ポール・デイビスがコマーシャル・アートのイラストレーターをやめてタブローのアーチストになりたいと語った時、ぼくは少からず驚いたが、しかし考えてみれば彼の今までの活躍や制作過程を忠実に眺めるならば、そこには何ら不思議なこともなく、むしろ彼が到達すべく最も自然なあり方が非常に明確に表れていると思う。
そして今度の版画の制作ということになったわけだが、彼の初めてのリトグラフにもかかわらず、何ら技術的な困難も見せず、見事に版画家としてスタートを切った。もともと彼は印刷を前提としたイラストレーションやデザインの経験が豊富なため、改って版画を特別視したところもなく、この作品を見る人は彼が初めて版画に挑戦した処女作とは決して想像できないほどの技術を駆使した見事な出来栄えである。
版画に関していえばポールよりぼくの方が少し先輩であるが、ぼくの場合はシルクスクリーンという形式だから、デザイン的な延長での方法がとれるので非常にたやすいのだが、彼はいきなりリトグラフという本格的な形式で処女作を完成したのだから全く驚いてしまった。
作品を見ると、未知の体験にもかかわらず、伸び伸びした描法で仕上げている。誰でも最初は非常に緊張して堅くなるものだが、そういった堅さはどこにも感じられないのには感心した。われわれはリトグラフといえば何か緊張して仲々手をつけるまで相当の覚悟と決心がいるのだが、彼にはそうした気負いが全くないようだ。彼がプリミティブな表現方法を取るのも、そうした気負いがないからかも知れない。
ぼくが初めてポールの作品に触れた時、彼がアメリカのプリミティブ・アートの様式を借りて今日の世界を描いていたことに驚いた。プリミティブ・アートといえば非常に個人的な世界に終始したどちらかといえば非社会的な世界を描いたものである。ところが彼はこの非社会的な衣を着て、社会的な場でイデオロギーを叫んだのだから、われわれはこのちぐはぐな彼の方法にびっくりしてしまった。もともと政治的関心が強かった彼は、この方法で一挙にアメリカのエディトリアル・イラストレーションの方向を変えてしまった。こうした彼の作品はユーモラスに見えたが、その中には鋭い諷刺が込められ、何より強い発言力を所有していた。
そんなポールが、突然住みなれたマンハッタンからサッグハーバーという海の近くの田舎町に引越してしまった。そしてその頃から彼の考えは徐々に変わり、自然を愛し、家族や友人を愛するようになった。こうした生活環境が彼をイラストレーターからアーチストへ変身させていったようである。
そして作品のモチーフも社会的なものから個人的なものへとその視点は移されて来た。プリミティブ・アートはある意味でアーチストが最終的に落着く安住の地でもある。如何にシンプルになり、そしてプリミティブになるかということは、人間がこの世に生を受け、そしてその生を何回ともなく数限りなく繰返しながら最終の人生において到達しなければならない境地なのである。プリミティブ・アートが描ける者こそ魂のレベルにおいて真の自由を獲得した人々である。この境地にはこだわりのない自己放棄された光輝な世界が存在している。
プリミティブ・アートの形式から入った彼は今、その「形式」という枠から脱出して、本来のプリミティブ・アーチストたらんとしている。このことは彼の作品から痛いほどぼくは感じる。彼が本当のプリミティブ・アーチストになれる日は、彼の中に指向するプリミティブという概念が全く消滅したその瞬間から彼は自然人となり、その目的を達成することだろう。
ポールだけがこのことを求めているわけではなく、たとえばぼく自身についても同様である。如何に自分が自分に執着しているかというこのことが自由の彼方に飛翔できない足枷になっていることだろう。現代の芸術は、この足枷の部分、つまり自己中心的なエゴイズムが芸術という名の冠を戴いている。そしてこういう意味での芸術が存在する限り芸術家は自己から解放されない。一方プリミティブ・アートを正統な芸術の領域で評価しない風潮は少なくとも自己中心的なこの世界のありのままを物語っている。
ポールがプリミティブ・アートのスタイル[#「スタイル」に傍点]から本物のプリミティブ・アートを求めるこの過程は、ある意味において宗教的求道者が歩まなければならない道でもある。誤った芸術意識ではなく、ポールが歩もうとしている道は人間本来の姿において正しいのではなかろうか。