赤い布を柱に巻きつけた鳥居の形の門が目の前に立っていた。両側に二つの看板が打ちつけてある。
天皇制打倒
スターリン元帥閣下万歳
頭の上にあたるところには、横書きで、第一収容所、熱烈歓迎同志 と書いてあった。
別に誰もこの第一という文字に特別の関心を払わなかった。大勢が一ぺんに来たのだから、列によっては第二とか第三とかに行くのだろうと、そんな風に考えた者が多かった。
入口にロシヤ人の将校がたっていて、女たちが持ってきた名簿を受取り、ロシヤ字で書いてある名前を一人ずつ顔を見ながら通して行った。
それから中に待っていた、民主聯盟の腕章がある連中に引き渡された。ここで待っている指導員も、いずれも少年のように若かった。しかしぼくらは、さっき一喝を喰らっていたので、態度は慎重であった。果して彼らはロシヤ兵から五十人の列を受けとると、いきなり声を揃えて、いたけだかに怒号した。
「きさまら、ここからすぐ帰れると思って安心したら大間違いだぞ。馬鹿者たちよく聞け」
四人が交互にいう。
「そこの砂地に今すぐ許可された以外の物を積んで捨てて行くのだ。一人に冬軍衣一着。毛布一枚、下着は各二枚。それ以外の衣類は置いて行け。後で分ったら、全員が後戻りだ。トラックはいつでも門の外に待っているぞ」
大概はいわれるほどの物も持っていない。何もない。ぼくもない。出す物はなかったが、ただ賽《さい》の河原の衣剥《きぬは》ぎ婆さんに逢ったような陰惨な思いがした。
可哀想だったのは、吉村隊襲撃で奪ってきた二枚の新品同様の毛布を捨てさせられた、あの能弁のリーダーである。まだ途中でロシヤ人に会う機会がなく、パンと交換していなかったのである。
交互に罵言が続く。
「馬鹿者、おまえたちは何も持っとらんのか。乞食野郎め!」
あんまり荷物を持っていないのもやはりよくないらしい。多分彼らの余禄が無くなるのか。
「ええか、ここはまだ第一だ。態度の悪い奴を半分選び出してシベリヤへ戻すことになっている。後の半分がやっと第二に進めるのだ。第二ではもっときびしい峻別《しゆんべつ》がある。結局第三を通過して船に乗れる幸せな奴はいくらもいない。三千人乗れる船に、三十人しか乗せないで追い返した例だってあるぞ」
脅しと思っても、ぼくらは良い気分ではない。沖合に白十字のマークをつけた船が、三艘も停泊している。それに乗るまでには、まだどのくらいの関所を通り抜けなければならないのだろう。
戦いはこれからだと覚悟をきめた。
「ここでは全員に、民主教育の仕上げをする。一人前の共産党員として、日本へ戻ったら日本の民主化に献身できる同志に仕立ててやる。宮城の前で全員が、スターリン元帥閣下万歳をするのだ。これが教育の目的だ。できるようになるまでは絶対に船に乗せられない」
「では宿舎のわりあてをする」
全くいやになってきた。しかし第一ぐらいで挫《くじ》けてしまっては先が思いやられる。
内心では呆れながら、それでもまじめくさった顔をして、大声で唱い続けて宿舎に行進した。サーカスでもやっているのかと思われるような大天幕が、砂地にいくつも張ってあった。三百人ぐらいずつ、一つの天幕に潜りこまされる。中は板も布も敷いていない砂地のままの床だった。
休む間もなく、昼食の支給になった。
珍しく、ここではパンの他にキャベツの漬物が出た。飯盒の蓋にほんの一つまみだけの配給だが、主食と副食とを別々に喰べたということが、何年ぶりかの人間らしい喜びになった。キャベツはロシヤ風に漬けられていて酢っぱい味がついている。中に細く切った人参が混っていて、それが目に鮮やかである。
「ここでの待遇はそれほど悪くはないかもしれないぞ」
それだけのことで、そんな風に喜びを表わす者もあった。寝転がって繊切りのキャベツを一本ずつゆっくりと口に運ぶ者もいる。少しでも長く胃に止めるため、左腹を下にして横臥《おうが》しながら喰べるのが習慣になっている者が多かった。うまく行けばそこでゲップとなって、もう一度、その存在をたしかめられる。
