を、うっとりと眺めたほどだった。