二日間は無事だった。やっとのことで十二日になった。スパイとの会見日が始まり、特務と逢《あ》える。通訳の報酬として残った黒パンを少しもらえるので、連日の空腹も癒《いや》される。ここ一年、両方の話を取り次いでいるうちに、ぼくの蒙古語も上達して、大体双方のいいたいこと聞きたいことは間違いなく伝えられるようになった。六時から始まって十時まで五人のスパイの三十分ずつの供述を伝えて一段落した後で、ぼくは
「お願いがあるのですが」
と自分の意志を特務中尉に話しかけた。初めてのことなので驚いて見ている。
「ぼくはこの収容所を出たい」
「危険なことでもあるのかね」
さすがに察しは早かった。
「小政がぼくを殺すといっている」
「スパイたちの通訳をしているのが分ったのかね」
「いや多分あんたの命令だろうと思うが、蒙古兵が来て、老人から正宗の短刀を取り上げたので小政が怒っている。あれは小政が生前老人との間に話し合いがすんで買ってあったものだ」
「小政が前に黒パンを老人に渡してあっても、正宗は持てない。短刀は武器だ。法律に違反している」
「しかしぼくがあんたに刀のことを教えたと思いこんで、ひどく恨んでいる。このままでは殺される。何とか他に移してくれ」
特務中尉は冷たい口調で答えた。
「我が国では収容者の希望で、配置を替えることはできないことになっている。それを許したら大混乱が起る」
何の情感もこもらない言葉にはがっかりした。ここにいなくてはならないとなると、殺される日を一日でものばすための用心が必要だ。真剣に考えこんでしまったぼくに、特務は相変らず表情一つ変えずにいった。
「ただし、おまえに脱走の準備か何かしている徴候があったとする。それを事前に察知して逮捕したとすれば話は別だ」
ぼくはその話に彼の好意を感じていくらか安心した。
その夜十二時すぎだった。穴蔵兵舎に、五、六人の蒙古兵が入ってきた。全員剣付鉄砲を持っており、一人は短機関銃《マンドリン》を胸に抱えている。下士官の長が大声でいった。
「オツカンいるか」
皆はびっくりして半身を起し、ついでにぼくの方を見た。当然幹部室でも目をさましたろうが、ふだんは強い連中も怖しがって、皆、毛布の中で息をひそめて、一人も顔を出さない。ぼくが廊下へ出ると
「ドワイ、ドワイ」
と身づくろいをせきたてる。あわてて服を着、フェルトで作った防寒長靴をはいた。廊下に立つと、いきなり一人の蒙古兵から両手を後ろ手に合され、手錠をかけられた。僅かな私物が入っている袋を、首の前にぶら下げさせられたみっともない恰好で、突き飛ばされるようにして表へ連れ出された。芝居にしては真剣だ。蒙古兵たちは本当の罪人だと思っている。
表にはトラックが待っていた。ぼくらは皆そのトラックには見覚えがある。庭に井桁《いげた》に積んである死体を、一週間か十日ごとに各収容所を回って拾い上げてどこかへ捨てに行くための車だ。ふざけて霊柩車と呼んでいた。ぼくは尻を押されるようにして、その荷台に乗せられた。二段から三段に死体が積んであって、足の踏み場がない。最初はすみの死体の上を踏んづけて、やっと側板のふちに腰を下したが、両手が後ろで、バランスがとれなくて危ないので、車が動き出すと、仕方なく幾つかの死体の上に仰向けに横になった。何人かの仲間が戸口まで出てきて見送った。
粉雪の舞う厳寒の中を、チェーンを巻いたタイヤがきしむ。どこへ行っても、この収容所より悪い所はないという覚悟があったから、別に怖しくもなかったが、ふと横を見ると、まだ口もとに粟《あわ》の粥を凍らせてこびりつかせている中川老人の顔が、目を開いたままあったので何だかひどくいやな気分になった。
町の中を走り続ける。狭い町だがこれまで作業場へ通じる道以外は歩いたことがないので、ときどき首を持ち上げて回りを見ても、どこを走っているのかさっぱり分らない。
車は政府の建物と思われるビルの裏に止まった。背中に回された手を把《つか》まれるようにして立たされ、車から下されると、裏口からそのまま地下室へ追いたてられた。廊下の両側はずっと監房になっている。
中にいるのは、彼らの国が宗主国と仰ぐ国の、背の高い髪の赤い男たちばかりだ。刺子の綿入れの作業服姿で、格子に掴《つか》まったり、木のベッドに横たわったりしてぼくを見送っていた。
日本人は勿論、この国の蒙古人さえ一人もいないのが、少し不気味であった。
