死体の倉庫と解剖室に挟まれていなかったら、一つの小屋に一人だけの生活は、そう悪くない。だが最初のうちは今にも隣りの部屋から誰かやって来そうで怖かった。三、四日後にはやっと馴れてゆっくり眠れるようになったが、食事に馴れるまではもう少しかかった。
朝、あたりが明るくなると、飯盒を持って病院の裏口へ行く。扉を叩いてからいう。
「死体室係、食事受領に参りました」
「ごくろうさん」
扉口から柄杓《ひしやく》だけ出し、お互いに顔を見ないようにして、飯盒一杯の粥を入れてくれ、昼と夜の分を合せての二分の一のパンを、実際より大き目に切って渡してくれる。
一日一回だけの接触である。向うも伝染病を怖れてか、死体係を嫌ってか、まともに顔を見たりしない。蒙古側から対話を禁じられているのかもしれない。
病院の粥は白い米でできていて、贅沢なことに羚羊《ノロ》の肉や内臓の切り身が交っている。ふだんならどんなに嬉しかったか分らないが、毎日、人間の臓物を秤にかけるのが仕事では、なかなか口に入りにくかった。平静に喰べられるようになるのには一週間かかった。
仕事はかなり早くから始まる。
死体室から、古そうな感じのものを見つけ出し、一人で担いで解剖台へ運んでおく。シャツや袴下は脱がせて丸めておく。皆やせるだけやせて重くないので助かった。
軍医がやってくるとすぐ解剖にかかる。喉輪にそって丸くナイフを入れ、中心からT字型に下に割き、腹は臍下《へそした》まで切る。
最初は凍っていてナイフを押しあてるようにして切って行くが、やがて皮膚は柔らかくなってくる。
馴れてくると、軍医とは元からの知り合いだけに、さまざまな話をしながら仕事ができてかなり気がまぎれた。細かく刻んだ内臓の合計値を出すと、元へ納めて縫合する。シャツと袴下をもう一度着せると、それを担いで別の処理済みの棚に移し、新しい死体を担いでくる。
一日少くて四人、多い日は六人ぐらいした。
終ると軍医は病院内の自室に戻り、ぼくは一人で自分の小屋に入り、残った黒パンを喰って眠る。そんな日が毎日続いた。
あんまり吉村隊からの全身凍傷の患者が続くので、仕事をしながら、軍医にきいたことがある。
「ぼくのところの収容所もひどいが、ノルムだけはやってますよ。いつか一斉に倒れる日が来るかもしれないが、腹をすかせながら、皆、何とか生きているのに、どうして羊毛工場《コンビナート》の人々はノルムができないのでしょうかね」
「蒙古側が作ったノルムも、食糧の配給量もよくできていてね、大体一人の人間が一日一杯、まじめに働けばちゃんとでき、生きて行くのに必要な程度のカロリーは補給できるようになっているんだよ。この点では、この国は決して国際条約にもとるようなことはしていない。少くとも表面的にはね」
そう言いながら、軍医は心臓を二つに割った。ぼくも機械的にそれを秤にのせて、分銅で天秤の平均を取る。
「吉村隊では、君んところと違って、そう飢えて苦しい話はきかない。食糧は規定通り喰わせ、配給の肉や砂糖も全員に平均するように配っている。全体としては体格もいい」
どんなに話をしていても仕事の方は一瞬の休みもなく進行して行く。軍医の手は腹腔《ふくこう》の中から、大きな肝臓を切りとっている。
「俘虜がこうして死んで行くのは、直接の原因の八〇パーセントまでが同じ日本人のせいだよ」
「そこがよく分らないのですが、吉村隊のノルムは特別に多いのですか」
「蒙古側が決めたノルムは同じだよ。ところが吉村という男は小政よりもう一段頭がよい。天性の企業家だ」
肝臓は十に刻まないと秤からはみだす。刺身を作るように上手に切って行く。匂いが強くただよってくる。
「俘虜たちの睡眠時間のうち、朝の二時間と夜の二時間を、これも頭の切れる蒙古側の収容所長と組んで町のシナ人の業者に提供した。昼間、外の石切り山や、羊毛工場《コンビナート》で目一杯働いた人々が、収容所へ戻って食事をすると、すぐに靴造りの仕事が待っている。ほら君もはいているカートンカだ」
俘虜の全員に冬になると、凍傷よけのため、煙突のような、足首の曲らない固い長靴が配給される。これがカートンカで、羊毛屑を木槌《きづち》で叩き固めて作る。昔からこの国に住みついたシナ人の商人が一手に作っていて、政府に納入し、町で販売している。
一人一日の労働を一|円《トグログ》で売って、朝夕一個ずつのノルムを課した。二千人いると一日二千円。所長の大尉の月給が五百円だ。日に二千円の収入は大統領をはるかに越す。全部吉村の懐に入り、相撲上りや、やくざ出身の暴力親衛隊の維持の資金になっている。そのノルムを達することのできない人間に対しての処罰が、『暁に祈る』なのだ。そこまで話してから軍医はいった。
「支配の態勢というのは、一度固まってしまうとどうにもならないんだね。この共産主義の国でもっとも資本主義的な体制が生れるとは皮肉なものだがね。五十人の親衛隊が棒を持って所内を回っていると、二千人が口一つ出せない。夜の二時間といっても、それは一応建前だけ、木槌で叩き固めるのには、かなりの力がいる。夜中になってもでき上らないのが出てくると処罰だ。ここへまた明日も全身凍傷がやってくると思うと辛《つら》いが、それより辛いのは、病院で治った連中が皆、吉村隊へ持っていかれることだ。消耗が激しいから、しょっちゅう増員の要請がくる。所長がグルだし、病院長へも、吉村の集めた金からの賄賂《わいろ》が来るから、よその収容所から入院してきた者も羊毛工場へ送られる。三月もするとその退院者が戻ってくる。今度は解剖台で横になっている」
一度切った臓物をまた腹腔内にしまうと、取り外した胸骨の部分を入れて蓋《ふた》をし、腹の皮を縫い合せる。
「何しろ吉村のところには金が集まってしようがない。一度収容所長附添いで町へチョコレートを買いに行き、菓子屋にあったのを全部買いしめてしまったので、政府高官の子供たちの分が無くなって大騒ぎになったそうだよ」
想像を絶する真相を知って、唖然《あぜん》とした。死体を担いで運び出し、また取り代えて持ってきた。一目見てすぐ軍医はいった。
「ああ、これは小政の所だね。体にまるで肉がない」
それで初めてぼくは気がついて、顔を見た。何日かぶりで、中川老人と対面した。まだ口のところに粥の残りがこびりついていた。
仕事だから仕方がないが、なるべくその顔を見ないようにしてシャツや袴下を脱がして準備をした。
ぼくはきいた。
「この俘虜の中で一番幸運なのは、病院の内勤者ということですかね」
「いやそうでもないな。君もここへ来たとき担架で運ぶ連中を見たろうが、みんな無口だったろう」
「そういえば誰も何もしゃべりませんでした」
「あの人たちは次の現場行きの待機者さ。いつ呼び出しがきて、羊毛工場《コンビナート》へ派遣されるか分らない。ああして温かいところで寝て、肉の入った白米の粥をたっぷり喰べながら、心はいつも重苦しい不安で一杯なのだよ。もし一番の幸せ者といえば、当分はこの病院から外へ出られないことになっている君かもしれない」
意外な言葉だったがすぐ納得した。
ここにいれば、きびしいノルムも、飢えも、吉村や小政のリンチにも、無縁である。どうやら生命はつないだという実感が初めて湧いてきた。