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黒パン俘虜記4-5

时间: 2018-10-26    进入日语论坛
核心提示:     5 この国では、黒いパンか、またはパンに焼かれる前の粉で作った粥が主食である。 粥にはたまにその中に馬の肉か内
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 この国では、黒いパンか、またはパンに焼かれる前の粉で作った粥が主食である。
 粥にはたまにその中に馬の肉か内臓が交ることがある。ある一定量の支給があるらしく吉村隊では別に茹《ゆ》でて、一人に一切れずつ正確に飯盒の中に入れて配分した。少くともこの点では、以前いた関西やくざが支配していた収容所と違って、幹部が鍋物にして全部喰べてしまうということは無かった。
 そうしなくてもこの収容所の朝の二時間、夕方の二時間の労働収入が全部入る吉村は、町からもっと贅沢な物をいくらでも買ってこられる。蒙古共和国側の附添人つきの条件ではあるが、町の中にある、高官用高級レストランで、洗練された料理を、ウオトカと一緒に喰べることだってできた。とった料理の値段も後で出したチップも大統領以上だったという噂さえある。
 ぼくたちにとっては、一切れではあっても朝の粥に入っている肉は大変な楽しみであり、その大小は一日中頭の中をしめる喜びや悲しみでもあった。
 同じ九月の半ばごろであった。夜食後の靴直し作業中に、あるニュースが忽ち収容所内に拡がった。もとは第二兵舎の縫製工の発見らしいが、ぼくのいた第一兵舎まで伝わるのに十分もかからなかった。
 野天便所の大きい糞尿のプールの中に、馬が一匹沈んでいるというのである。馬の管理は炊事で、生きた馬の屠殺もする。間違って逃げて、糞壺へ落ちて死んでしまったのだろうというのが、その衝撃的なニュースを聞いたときの人々の考えだった。
 しかし中には民団系の人で、以前内蒙古人との接触があって、この民族の風習に詳しい人がいて、別の説を主張した。
「馬はわりと利口だから、放馬しても自分で便壺へ飛びこむようなことはしない。それは病気で死んだ馬だ。蒙古人は、ジンギス汗の時代から病気で死んだ馬は絶対に喰べない。しかしほうっておくと、我々俘虜の連中が喰べてしまうと思って、わざと便壺にほうりこんだんだろう」
 聞いた人々は、実物を見たくて、皆便所へたった。プールのような便所は、いつもよりも、大勢の人間がとりかこみ、のぞいており、月の明るい夜だったので塀の所にある望楼の歩哨が、不安がって大声で
「ドワイ、ドワイ」
 休みなくどなっていた。たしかに糞尿の中から馬の首が見える。
「勿体ないなあ」
「何とかならないかなあー」
 と皆はそういいながら戻って行く。どうにもならない。その日も靴直しの作業を終えると、皆は思いを便所に残して眠りに入った。
 ところが、夜中になって便所から戻ってきた者が近くの兵士たちに小声でささやいた。
「馬を便所からひきずり出そうとしている連中がいるぞ」
 それは小声のご注進だったが、忽ち全収容所中に、耳から耳へと伝えられて拡がった。
「歩哨は何もいってないのか」
「ああ、どうもその仲間が買収したらしい。代りに仲間の一人が兵舎の入口で張番して便所へ行く人間を制限している」
「なぜだね」
「一度に全員が便所に行けば、何事が起ったのかと大騒ぎになるからだ」
 ぼくは飛び起きて、入口へ行った。彼らが掘り出す現場をせめて見たかった。糞にまみれていても、これは食物だ。今の生活では大変な事件だ。入口には三十人以上の兵隊が止められており、押えている男も殺気だっていた。
「こんなに便所へ行きたい人間がいるはずはねえ。喰う物も喰ってねえで、出る物もそんなにあるはずがねえだ。どうせ見るだけならやめれ。目の毒よ。歩哨に生命がけで交渉して掘り出しにかかった仲間以外は、臓物の一片だって分けてやれるものでねえだよ」