突当りの部屋の机の前にあるベンチに腰かけさせられてから、両手錠をやっと外された。首の前に頭陀袋《ずだぶくろ》のように下げられている私物袋がみっともないので、ぼくはあわてて右わきに回した。
正面の机に坐ったのは意外にも金髪の美しい女の軍人であった。階級章は少佐の金筋二本星一つであった。男の軍人が机の両脇に向い合うように坐った。いずれも宗主国の人間だ。ぼくについて三人のやりとりがあった。全く言葉は分らないが、気配でこれは裁判だなと思った。右が弁護役、左が検事役、正面の人形のような美女が裁判長のようだ。
俘虜の身柄を移すとなると、蒙古人だけでは、決裁できない手続きが要るらしい。毎月何人も死んで行き、人々の生命など問題にもならないと思っていたのに、生きている労働力の管理はかなりやかましい規則に縛られているようだ。
横文字で書かれた文書が作成され見せられた。字の形も少し違う。ロシヤ文字だ。多少の英語の知識ぐらいでは、全然読むこともできない。身ぶりで示されてサインをした。
終るとその部屋から連れ出され、廊下の両側に並んでいる独房の一つに入れられた。部屋の壁の一部に板があり、はがすように倒すと、斜めに鎖が張ってベッドになる。毛布が二枚挟まれていて、それにくるまると、今までの宿舎とは比べ物にならない快適さだ。もう小政に脅されることもない。凄《すご》い贅沢《ぜいたく》な所に来たというのが、そのときの正直な感想だった。
温かいのですぐに眠ってしまった。
朝、下の狭い開き戸があき、食事が差し入れられたが、その豪勢さに目を見張った。洗面器ぐらいの大きさの皿に、濃厚なスープがみたされ、大きな骨付き肉のぶった切りが浮んでいる。皿の横に、無造作に半分に切られた黒パンがついている。あるところにはあるものだ。とても喰いきれるものではない。肉の皿をやっとのことで喰べ、パンは後日のため袋の中に大事にしまった。同じ食事が夕方にも出た。
丸三日間ぼくは牢《ろう》の中にいた。抑留生活中、後にも先にもこれだけの贅沢な生活をしたことはない。労働もなく、腹一杯の肉と、日々たまるばかりの黒パン、室内は温かだ。このままずっと入っていたかったが、俘虜の身分で、そう、うまいことが続くはずはない。三日目の朝、肉のたっぷり入ったスープを喰べ終るとすぐに、この夢のような豊かな生活は終った。
建物の裏にトラックが待っていて、今度は別に縛られたりせずに乗りこんだ。荷台には先客がいた。
そしてこれがアムラルトヘ行く資格をやっと得た病人だとすぐ分った。足を青紫色の凍傷で腫《は》らして苦痛で呻《うめ》き、直ちに切断しなければ生命が危い患者や、顔に小豆粒《あずきつぶ》のような発疹が隙間なく出ていて高熱でうわ言をいっている病人、単なる栄養失調の人間とは明らかに違う、外から見ても完全に病気と判断できる男たちが十人以上転がされていた。他に死体と分るのが五つばかり、これは隅に重ねられている。
一人の唸《うな》っている凍傷患者にきいた。
「あんたどこの収容所から来たんだね」
「羊毛工場《コンビナート》だよ」
「じゃ吉村隊か」
「ええ」
答えるとまた、凍傷の足が痛むのか唸りだす。ぼくは大分前に朝の労働に出発するとき、小政隊長の訓示で聞かされたことを思い出した。
「こう、てめえらは、ここがよっぽどひどい収容所だと思っているようだが、それは大きな間違いだぞい。こう、もっとひどいとこはいくらでもあるぞい。この川の上流にある羊毛工場《コンビナート》では、『暁に祈る』という処罰があってな、吉村という憲兵上りの兵隊がいて、月に百人は殺すそうだ。ここではせいぜい十人か十五人だ。行きたかったら、いつでも送ってやるぞい。こう! 分ったか」
その説教を小政一流の脅しと思って、そのときは本気にしなかった。
片腕ぐらいは切っても病院へ入りたいと思う人々も、自分が望みさえすれば、簡単になれる凍傷での自損は怖れて滅多にしない。肉が青紫色に腐って行くときの苦痛がどのくらいひどいものか、ずっと見聞きして皆よく知っている。しかもこれは事故とみなされず故意のサボタージュと思われるから、片足ぐらいだったら、作業に追いたてられる。病院へ切断へ行く前に苦しみながら、大体収容所で生命を亡《な》くして中庭に井桁に並べられてしまうのが多い。自殺するつもりの者にも、入院しようとする者にも、ひどくわりの合わない病気で、苦しむだけ損だという考えが皆の間に行きわたっていた。