食後いくらもゆっくりしていられなかった。
「集合!」「集合だ。馬鹿者ども早く出てこい」
天幕からとび出したぼくらは、この若い民主聯盟員に追いたてられるようにして駆け出した。天幕の向う側には大きな広場があった。
砂地はまばらに雪が残っていたが、あちこちの天幕からとび出してきた人が踏みつけると、雪は消えてしまった。後ろから詰めかけてくるので、濡れた砂地もよけられずに坐りこんだ。
一緒に外蒙古からやってきた仲間たちだった。きっとどこかに吉村も交っていたろうし、小政もいるのに違いない。できれば顔を合せたくない。ぼくら五十人の二百九十三号の貨車の仲間は、一カ所に集まって身をよせ合うようにして坐った。正面の舞台には、アコーディオンを持った聯盟員が出てきた。坐っている者たちには歌詞を書いた紙が一部ずつ配られた。
起《た》て万国の労働者、赤旗の歌、インターナショナル。このような会合に必要な歌が十以上も列記されている。
軍隊式に聯盟の若者たちが、一節ずつリードして唱う。終ると同じ一節をすぐに砂地一杯にうめて坐っている者たちが繰り返した。
この何千人もの新入りを監視するように、周囲には忽ち人垣ができた。他の仕事をしている民主聯盟の若い指導員たちが、全員駆り集められてきたらしい。少しでも小さな声で唱っている男がいると、外周からどなりつけた。
「こら、そこの男。もっと口を大きく開け」
中までとびこんできて
「おまえはシベリヤへ帰ってもらうぞ」
とひきずり出そうとする者もいた。
「勘弁してください。一所懸命唱います」
手をひっぱられた男は、地べたに坐りこんで必死に哀願しあやまる。恥も外聞もない。殴られたり、蹴られたりは、日本の軍隊や抑留生活では、誰ももう馴れっこになっているからさしてこたえない。ここまで連れてこられて追い返されるのは、これ以上ない残酷な刑罰であった。
一通りの歌がすむと、舞台の上には、これまでの、会津白虎隊を思わせるような少年党員に代って、ちょび髭をたくわえた中年の闘士が出てきた。
「おれは日本共産党の第一書記の釜田というものである。現在この聖なる祖国ソ連にいるのは、諸君を一人前の人間にするため、特別に要請されてやって来たからで、おれはおまえたちと違って抑留者ではない」
群衆の前で自分でどうどうと共産党員と名のる人間を初めて見た。以前なら殺してくれというのと同じであった。そういえば何かの事件で、逃亡中の党員の中に釜田という名の大物がいたという記憶があった。思想犯関係の新聞記事は興味があったので、学生時代にぼくはかなり熱心に見ていた。
いくらか、ぼくは判官びいきで、当局の目を逃れて、追われている立場の人間が、ただそれだけで好きだったし、そういう映画や小説も好きであった。
だが彼の横柄な態度には落胆した。この種の人間が権力を握ると結局こうなるのか。船と帰国を衣の下でちらつかせながらの話は、聞いているうちにだんだん不愉快になった。
「諸君はまず全身を以てスターリン元帥閣下に忠誠を誓わなければならない。諸君の熱い思いがスターリン閣下と合一し、諸君がこの大いなる大地ソ連を自分たちの真の祖国と認識できるようになったとき、初めて諸君を真の日本人として、日本へ帰すことができるのだ。日本が祖国であって、懐かしい故郷だなどという邪《よこし》まな想念を持ち続けるうちは、まだまだここから出すわけにはいかない」
「そうだ、そうだ、ソ連が祖国なのだ」
回りが一斉に声を上げる。どの少年たちも狂熱的な目で舞台の闘士に注目し、右手の拳を振り上げて叫ぶ。バリトンの補充兵がぼくにささやいた。
「あんたも一緒に片手を高く突き上げていいところを見せる方がいいよ。声が大きいほど点が入る。あんたはまだ一点もとっていない。査問員が注目してるぞ」
そういえば、さっきの霧立のぼるに似た査問員が、輪の外周の指導員の中に交っていた。
