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黒パン俘虜記8-2

时间: 2018-10-26    进入日语论坛
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 三日目の朝になると、突然『日本が見えるぞ』と叫ぶ者がいて、殆ど全員が甲板に飛び出して行った。
 出たくても出られないぼくは、気楽に出て行ける連中が羨ましかった。
 はるかに見える日本の島影を目ざして、船が近づいて行くのは、どんなに感動的なシーンであろうか。一生一度のこの感激を自分の体で味わいたい。そして泣きたかった。
 だがここまで来たら生きて帰る方が大事だ。じっと我慢して、寝ていた。
 まだ二十二歳だ。未来の人生がある。
 まず大学へ戻って勉強しなおす。卒業して就職する。恋をして結婚をする。そうしたら誰にも遠慮なく、毎夜だって妻を抱きしめ愛撫《あいぶ》することができるのだ。
 その前に殺されてしまっては、これまで頑張ってきた甲斐がない。
 函館港には、予定通り午前十一時には、入港した。着岸してから三十分後
「只今、検疫と入港手続きが終りましたので、全員、上の方の部屋から、二列でゆっくり下船してください」
 とアナウンスが伝えた。
 荷物を持って、扉口に詰めかける気配がしたが、全員の下船だ、そう早くはすまないと考えて、また毛布にもぐりこんだ。
 やっと人声が絶えたとき甲板に出た。病人や、足の悪い者が、船員に助けられるようにして、ゆっくり下りて行く。その最後の列に若い兵隊のぼくが一人交っていたので、舷門番パーサーが不思議そうな顔で見ていた。
 幸い関西極道の姿は一人もない。まっ先に下りるだろうという予想は当ったらしい。
 港のあちこちにアメリカ兵が立っているのを見て、初めて祖国はまだアメリカに占領されたままだということを実感した。きゅっと腰を絞った、形のいいジャンパー式の軍服の兵隊は、みなセルロイド人形のように可愛い。ぼくらのボロ服と比べて数等いきでスマートで、日本娘が大分彼らにいかれているのではないかという、いやな予感がすぐに湧き上った。
 通路の両側には、バケツを持ったアメリカ兵が何人も立っていて、下りてくる者を捕まえると、背中を拡げさせその中にゴム手袋で把んだ白い粉を、振りかけていた。
 通路の突き当りの、倉庫のような広い建物が、復員事務所になっていて、何十人もの係員が机を並べて待っていた。その一つの前で二人ばかり待ってから、椅子に坐った。
 白い粉が背中から落ちて、ズボンのバンドにたまり変な気持であった。
 そこでは、蒙古共和国での生活や、国内事情など細かく聞かれた。何十項目かの質問にすべて答えると、その書類がこちら向きに出され、これまでぼくらが見たこともないような、先がくるくる回る変なペンで、空欄の、本籍、入隊前の住所、原隊、階級、氏名と記入させられた。乙幹と分ると
「学生さんですか。今となってはどこも復学は難しいですよ。頑張ってください」
 といった。
 すべての記入が終ると、封筒を一つ支給してくれた。
「ここに復員手当と、入隊前の居住地までの無料乗船乗車券が入っています。支給額は、兵も将校も民団も一律四百円です。少いですが帰りの弁当代ぐらいにはなります」
 大体予想していた額なので、ぼくは満足した。
「切符は今日から五日以内だったら日本中どこへでも行けます。どんなに混んでいても、特別に席を確保できるようになっています。列車の本数が少くて、一般人の手には切符が入らないので、町へ出るとブローカーが札束を見せびらかしながら話しかけてきますが、絶対に売らないでください。売ったらもう故郷《くに》へ戻れなくなりますよ」
「分りました」
 大事に内ポケットにしまった。
「それから東京直行は昼のうちはありません。出発までは、無料で休憩したり、宿泊できる寮が、連絡船の港の駅の近くにありますから、そこでゆっくりお休みになってください。すぐ外に専用バスが待っています」
 ぼくが机を離れて出口へ行くと
「やあ、どうした、乙幹さん……」
 と声をかけてきた兵隊がいた。能弁の男だった。
「あんたがいつまでも下りて来ないので、またシベリヤへ戻りたくなったのかと、心配していたよ。同じ東京だ。一緒に戻ろう。なーに関西者はみんな駅へ直行して寮へは行かない」
 何か事情を知っている感じであった。
「東京行きの連絡船便は何時に出るんだね」
「夜中の十一時だそうだ。寮には|たたみ《ヽヽヽ》が敷いてあって、飯はタダだそうだ」
「たたみか。なつかしいなあー。久しぶりだ。ゆっくり寝転がって行こうか」
 バスが最後の二人のぼくたちを待っている。青い制服に黒い靴下の、いかにもこの土地の娘らしいバスガールがちゃんと立っていて、乗りこむと手を上げて
「発車オーライ」
 といった。たまらなく可愛らしかった。
 懐かしい日本の日常生活が戻ってきた。
 ぼくは並んで坐った男に、この間からいいたくて仕方がなかったジョークをやっということができた。
「ウクライナへ行って鼠を喰えなくて残念だったな」
 ライスカレーをもらったときにでもいえば相応に笑えたろうが、証文の出しおくれで、お互いに面白くも何ともなかった。
 寮には東京方面行きの者と、二、三日ここで体を休めてから帰るつもりの民団の老人が、あちこちの部屋で寝そべっていた。丼物だけだったが、食事は何杯でも只で喰べられるようになっていた。