ところが荷台には、明らかに全身の凍傷と分る者が四人もいる。
「これは一体どうしたわけなんだね」
鼻を凍らせないよう手袋で押えながら、ぼくはきいた。過失でも自損でもこんな凍傷は考えられない。
「処罰ですよ。羊毛工場《コンビナート》では、仕事定量《ノルム》の上らない奴は、明け方まで戸外の柱に、裸でつながれるのです」
彼はそのリンチの状況を詳しく語りだした。聞いているうちに、だんだん分ってきた。
戦争が終る四、五年前、当時日本最大の人気スターであった田中絹代と若手二枚目の徳大寺伸主演で『暁に祈る』という映画が作られた。映画の筋は、銃後の妻が夫に代って家を守るというありきたりの物で、それほどのヒットもしなかったが、どういうわけか、主題歌ばかりが大流行して、軍が営内で唱うことを許す軍歌の中に組みこまれたほどであった。だから兵隊は皆この歌を知っており、「※[#歌記号、unicode303d]ああ あの顔でーあの声で」とよく唱った。
ノルムのできない兵隊が、夜通し素っ裸で零下何十度の戸外の木に縄でつながれる。初めのうちは足踏みしたり、体中を掌でさすったりしているが、明け方には気力がつきる。するとどんな兵士でも倒れる前に大声で母の名を呼んで泣きだす。それで『暁に祈る』と名づけられたらしい。
ぼくは暗然として全身凍傷で苦しむ兵士を眺めていた。小政が別に人情家というわけではないが、ぶん殴ったり減食させるだけで、こういうたちの悪いリンチはしなかった。
山間《やまあい》の道に入って行ったトラックが止まった。ぼくの目に自然に涙がにじみだした。
宗主国の文字は同じアルファベットでも読み方が違う。ぼくは小山の頂上近くに、AMPAЛTと石が並べられてあるのを見て、ここがどこか知った。この国ではPはRでありЛはLである。山の下には両翼が拡がった白い大きな建物があった。とうとう多くの俘虜たちが夢にまで見たアムラルトへ来たのだ。
白い建物はたしかに桃源の秘境を思わせた。
四隅のはるか離れたところに歩哨が一人ずつ立っているだけで、望楼も鉄条網も無い。洋館には、盛装した貴族でも住んでいそうであった。
正面に車が止まるのを見て、白い上っぱりを着けた兵隊たちが、担架を持って飛び出してきた。これまで収容所で見てきた人々とは、同じ日本人でも人種が違うのではないかと思うほど血色がよく体に肉がついていた。軍隊は運《ヽ》隊であるが、俘虜もまた運に左右される。もしぼくに運があったなら、この人たちと同じように病院の勤務員になれるかもしれない。期待に胸がはずんだ。きっと特務は、ぼくのこれまでの協力に報いてくれたのだろう。裁判を受けて処罰のためここへ送られてきたという自分の立場を一時忘れて、そう考えていた。
蒙古服を着た管理者側の若い男が名簿を持って、病人を確認し、チェックのすんだ者から、担架で白い建物の中へ運ばせた。結局残されたのは、死体五つとぼく一人になった。
蒙古人は戻ってきた担架の勤務員に、今度は死体を運ばせて、ぼくにもついてくるようにいった。歩きながら青年は話しかけた。
「おまえは蒙古語が少し分るのだな」
「ええ少し分ります」
「おまえは当分、死体の係で働いてもらうが、病人と死体は違う。つまりおまえは病院の勤務者とは関係ない。逃亡予備罪の罪人だからな、それを忘れないように」
死体係というのが良い仕事でないことぐらいは察せられる。それでも小政の暴力の手の届かないところに来られて、自分が死体になることだけは免れたようで安心した。
病院に向って右側を回りこむと、裏は山のふもとまで、広い平野になっていた。白い建物の二百メートルばかり後ろに、小さな倉庫が三つ並んでいた。
蒙古服の青年が、一番右側のやや大きい倉庫の扉をあけた。何もかも凍りつく、このきびしい寒さにかかわらず、異様な臭気が戸外に吹き出すようにあたりを取り巻いた。
窓も明りもないので中は薄暗い。目が馴れて、両側の四段の棚が見えた。シャツと袴下《こした》だけにされた死体が、隙間なく押しこまれてあった。全身が赤黒く腫れ上った凍傷、骸骨のような栄養失調の自然死の間に、片足や片手がない怪我による死者がかなり交っている。
持ってきた五つの死体をそこに突っこむと、ぼくに別にどうしろともいわずに、蒙古人と担架の勤務員は病院へ帰ってしまった。