ぐずぐずしていられなかった。他人《ひと》ごとではない。拳を振り上げ、口を大きくあけてつい『そうだ! そうだ! 全くだ!』と叫んでしまった。白虎隊のイメージから連想が飛躍して、会津民謡のはやし言葉になってしまった。が、個々の言葉は外周まで聞こえない。ふりだけは見せて点を稼いでおけばいい。
釜田書記の言葉がだんだん熱をおびて強烈な調子になってくるとともに、ぼくらの掛声も絶叫に近い調子になった。
全員の気分が歌とアジ演説で高まって、充分にその素地が固まったとき、周辺の少年たちに交っていた女の査問員が調査用紙を読み上げだした。
「……少尉出てこい」「……中尉前に出ろ」
次から次へと、ヒステリックな声で名前が呼び出される。すべて将校だけであった。ぐずぐずしていると列車番号や部隊名まで指摘されるので、逃げるわけにいかない。将校服を着た各収容所の隊長クラスが全員前に出た。彼らとしては蒙古共和国側からの命令を伝えるため、どうしようもなかったのだろうが、それに従わされてきびしい労働をさせられた兵には、やはり恨みの思い出は残る。聯盟の少年や査問員たちにとっては、一般兵と違う茶褐色の将校服を着ていることが既に犯罪であったようだ。
当然その中には見覚えのある吉村少佐も交っていた。小政はいち早く兵服に戻ったのか出てこない。
旧軍の将校として、二年間の労役生活でも、何とか品位を保っていた連中もここへ来て急に脅えを見せだした。それに向って弥次が殺到する。
小政のところで、革命を経験しているぼくたちだけは、将校でも一旦権威が崩れると、後はどんなに弱いものかよく分っていたので、別に珍しくも思わなかった。
小政や吉村は、同じことを二年早く、ぼくらに教えてくれたことになる。
出てきた将校たちに向って、回りの指導員が一斉に同じ言葉を投げつけた。
「土下座しろ。土下座して、革命大衆に詫びろ」
「そうだ土下座だ」「詫びろ」「詫びるんだ」
まさに一斉射撃の火蓋が切って落されるような叫び声だった。再び熱気がまき起る。
「全員をシベリヤに送り返せ」
坐っていたぼくらも自然に熱気に巻きこまれた。かなりいつも醒《さ》めているつもりのぼくでも、気がつくと
「送り返せ! 送り返せ!」
とみなと一緒に叫んでいた。
将校たちは全員が土下座して頭を地につけた。この何千人もの人々の熱狂的な怒号の前では、意地を張っているわけにはいかなかった。
ぼくは、ふと気がついて、近くにいた能弁の兵隊にきいた。
「あんた列車の旅行中、吉村を本当にやっつけたのかね」
「どうしてだね」
「吉村を見てみろよ。奴はどこもけがしていないぞ。コテンパンにのしたのなら、頭か手かどこかに、包帯ぐらい巻いているはずだろう」
「そういえばそうだなあ。たしかに暗闇の車内で全員を板切れで思いきり殴りつけてやったんだがなあー」
何だか頼りない話になってきた。
しかしこの査問会の結末はもっと頼りない話になってきた。釜田書記は全員の前でいった。
「我々の目的は、個々の犯人を指摘してその罪を問うことではない。要は憎むべき天皇制打倒にある。ここで彼らの改悛《かいしゆん》の情顕著なるを認めて、次の処分に止める。少尉、中尉はもう十日ばかり第一に残って、共産主義理論の教習を受ける。連日八時間の歌唱行進を実行し、その成績の良いものから、第二収容所へすすむ」
土下座して体裁は悪かったが、これですめばもうけ物だ。一同の顔にほっとした表情が見えた。
「大尉はそう簡単にはいかん。しばらくここにいて、毎日天幕内の清掃や、炊事、糧秣《りようまつ》配給の使役に従事してもらう。その成績如何によっては、一月《ひとつき》か二月で帰還船に乗ることができる。だがふてくされたり、将校意識が消えないで作業を怠けるものは、もう一度シベリヤに戻ってもらう」
「そうだ」「そうしろ」「それがいい」
すかさず回りから大きな声が入る。ぼくらはみな習慣になっていて、同時に同じ言葉をくり返して叫んだ。