 その男は威勢よくそういった。元気のよいのには、多少のわけがあった。
 吉村の親衛隊には属さない一般俘虜で、定量の仕事はきちんとやらされている仲間ではあるが、昔、吉村が池田憲兵曹長時代にいた部隊から一緒だった、この収容所生え抜きの兵士だった。いくらか炊事からも優遇措置があり、作業にもお目こぼしがあった。農民と比べて、下級の足軽ぐらいの権力は持っていた。
 彼らが親衛隊に根回ししたらしい。外蒙古の歩哨にも誰かがしまってあったハンカチか、匂いの良い石鹸を取り出して買収したのだろう。
 ぼくは三十人が二人ずつ行って順に帰ってくるだけ待たされてから
「よし行け! できるだけ早く帰ってこうよ」
 と肩を叩かれて、やっと小便に駆け出して行った。
 プール型の野天便所には、二十人ぐらいの兵隊がとりついていた。二人ばかり、ふんどしも外した素っ裸で、糞の中にもぐり、馬の首に縄をかけていた。他の者は、その縄を声を出さないようにしてひっぱっていた。
 収容所には水はない。飲み水は川まで行って飲む。炊事の水は、夜があけてからシナ人の人夫が、馬車に水槽を乗せて運んでくる。
 ひきずり出しても馬の体についた糞尿を洗い落すことはできない。どうするのかと、他人《ひと》ごとながら心配になったが、小便も出きって、見ている時間も尽きた。少し長目の時間をかけてしずくを切ったが、それ以上はもたない。仕方なくまた兵舎へ駆け戻った。
 いつもなら夜中に便所へ行った後は、そのまままた倒れるように眠りこんでしまうのだが、その夜はいつもと違って、なかなか眠りにつけなかった。
 それは正直にいって、嫉妬の感情であった。
 翌早朝の集合の直前にまたたしかめに便所へ行った。そこにはもうあの集団は一人もいなかった。川へ向う行列の中で、今回ばかりは誰もが昂奮して、肉の行方について語った。
 情報は忽ち伝わった。
 二十人の中で、一人、食肉処理を十五年も業としてきた兵士がいた。彼は荷物の中にひそかに商売用の鋭利な刃物をかくし持っていた。召集の一等兵だが、予備役の三度目の応召だから、年は三十を越し、その経歴と腕力で、仲間の中で一目おかれていた。作業はこの男の提案で行われた。自分で高言した通り、一旦、外へ引きずり出された馬の死骸は、ほんの十分ばかりで、すっかり皮をむかれ、その肉のどこにも汚物は一つもついていない見事な解体ぶりだった。ただし皆がほしがった内臓は、さっさと取って皮と一緒に再び糞の中へほうり投げてしまったそうだ。
「人間、欲かいてはいかん。馬は病気で死んでいるで、肉は大丈夫じゃが、モツはだめじゃ」
 誰かそのときそばで見ていた者が口まねすると、皆はため息をついた。せめてそのぐらい土の上に残しておいてくれてもいいだろうにと思った。多少の糞尿なら川で洗っても喰べられるのにと皆は口惜しがった。二十人はさっさと肉を骨から離して、持ってきた袋に包んで帰った。
「それじゃ、骨はどうしたんだ」
 これも半分悲痛な声で聞いた男がいた。この国へ来て、外蒙古共和国人が骨を石で割って中の髄をすするのを見て、分けてもらって味を知った者が何人かいた。練り歯磨のように中から出てくる白い髄は、話によると、とてもうまいそうだ。洋食に詳しいのが、チーズのようだといったが、その肝腎《かんじん》なチーズというものを、見たことのある者、知っている者は、他には只の一人もいなかった。ぼくも全く知らない。それで心の中に秘めたあこがれの喰べ物になっていて、もし生きて日本へ帰れたら必ずまっ先にチーズというものを喰べてやろうと思っていたので、骨もまた皮と一緒に容赦なく便所に投げ捨ててしまった、さっきの男がひどく憎らしかった。
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