倉庫の前に仕方なく立っていると、左側の小屋から、将校服の上に白い上っぱりを着た男が出てきていった。
「君が新しい助手ですか」
その人を見てぼくは驚いた。
「あっ、竹田軍医殿でありますか」
一年半前に、長城線周辺で戦っていたときの部隊の軍医で、ぼくは膝に擦過銃創《さつかじゆうそう》を受けて、ヨーチンをひたしたガーゼを押しつけるだけの、軍隊式の荒い治療を受けたことがある。向うもこんなところで同じ部隊の兵隊に逢うのは意外であったろう。なつかしそうに話しかけた。
「君は今までどこにいたのだね」
今までの収容所の状況を話した。全部聞いてから軍医はいった。
「そうか。そうだったのか。君んとこもかなりひどいようだな。それでも羊毛工場《コンビナート》へ行かなくてよかった」
「ぼくも今トラックの荷台で見てきました」
「このごろ毎日のように全身凍傷がやって来る。ここにいると各収容所の状況がよく分るよ」
病院から飯盒と毛布二枚を持って蒙古人の青年が戻ってきた。
「おまえはここでドクターの手伝いをする。おまえの住むところはこの中だ」
真中の一番小さな小屋の戸をあけた。一人寝るだけの棚が作りつけてあり、他に何一つない。
「前にいた助手が死んだ。今その男は、棚の中にいて解剖を待っている。死体の係をしているうちにチブスが伝染したらしい。おまえも充分気をつけなさい」
聞いているうちにぞっとしてきた。気をつけろといわれても、どうしたらいいのか分らない。青年はかまわず指示する。
「食事はその飯盒を持って毎朝、東が明るくなったら、病院の裏へもらいに行く。小屋からといえば一人前を中に入れてくれる。おまえは罪人だから、中の人間とそれ以上のおしゃべりをしてはいかん」
アムラルトも、ぼくにとっては決して極楽ではなかった。青年は必要なことだけを指示すると、逃げるように行ってしまった。
「それで軍医殿は、ここで何をしているのですか」
「ぼくは死体の解剖専門係だ。この国で死んだ者の体は一度全部ここへ集まる。もう千体もやらされた。初めはぼくも病院で患者を見ていた。ところが病院には病人がたまるばかりだ。それでは治療もできないし、作業現場の方も困る。ある日時が来るとまだ治っていない者までごっそり連れて行ってしまう。それを二、三度強硬に抗議したら病院勤務を外されて、死体解剖係に回された」
軍医は左側の部屋に入り、ぼくも続いた。
「ぼくにもノルムがあるのだよ。一日頑張って六体はしないと、今のところたまって行くばかりだ」
臭気は死体置場の倉庫より一層ひどかった。中央に木製の大きな机があり、解剖台になっていて、腹が大きく開かれたままの男が寝ていた。解剖の途中だったらしい。
「なぜ一々腹を切り裂くのです。さんざん苦労したんだから、そのまま静かに葬ってやればいいのに」
「何か国連に出す報告書に要るらしい。まず死因を記載するのだが、書類には栄養失調と書くのは禁止されている。大体チブスか怪我による出血多量か、どちらかにしておく。次にその証拠として、死亡時まで健全な内臓を維持していたことを科学的に明らかにするため、心臓、肝臓、腎臓、三つの臓器の目方を計るのだよ。つまり決して栄養や、物資不足、管理上の不注意で俘虜たちを殺したのではないというわけだ。君に早速、今からその計量を手伝ってもらう」
机の頭の所に、小さい手製の天秤秤《てんびんばかり》がおいてあった。
「それは君も知っている衛生兵の川島がこの病院に勤めていてね、彼が入営前時計屋をやっていて手先が器用なものだからこしらえてもらった。残念ながら合せて二百グラムの分銅《ふんどう》しかない。腎臓なら平均百二十グラムだから一回ですむが、肝臓は千六百グラムもある。十ぐらいに刻まなくてはならないし、心臓でさえ三百グラムあるから二つに切る。切るのはぼくがやるから、君は一つずつのせて合計値を出して、その用紙に記入してくれ」
聞いているうちに吐気がしてきて困った。たしかに重労働ではないし、酷寒の烈風に悩まされることはない。しかしひどい仕事をいいつけられたものだと思った。
早速血だらけの軍手をもらって、十個に細片された人間のレバーの一片を把《つか》んだ。
「死者への礼儀だ。組織は潰すな」
そうはいわれても組織がつぶれないようにつまむのは初めはなかなか難しい。何度か指でこわしてしまって叱《しか》られた。やっと要領を覚えたのは夕方になるころだった。