 カツ丼と、親子丼を一杯ずつ続けて喰べてから寝転ぶと、心豊かでいい気分になった。
 昼風呂に入り、二年ぶりの垢をこそぎ落した。何だか皮膚が薄くなったようだ。少し寒いがもう苛烈な環境は終って、平和な国に戻ったのだという実感は一層確実になった。
 一眠りして夕方になった。まだ乗船には早いが、その連れの男がいった。
「外へ出て一杯やらないか。女のいる飲屋が連絡船の駅の前には、並んでいるらしい」
 酒を飲むのは、あまり気がすすまなかった。
「うん。でも高いんじゃないかな」
 飲屋に入った経験がなかったので、つい臆病になる。
「おれたちは四百円も持っている。物価が大分上っているそうだから、一年は無理にしても、三月や半年は暮して行けるだろう。日本へ帰った最初の夜だ。二人でしみじみ祝いたい。それになあー」
 と急に声を落すといった。
「おれたち二人で、バリトンのおっさんの供養をしてやらないか」
「あんた知っていたのか」
 びっくりしてききかえした。
「ああおれも、現場をそっと見ていた。あの第三の法廷からこいつはヤバいと思って注意していたんだ。とうとうライスカレー一回喰ったきりで終りだった。あの年じゃ妻子もいるだろう。運のない人だったな」
「そうか。それじゃ、二人でご冥福を祈ろう」
 荷物を全部持ってぼくらは夜の函館の町に出て行った。すぐに乗船場の駅舎が見えた。両側に赤提灯の小料理屋が並んでいる。
 その一つ、『どさん娘《こ》』と看板が出ている店に入った。三十ぐらいの女がカウンターに坐っていた。
「いらっしゃい。あら復員のお方ね。嬉しいわ、サービスするわ」
 声も甘ったるかったが、少し身動きすると甘い白粉《おしろい》の匂いがして悩ましい。二年ぶりの女に敏感になっているぼくらの鼻を、やたらに刺激した。
 いかの丸焼きで、熱燗のお銚子をもらった。ぼくらは二本ずつ飲んだ。他にまぐろの刺身と、こんにゃくの煮付けが出た。
「ちょっとご馳走になっていい」
 女は一応断わると、やはり二本お銚子をあけた。
 十一時の船の乗船開始は九時だった。いつの間にかそんな時間になっていた。すっかり気分がよくなって立ち上るとぼくが
「おいくら」
 と聞いた。女はすぐに答えた。
「丁度お一人四百円ずつ、八百円いただきます」
 うっと声が詰まった。せいぜい二人で十円も出せばいいと思っていた。物もいえないでいるぼくを見ながら、後ろの壁に張ってある、値段表を示していった。
「うちは良心的にやっているんです。近所よりずっとお安いんですのよ」
 お酒九十円。いか、刺身、煮付け、四十円均一と書いてある。一皿ずつ二人で取ったから、六皿になる。酒も女の飲んだ分を合せれば、六本だ。合せて七百八十円だ。ぼくらはそれを見ていながら円を銭と無意識に考えていたのだ。ウクライナはしぶとい。とっさに計算した。二人の金を合せて百円札を八枚出していった。
「二十円だけお釣りくれないかね」
「ケチね。あんたら。それでも軍人さん」
 といや味をいいながら、帝国議会が片方に印刷されている妙な絵の紙幣を一枚ずつ、懐中の財布から出して女は返してくれた。
 外へ出たとたん、すっかり酔いもさめてしまった。変に寒々とした気持で港に向った。
 二年間の報酬が一晩で消えてしまった。彼のこれまでの流れるような能弁はどこへ行ってしまったのか、しばらく何も言葉が出てこなかった。駅舎へ入って、指定の待合室で、乗船票を書いて坐ってから、やっと彼はぽつりといった。
「つまりおれたちの二年間の苦労なんてのはこの程度の価値しかなかったのよ」
「そう思えば却ってさっぱりするよ。沢山の死んでいった者に比べれば、白粉の匂いを嗅いで一杯やっただけ、大変な幸せだよ」
 誘った責任を感じて心ではぼくにすまながっているに違いないウクライナの気持を察して、ぼくはわざと元気にいった。
 乗船の合図で乗りこむと、一般の船室は身動きできないほど混んでいるのに、指定切符の復員者だけは、手ごろな和室に四人一組で案内された。ゆっくり寝転んでも、まだ余裕があった。ドラの音が鳴って出港した。
 昨日までの外航船と違ってエンジン音は、殆ど聞こえないぐらい小さい。揺れは全く感じられない。
 ぼくらは船客用の固い枕を胸の下に抱いて腹這いになった。ウクライナがいった。
「すまなかったな、乙幹さん、無理に誘ったりして」
 どうしても口に出して詫びたかったらしい。
「なあに、十円ずつあれば、家に着くまでには何か喰える。ふかし藷《いも》でもいいさ。これまでの生活を考えれば、これぐらいが丁度いいのさ」
 ぼくの目の前で死んでいった人々のことが次から次へと浮んできた。
 正宗の短刀も、吉村隊の首吊りインテリも、その他何千人の死んで行った人も、みなそれぞれに哀れであった。だがバリトンの補充兵の死は特にいたましかった。
 それに比べてぼくらはこれから故郷へ帰れるのだ。明日の夜は多分、家族に囲まれての食膳が待っている。
 急にまた腹がすいて来た。明日の夕方までの十円だ。まだ何か喰うわけにはいかない。しかし収容所の無限に続く空腹に比べれば、これは希望ある空腹であった。
 ともかく今は生きている。これからはもう死に脅やかされることはない。言葉ではとてもいい表わしようのない、幸せな思いが、温かく体中に拡がっていくのを、枕に頬をつけて、じっと味わっていた。
 
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