「佐官以上はもちろん、全く同情の余地はない。全員ここに残ってもらう。向う二年以上の労役に服すことに決められておる」
佐官は三人いた。本物の兵科の佐官は一人もいない。一人はアムラルト病院の日本側の院長・本木軍医少佐である。今一人は、どういうわけか民団の出身でありながら、軍の交渉ごとを任されて少佐の階級章を特につけて、ずっと収容所の指導者をやっていた大村少佐である。ぼくはこの人のことはここで初めて知ったので、その功罪は全く知らない。今一人は例の吉村少佐で、これは憲兵曹長が自分で勝手に任命した少佐だ。
「本木さんは違う。軍医だ。我々の恩人だ」
「大村少佐も本当は民団の方だ。可哀想だ。救けてやってください」
何人かの人々が、砂地の席から立ち上り、勇敢に抗議したが、釜田書記には取り合ってもらえなかった。
「黙れ! おまえらもシベリヤに戻りたいのか」
回りの指導員からも、同情者に向って一斉に罵声がとんでくると、どんな勇気がある者でも、それ以上は言えなくなってしまう。
釜田書記はマイクでどなりつけた。
「本木と大村はともに日本軍国主義の傀儡《かいらい》としてここからシベリヤへ送り返す。だが吉村は当方の調査では本当は曹長と分っている。彼ら下士官を裁くのは、第二収容所の業務であって、第一収容所の関知すべきことでない。改めて彼の罪はこれから問われることになるだろうが、ここでは一応釈放する」
問題にされるのは階級だけであった。吉村は嬉しそうに、何度も頭を下げて自分の坐っている席に戻って行った。何だか急にばからしくなってきた。気が抜けた。
本木少佐と大村少佐との二人が数人の聯盟員にきびしく回りをかこまれて収容所の門を出て行くと、そこにはトラックが待っていた。二人はそれにのせられると、どこかへ連れて行かれてしまった。
「さあー叫ぼう。大声で彼らを追い出すのだ。人民の敵よ去れ」
ぼくらは習慣で大声でくり返したが、誰も気が抜けてしまっていた。何だか裏切られた気もしていた。
その後は立ち上って五列になり、また赤旗の歌の行進であった。何時間も休みなくやらされた。声が嗄《か》れて、喉から血を吐きそうになった。だが画板に調査用紙を持った女の査問員が、一人一人の声の出し方や、顔に現われる熱狂度を見つめて点をつけているので、誰も手を抜くことはできなかった。三時から七時ぐらいまでやらされた。腹はすき足も固くなった。百回以上は唱わされたのではないか。これだけやらされれば、一番から三番までの文句をいやでも覚えてしまって、頭の中がからっぽでも出てくる。といって油断はできない。足がよろけたり、熱誠の度が表情に出ていない者は、外から指摘を受ける。それでもまだ治らない者は列外に出されて立たされた。大概はもう年をとって、体力が伴わない者や病弱者であった。
ここではそんなことは斟酌《しんしやく》されない。三十人ぐらいは犠牲者が出たが、彼らはいつまでも立ったままでほうっておかれた。合格者だけが砂地に坐らされた。もう日は昏《く》れて舞台には電気がついていた。
「諸君は本当に運がいい。普通なら最低でもここに一週間いてもらうのに、諸君は一泊もせず入ったその日の夜にもう第二へ行ける。お目出とう。その代りスターリン閣下の忠誠なる尖兵として、天皇制打倒のために頑張ってくれ。では天幕から荷物をとって各隊ごとに並んだら、第二収容所に向ってくれ」
思わず歓声が出たほどありがたかった。態度が悪くて列外に出て立たされている者は、回りを聯盟員に囲まれて、一歩も動けなかった。
彼らには第二へ行けないという悲しみの他に、天幕に帰れないで立たされているうちに中へ置いてきたなけなしの荷を誰かに持って行かれてしまうのではないかという不安が生じていた。
誰も落ちつけない表情で立っていたが、これはどうしようもなかった。みんなここまでこられたのが不思議なような、体力も気力も尽きかかった弱い連中だった。
こういう環境では弱いということだけで、もうそれは罪悪であった。